毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第四章 風流歌あわせ |
二 八戒の請負い業 祭賽国にとって、三蔵一行は救国の恩人である。 国王をはじめ、国中の要人たちは、 あげて一行にこの国に末永くとどまるようにと 懇願してやまなかったが、もとより いつまでも惰眠をむさぼっておられる身の上ではない。 三蔵は贈られた金品をことわり、 ふだん着の一、二枚と 路中の食糧を僅かばかりもらいうけると、 祭賽国をあとにした。 国王は城を出て、二十里ほども送ってきたが、 株の反騰でふところの温かくなった人々は、 それより更に二十里も送ってきた。 無実の罪を晴らしてもらった坊主たちに至っては、 それから四、五十里すぎても、 まだかえって行こうとしない。 「どこまで来てもきりがありませんから、 もうおかえりになって下さい」 「そんなことをおっしゃらずに、 どうか私どもを連れて行って下さい。 天竺までも、どこまででもお伴致します」 あんまりしつこいので、悟空は我慢がならなくなって、 毛を三、四十本抜くと、プッと息を吹きかけて 「変れ!」と叫んだ。 と、忽ち猛虎が数十匹おどり出してきて、 「ウォーッ」と雄叫びをしたので、 坊主たちは度胆を抜かれて後ずさりをした。 そのすきに、 四人は衆僧を引きはなして素早く西への道を急いだ。 やがて冬がすぎ、またしても春うららかな季節になった。 もうすっかり旅なれてしまった一行は 今では歩くことが日課になり、歩かないでは 生きているような気がしない日常になっていた。 「天竺なんかもうどうでもよくなったな」 と真先に言い出したのは八戒であった。 「それはまたどうして?」 と沙悟浄がききかえした。 「我々は、天竺へ到達するのが 最後の目的ではないのかい?」 「目的があるというだけでいいのさ。 本当に天竺に到達しようがしまいが、 それは第三、第四の問題だ。 いや、むしろ本当に到達してしまったらおしまいで、 まだまだ死ねないと思っているうちが花じゃないのかな」 「八戒。お前も大分デカダンスになったな」 と三蔵が馬上から笑いかけた。 「デカダンスにもなろうじゃありませんか、お師匠さま」 と八戒は扁をつぼめながら、 「こう平穏無事な日々が続いちゃ気が持てなくなりますよ。 オートバイに乗って百キロのスピードを出したがる 若者たちの気持がわかるような気がします」 「ハッハハハ……。 精力のはけ場に困り出したと見えるな、さすがの八戒も」 と悟空は笑いころげながら、 「しかし、心配するには及ばないぜ。あれを見ろよ」 指ざした方向に視線をむけると、 道の行く手に一連の山脈が 旅人を遮るように立ち塞がっている。 「ありゃ何だ」 「見渡す限り、木が生えていないじゃないか」 「木が生えていないが、針が生えているぜ」 近づいて見ると、道の跡らしきものは残っているけれども、 その上を一面のイバラがおおっているではないか。 「やれやれ、困ったことになってしまったぞ」 と三蔵は俄かに顔を曇らせた。 「これじゃy、到底前へ進めそうにないな」 「どうしてですか?」 と八戒がききかえした。 「だって、イバラに道をおおわれては、 蛇か虫ででもなければ、 下をくぐり抜けることは出来ないだろう」 「なあに。もともとこれまでだって イバラの道だったじゃありませんか。 それが本物のイバラになったからといって、 今更おそれることはありませんよ。 この私に万事お任せ下さい」 「お前に力があることは十分、承知しているけれども、 見渡す限りのイバラだからね。 ちょっとやそっとのエネルギーでは たちまち燃えつきてしまうよ」 二人がああでもない、こうでもない、 とやりとりをしていると、 「小田原評定をやっているよりも、 先ずどのくらいあるか、私が偵察してきましょう」 悟空はそう言って、中空へとびあがって行った。 「いやはや、驚きましたよ」 しばらくして戻ってきた悟空は目を丸くして言った。 「こちら側よりも、 西へ行けば行くほどイバラは背が続くなっています。 山の裾野だけかと思ったら、 上の方までぎっしりイバラです」 「どのくらいの距離続いているだろうか」 「一望千里といいますから、 ざっと千里はイバラの道ですよ」 「それは困ったな。どうしたものだろうか」 と三蔵は頭を抱えた。 「大丈夫ですよ。お師匠さま」 と沙悟浄が笑いながら、 「火を放ってイバラを焼き払うという方法が あるじゃありませんか」 「冗談も休み休みにいうものだ」 とすぐに八戒が異議を申し立てた。 「草を焼き払うのは十月になって、 草木の枯れはてたところを見計らってやるものだ。 今のように繁殖する盛りに どうして火をつけることが出来よう」 「じゃどうすればいいだろうか?」 「だから、俺に任せとき、と言っているじゃないか」 と八戒は笑いながら、ポソと胸を叩いて見せた。 なるほど大きなことを言うだけあって、 八戒は呪文を唱えて揺身一変すると、 二十丈もあろうかと思われる大男になった。 そして、例の熊手をゆすぷって「変れ!」と叫ぶと、 これまた三十丈もある巨大な熊手に化けた。 「さあ、お師匠さま。 私のあとからついてきて下さい」 八戒が照手をしごいてイバラを掻き分けると、 悟空がそのあとを如意棒で払いのける。 そうやって、二日間、手を休める間もなく働き続けると、 百里余りも先に進むことが出来た。 「やれやれ。 この調子で仕事がはかどれば、 案外早くイバラの道から脱け出せるかも知れないな」 三蔵はいくらか生気をとり戻して、 三人のあとから馬を進めた。 ところが、その日の太陽が沈みかける頃になってから、 一行は小さな空地のあるところへ出た。 見ると、道の真中に石碑が立っていて、 「荊棘嶺と大書してある。 その下には小さな文字で、 荊棘蓬八百里(いばらのみちははっぴゃくり) 古来有路少人行(みちはあれどもかようひとなし) と添え書きがしてある。 それを見ると、八戒は声を立てて笑いながら、 「こりゃ看板を塗りかえる必要があるな。 自今八戒能開破(はっかいブルドーザーあらわれしより) 直透西方路尽平(ハイ・ウェイはにしへいっちょくせん) とでも書きなおしてやるか」 「じゃ今夜はひとまずここで野宿をすることにしようか」 と三蔵は馬をおりようとした。 「いや、お師匠さま。 お月さまは出ているし、 我々も仕事に油がのってきたところですから、 行けるところまで行くことにしましょうや」 いつも真先に文句を言いはじめる八戒が 陣頭に立ってけなげなことをいうので、 一行は夜を徹して更に前に進んだ。 一昼夜すぎて、またも日暮れが近づくと、 イバラの向うにさらさらと風の鳴る音がきこえてきた。 「やあ、砂漠の中でオアシスに出あったようなものだ」 一同が声をあげてとんで行くと、松と竹に囲まれた中に、 空地があって、その真中に古廟が一つぽつんと立っていた。 「ここは青よりも凶の多いところだぞ」 と悟空は言った。 「まさか」 と沙悟浄がすぐに反駁した。 「人間の姿も見えないし、 猛獣妖禽の棲んでいる様子も見えないのに、 びくびくすることもないでしょう」 その言葉もまだ終らないうちに 一陣の風が吹きすぎたかと思うと、 廟門の中から一人の老人が手に杖をつきながら出てきた。 見ると、そのうしろには頭の上に菓子の盆をのせた 赤毛赤肌の鬼使がつき従っている。 「大聖。私はこの荊棘嶺か土地神でございます。 今日、あなた様がこちらへ おいでになるとききましたので、 粗末なものでございますが、少しばかり お腹の足しになるものを用意してまいりました」 「そいつは有難い」 と八戒がすぐにも手を出そうとした。 「こらッ、待て!」 すかさず、うしろから悟空の声がかかった。 「お菓子の二つや三つで 俺たちに一杯食わせることができると思っているのか。 それより俺のこの鉄棒でも食らえ」 老人は悟空の如意棒を見ると、 揺身一撃たちまち風と共に消えてしまった。 「やあ、お師匠さまの姿も見えないぞ」 風と共に消えたのは、怪しげな老人だけでなく、 三蔵の姿も杳として見当らないのである。 主のいなくなった白馬が虚空にいななくのをききながら、 あれよあれよと弟子たちは驚きうろたえるばかりであった。 |
2001-02-24-SAT
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