毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第四章 風流歌あわせ |
三 どこの仲人魔 さて、 老人と鬼使は三蔵を一軒の石の家の前まで連れてくると、 軽々と下へおろした。 「和尚さん。 私はこの荊棘嶺の十八公と申すもので、 決して怪しい者ではありません。 今夜は月もきれいなことだし、 我々の粋な仲間におひきあわせしようと思って お連れしたのです」 そう言われても、 これまで化け物にいじめられてばかりきた三蔵なので、 その通りうけとりかねている。 しかし、今夜は常と少し様子が違って、 こづかれたり、しばりあげられたりしないので、 こりゃ本当かもしれないぞ、とやっと胸をなでおろした。 やがて月の明りがあかるくなってくると、 「やあ、ご苦労さん。 いい人を連れてきてくれたな」 声がするので、三蔵が顔をあげると、 向うから三人の老人がやってくる。 一人は霜をいただいたような風貌、 一人は緑ふさなす若さをたたえ、 もう一人は痩せ細って歩くのさえ大儀そう。 しかし、三人とも至って礼儀正しく、 三蔵の前にくると、いちいち丁寧に挨拶をした。 「見も知らぬ私を連れてきて、 皆様のお相手をさせようとは、 これまたどういうわけでございますか?」 と三蔵は不思議に思ってきいた。 「いや、あなたが天下に名高い聖僧だということは 以前から承知しております。 幸いにしてここをお通りかかりになったので、 こうしてお目にかかれてこんな嬉しいことはありません。 もしお嫌でなかったら、 しばらく私たちの話の仲間になっていただけませんか?」 「皆さんのお名前は何とおっしゃるのですか?」 と三蔵がききかえした。 「あの霜をいただいたのが孤直公、 緑ふさなしたのが凌空子、 細っそりしたのが払雲叟です。 私自身は頸節という号を持っています」 と十八公が紹介の労をとった。 「もうおとしはいくつにおなりですか?」 と三蔵は大唐国の礼法に従って、相手の年齢をたずねた。 「アッハハハ……。 もう年のことはお互いに 忘れようじゃないかということにしているが、 それでも記憶に残っているだけで千年はあるだろうな」 と凌空子が言った。 「あなた様もですか?」 と驚いて三蔵はきいた。 「白髪一本おありにならないようですが、 白髪染めをお使いになっているわけじゃないんですか」 「よく人にそうきかれるんですよ」 と苦笑しながら、凌空子は、 「やはり年齢にふさわしい年のとり方をすべきものですね。 我々四人は皆、似たり寄ったりの年齢なのに、 私ばかりが世間から若僧扱いにされましてな」 「しかし、おなごの前に出た時は都合がいいじゃないか」 と払雲叟が脇から口を出した。 「大体、世の中に両方いいことはないものだ。 金があれば子供はいない、男前がよければ金がない。 子供が欲しけりゃ生まれない。 両方いいのはせいぜい頬かむりくらいなものじゃないか」 「待て待て。その論理は少しおかしいぞ」 と孤直公が途中からさえぎって、 「欲しいと思ったものがないのではなくて、 無いから欲しくなるというのが本当だろう。 たとえば、子供のいるものは、 子供を既に持っているから、子供を欲しいとは思わない。 家のある者は、家を既に持っているから、 家を欲しいとは思わない。 欲は無からはじまるものであって、 無に帰するものではない。 無は欲の母であって、欲は有の父だよ」 「フン。すると、無は有のおばあさんというわけかい。 これもずいぶんおかしな論理だぜ」 と十八公は二ヤニヤしながら、 「だってそうじゃないか、 もし無と有が祖母と孫の関係だとしたら “有無相通ずる”というのは近親相姦になるじゃないか」 「アッハハハ……」 と四人の老人は声を立てて笑いころげた。 「時にあなたはおいくつになられますか?」 今度は四人が逆に三蔵にきいた。 「ことしでやっと四十歳になりますが、 皆さまから見ると、ホンの若僧にすぎません」 「しかし、 若さに似合わず有名になられたものでございますな。 何か有名になる秘訣のようなものでもあるのですか?」 「いえいえ、私の力ではございません。 マスコミの力でございます」 「しかし、マスコミにのりたくてのれないでいる人も たくさんいるじゃありませんか。 どうしてあなたばかりが マスコミにもてはやされるのですか?」 と凌空子がきいた。 「そんなことをきかれても、 私には満足なお答えができないかもしれませんが、 ひょっとしたら、 私が他人と違う生き方ばかり ねらってきたせいかもしれません。 孔子様は等しからざるを憂う、と申しましたが、 マスコミで有名になる者は、 等しきを憂うるのが本当ではないでしょうか」 と三蔵はありのままを答えた。 「なるほど、なるほど。 後生畏るべし、というが、 若い者のカンのよさには全く敬服するよりほかないな」 四人は手放しで、しきりに感心している。 「時にどうです? 私の庵に行って お茶の一杯もさしあげたいと思いますが……」 と払雲叟は右の小屋の方を指ざしながら言った。 三蔵が石屋の方へ近づいて仔細に眺めると、 入口に小さく「木仙庵」と書いてある。 中に入ると、 さっきの鬼使が菓子と抹茶の用意をして待っていた。 払雲叟が自ら茶釜の蓋をとり、 茶を入れて三蔵の前にさし出した。 「いえ、私は一番あとでいただきますから」 と三蔵が辞退すると、 「いやいや、あなたはお客さまですから」 「いやいや、年の順拝でまいりましょう。 今夜は敬老大会に 出席させていただいたようなものですから」 何を飲まされたものかわからないという不安も手伝って、 三蔵がどうしても謝辞するので、 「では皆で一緒にいただきましょう」 四人は一せいに茶を飲み出した。 三蔵は老人たちがさもおいしそうに 茶碗を傾けているのを見て、 漸くおそるおそるお菓子に手を出した。 「幾百千年住みなれたところだけれど、 こういう夜はまた格別なものだね」 「こういう夜は歌の一つもひねりたくなるね」 「どうだい。連歌と行こうか」 「うむ。それも悪くはないな」 四人はたちまち意見一致すると、 「ではお客さんから発句をおこしていただきましょう」 「とんでもございません。 私は無粋な男で歌心など全然持ち合わせておりません」 三蔵はあわてて否定した。 「歌心なんて、そんな高尚なものは持っていなくとも 歌をつくるくらいのことは出来ますよ。 五七五、次が七七、と字数さえあわせて行けば、 それでいいのですから」 と十八公が言った。 「その通りですよ」 と払雲叟がすぐにあとをついで、 「我々だって若い頃は故郷を捨てて 海外に出稼ぎに行ったりしたものです。 しかし、金も出来、おめかけさんの一人や二人も持ち、 さて、人生の裏も表も、甘いも酸っばいも、 なめつくしてしまうと、もうあとにすることがない。 仕方がないから語呂合わせをやって世間でも皮肉って 老人の抵抗ぶりを示そうといぅだけのことですよ」 「すると、連歌とおっしゃいましたけれど、 川柳の連歌でございますか?」 「我々の間では、 川柳も俳諧も歌謡曲も全く区別がないのですよ」 と狐直公が答えた。 「よその国ではところによって、高尚な階級が歌をつくり、 下卑た連中が歌謡曲をうたうものだという 特権意識の強い地方がありますが、歌というものは本来 、 詠嘆調で、生理を満足させればいいものですから、 上手下手の区別はあっても、 高級下等の区別はないど思いますね」 「ですから、ひとつ和尚さまからご披露になって下さい」 皆してすすめるので、三蔵もことわりきれず、 「では下手なところをご批判願うことに致しまして」 と、しばらく考えた末に、 「どうもおはずかしいのですが、 まどかなる月を仰ぎしわが心」 「ハハハハ……」 と頸節老こと十八公は笑いながら、すかさず、 「ではいいますよ。 日が立つにつれマスコミにすれ」 「それそれ」 と狐直公が拍手しながら、 「では今度は私の番ですね。 銭などは要らぬと言い言い錦を着」 「なるほどなるほど」 と凌空子は頷きながら、 「こう続けてはどうです? 書く字書く字が札に見えにけり」 「では儂が次をやりますぜ」 と払雲翌は笑いながら、 「いつまでも丸と思いし夢きえて 最後はまたお客さまに続けていただきましょう」 「こりゃとんだことになりましたね」 と三蔵は失笑しながら、 「皆さんは千年も 世相の移り変りを見ておいでになられたから、 すっかり童心にお帰りになったのかと思ったら、 なかなかどうして、反俗の精神、 老いて益々旺んでございますね。 到底、弱輩の私の及ぶところではございません」 「及んでも及ばなくても結構ですから、 もう十四字くつつけて下さいよ」 と十八公はニヤ二ヤしながらあとを促した。 三蔵は仕方なさそうに、 「では折角のご指名ですから、 肴にされた当人の弁明を致しましょうか。 心にまぶしき春草の色」 すると、一せいに拍手喝采がおこって、 「いや、皮肉ったつもりがやられてしまいましたな。 坊さんのなかの坊さんと噂されるだけあって、 あなたは詩情を解する人だ」 四人して大騒ぎをしているところへ、 屋外から二人の腰元につきそわれた 一人の仙女が入ってきた。 ふと目をやると、夢かと見まがう絶世の美女で、 手に一本の杏の花をにぎって千金の微笑をたたえる。 「おやおや。杏仙さんがお珍しいことで……」 と四人の老人が言葉をかけると、 「心にまぷしき春草の色なんて歌う珍客がおいでたので、 是非、お目にかかりたいと思ってお伺いしたのですよ」 「珍客はここにおいでですよ。さあ、どうぞ」 十八公は三蔵を指ぎしながら言った。 「どうもはじめまして。 あなたのような有名なお方にお目にかかれまして、 ほんとうに光栄でございますわ」 挨拶をされると、三蔵は思わず顔を赤らめたが、 何も言わないでコックリと頭をさげただけであった。 「あなたもお坐りになられてはいかがです? いつまでもそんなところにつっ立っていないで」 凌空子がすすめるので、杏仙はやっと腰をおろした。 「時に歌はどうなりましたの? さあ、私に遠慮なさらないで、 どうぞあとを続けて下さいな」 「いやいや、我々は皆、 川柳もどきで処置のない文句しか 口をついて出て来ないが、 この方は感傷的で 詩の本質にふれるものを持っておいでだよ」 と払雲叟が言った。 「では、私も教えていただこうかしら。 ねえ、和尚さま。 教えて下さらないこと?」 美女の甘い声でささやかれると、 三蔵は心が縮まるような思いがした。 その初心な態度を見ると、四人の老人はますます面白がり、 「杏仙さんよ。 いいから上の句をつくってごらん。 和尚さんがあとをつけてくれるから」 「じゃ、これはどうかしら、 濡れつばめあだな姿に目もやらず」 「うまいぞ。うまいぞ。 そのまま、さっきの、 心にまぶしき春草の色 と続ければ、立派な情歌になるじゃないか。 杏仙ははじめからその狙いがあったに違いない、 どうだ、あたっただろう?」 と人々は手を叩いて喜んでいる。 「いえいえ、ただ聖僧の歌を耳にしたので、 こんな具合につづけたらどうかしらと思って 口にしてみただけですわ。 ね、和尚さま、ご意見をきかせていただけませんこと?」 しかし、三蔵はもじもじするばかりで、 唖のようにだまりこくつている。 それを見ると、杏仙はますますイットを感ずるのか、 「人生は長いようで短いのですから、 思った通りに好きなことをおやりにならないと損ですわ。 ね、皆さん、そうお思いになりません?」 「杏仙さんがそうおっしゃっているのが、 きこえませんか?」 と十八公が脇から口添えをした。 「これは杏仙さんが あなたに恋心を打ち明けているのですよ。 歌心を解する人なら、 憐れみの何たるかをご存じないわけもないでしょう」 「聖僧に女を世話するのに 匹夫野人の方式というわけには行かないよ」 と孤直公が言った。 「さようさよう。我々が迂闊であったな」 と払雲叟が言った。 「杏仙さんにその気持がおありなら、 ひとつ儂と十八公が仲人をつとめ、 孤直公と凌空子に親代りになってもらうとしようか。 そうすれば、万事うまくおさまるじゃないか」 さすがの三蔵もジッとしておられなくなり、 色をなして立ちあがると、 「あんたらは一体、どこの仲人魔です? ここは花嫁学校の同窓会なんですか?」 と大きな声で怒鳴りはじめた。 |
2001-02-25-SUN
戻る |