毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第六巻 経世済民の巻
第五章  亜流極楽

二 小西天にも銀座あり

さて、冬もすぎて、再び草木が芽を吹きはじめる頃、
四人ほまたも見るからに険しそうな山に
行く手をさえぎられてしまった。
山は日の届く限り天まで続いていて、
人の足では到底越えられそうにない。
「あの山は海抜何千尺くらいあるだろうな」
と三蔵は上を見あげて、
「あの山の頂上へあがると、
 そのまま天界へ行けるような気もするけれど……」
「ハッハハハ。
 “只、天アルノミ、コレニ並ブ山ナシ”
 と歌にもうたわれているじゃありませんか。
 山は遂に山で、天にならぷわけはありませんよ」
と悟空は答えた。
「しかし、
 崑崙山のことを俗に天柱というじゃありませんか」
と八戒がすぐに嘴を出した。
「天に接していなかったら、天柱とはいえないだろうに」
「それは崑崙山が西北に位置しているからだよ。
 西北というのは大体、天を天としない種族が
 赤旗をふって肩を聳やかしているところでね、
 天は俺たちによって支えられていると信じているからさ」
「ハッハハハ……」
と沙悟浄は腹をかかえて笑いながら、
「そんなシャレを言っても、八戒兄貴には通じませんよ。
 それょりも早く山を登って
 向う側へわたろうじゃありませんか」
「そうだ。そうだ」
悟空が白馬の尻に鞭をあてると、
白馬は矢の勢いで走り出した。
三人は負けじとそのあとを追って行く。
忽ちにして頂上を越えると、
四人は西側のなだらかな平地へ出てきた。

と、彩雲たなびく間から、
楼台殿閣のそびえているのが見える。
「おお」
と思わず三蔵は声をあげた。
「あすこはどこだ。
 いよいよ雷音寺に着いたらしいぞ」

なるほど見るからに古色蒼然として、名刹の趣がある。
今までに見た如何なる寺院よりも見かけが立派で、
かねて話にきいていた雷音寺の姿もかくやと
思われるものであった。
「しかし、お師匠さま」
と悟空は浮かぬ顔で言った。
「外見は雷音寺そっくりだけれども、
 どうも何となく様子が違いますよ」
「そんなバカなことがあるものか。
 雷音寺そっくりなら、
 雷音寺にきまっているじゃないか」
「いやいや、
 雷音寺へは私も何度か行ったことがございますが、
 こんな道ではなかったような気が致します」
「仮に雷音寺でなかったとしても、
 雷音寺のような雰囲気をつくって住もうという人は、
 そう悪い人ではない筈だ」
と八戒は言った。
「ここで争っても仕方がない。
 雷音寺であるかどうか、
 あの門をくぐればわかることじゃありませんか」
と沙悟浄が言った。
「そうだ。そうだ。論より証拠」

四人が山門の前までくると、
三蔵は山門の額を見るなりあわてて鳥をおりた。
「バカ猿め!
 すんでのところで大恥をかくところだったじゃないか。
 雷音寺と大きな字で書いてあるのが見えないかい?」
「そんなに腹を立てないで、よくよく見て下さいよ」
と悟空は笑いながら、
「看板に出ているのは三字じゃなくて四字です」

言われてもう一度見上げると、
なるほど雷音寺ではなくて小雷音寺と書いてある。
「なあんだ。
 銀座かと思ったら、
 大森銀座か目黒銀座といったところか」
と八戒がチャチャを入れた。
「たとえ目黒銀座でも
 銀座というからには柳が植えてあるだろう」
と三蔵が言いかえした。
「それと同じように、
 小雷音寺でも富者寺と名がつく以上は、
 仏様がお祭りしてある筈だよ。
 経典にも諸仏三千と書いてあって、
 たとえば観音菩薩は南海に、
 普賢菩薩は蛾眉山に、文殊菩薩は五台に
 といった具合にそれぞれ選挙区が違っている。
 ここほどの菩薩の選挙区か知らないが、
 必ずやどなたかがおいでになるに違いない」
「いやいや、君子危きに近よらずですよ。
 誰かいることは間違いありませんが、
 仏か鬼かわかったものじゃありませんからね」
と悟空はひきとめた。

しかし、三蔵はどうしても中へ入ると言ってきかず、
八戒に命じて袈裟や僧帽をとり出させると、
衣装を整えて山門をくぐった。
「三蔵や。来方が遅すぎたぞ」

どこからともなく人の声がしたので、
三蔵も八戒も沙悟浄もあわててその場にひざまずいた。
しかし、
悟空だけは豪然と胸を張って奥の方をにらみつけている。

この門をくぐると、如来大殿がある。
殿下には五百羅漢や二千掲諦、四大金剛、八菩薩、比丘尼、
その他無数の弟子たちがたむろしていた。

その賑やかさに目を奪われた三人は、
膝をついたまま一歩一歩と霊台へ近づいて行ったが、
その時、蓮台の上からまた声がして、
「やい、孫悟空。頭が高いぞ」
「何を抜かすか、イカサマ仏め!」

手に握った如意棒をふりかざして、
悟空がおどり出ようとするそのはなに、
ガラガラと音がしたかと思うと、
突然、天から一つの大銅鑼がおちてきて、
あっという間に悟空を中に挟みこんでしまった。

と、今まで講釈をきいていたふりをしていた
羅漢や掲諦が一せいに立ち上がって
残りの三人を包囲してしまったので、
三人は忽ち縄目にかけられてその場に繋がれてしまった。

如来の座に坐っていたのは、
それは如来の姿に身をやつした魔王だった。
魔王は子分たちに三人の捕虜を通れて行かせると、
三蔵の着ていた袈裟や僧帽を
行李の中に蔵いこんでしまった。

一方、大銅鑼の中に挟みこまれた悟空は
暗闇の中で力任せにあちらこちら突き破ろうとしたが
銅鑼の壁はピクリともしない。
如意棒をとり出して、
「大きくなれ」
と叫ぷと、如意棒は千尺の長さになるが、
大銅鑼も一緒になって大きくなるので、
さっばり手応えがないのである。

今度は
「小さくなれ」
と自分の身体を縮めて、菜種大の小ささになってみたが、
銅鑼もまた一緒になって縮むので、
効果がないのは前と同じこと。

仕方がないので、
悟空は後頭部の毛の中から長いのを二本選び出して、
ブーッと息をふきかけると、二本のドリルが現われた。
それを如意棒の両端にとりつけて、
上へ下へとグルグルまわすが、金属のカチ合う音ばかりで、
全然穴のあきそうな形跡も見えない。

さすがの悟空もすっかりあわてて、
静法界、乾元亨利貞」
と唱えた。

すると、五万掲諦、六丁六甲、
十八位護教伽藍がすべて銅鑼のまわりへ集まってきて、
「大聖。
 私たちは三蔵法師をお守りするのに忙しいのに、
 どうしてまた私たちをお呼びになられるのですか?」
「俺の止めるのもきかないで
 悪魔の罠にかかった奴はどうにでもなりやがれだ」
と悟空は苛立たしそうに、
「とにかく何とか方法を講じてこの大銅鑼をこじあけて、
 俺を外に出しておくれ。
 この中は真暗闇で今にも窒息してしまいそうだ」

諸神は早速あれこれと手をつくしてみたが、
もとより力の及ぶところではない。
「大聖。
 こりゃどういう仕掛けになっているのか知りませんが、
 上と下とぴったりくつついていて、
 私の力ではとてもあきそうにありません」
と金頭掲諦が言った。
「いや、俺の方でもあの手この手とやっているのだが、
 どうにもならないのだ」

悟空の声をきくと、
掲諦は後事をあとの者に託してすぐ南天門を駈けあがり、
まっすぐ霊宵殿へ報告にとんで行った。
「では二十八宿をつかわすことにしよう」

玉皇上帝から直ちに命令が出たので、
掲諦は二十八宿星を伴って
夜の夜中に小雷音寺へ戻ってきた。
「玉帝があなたのために、
 わざわざ二十八宿をおつかわしになりましたよ」
「そいつは有難い」
と悟空は大喜びで、
「かまわないから、この銅鑼を打ち砕いて下さい」
「いやいや。
 銅鑼を打ち鳴らして
 魔王を呼びおこすわけには行きませんよ。
 我々が何とかして、あいだをこじあけてみますから、
 少しでも明りがさしこんだら、
 そこから逃げ出して下さい」
「よしよし。わかったよ」

二十八宿は早速、
槍や剣や刀を使ってこじあけにかかったが、
いやはや、どうして、二つの銅鑼はハンダづけをしたよう
にぴったりとくっついたままなのである。
「大聖。あんまりいらいらしないで下さい」
と二十八宿の一人の亢金竜が言った。
「こいつは伸縮自在の特殊金属らしいから、
 あなたはつぎ目のところに手をあてて待ってて下さい。
 私が角の先でこじあけてみますから、
 もし少しでも隙間が出来たら、
 そこから脱け出して下さい」
亢金竜は身体を縮めると、
自分の角を一本の錐のようにとがらせて、
銅鑼と銅鑼の合わせ目からグッとなかに突きさして行った。
「ウム、ウム」
と満身の力をこめてやっと少しばかり中へ入った。
「長くなれ。長くなれ」

角がのびて行くと、
金属と金属のつぎ目に隙間ができるかと思いきや、
まるでゴムのようにぴったりと密着したまま離れない。
「こりゃ弱った。
 お前には気の毒だが、少し痛いのを我慢してくれ」

悟空は如意棒をとり出してぷっと息をふきかけると、
如意棒は忽ち錐に早変りした。
それで角の先に穴をあけると、
自分はその穴の中へもぐりこんで、
「さあさ。角を抜いた!
 もっと力を入れて!
 もっと力を入れて!」

ウンウンと唸りながら、
やっと角を抜き出した亢金竜は
力あまってその場にひっくりかえった。

その角の中からとび出した悟空はもとの姿にもどると、
如意棒をとり出して、
「えいッ」と力任せに大銅鑼を殴りつけた。
ガラガラドーンと大爆発の音がして、
さしもの大銅鑼も木端微塵。

夢を破られた魔王は急いで床から這い出すと、
小妖怪どもを集めて、宝台の下へとんできた。
見ると、こわれた大銅鑼のまわりに
悟空をはじめ二十八宿が立ち並んでいるので、
びっくり仰天して、
「それッ。前門をしめて此奴らをとり逃がすな」
と叫んだ。

しかし、それより一瞬早く、
悟空と二十八宿は門をとび出して中空へかけあがっていた。
「よくも俺の大事な宝物をこわしやがったな」

歯ぎしりをしながら、魔王はあとを追っかけてくる。
「やい。孫悟空。
 お前も男なら、うしろを見せずに、前を見せたらどうだ」

そう言われると、悟空も足をとめて、こちらへふりむいた。

見ると、ボサボサした頭に金色の輪をかぷり、
きらきら光る眼の上に黄色い眉毛が二すじ。
鼻の穴は天井を向き、口は真四角。
手には短い狼牙棒をにぎり、獣のようにも見えるし、
獣でないようにも見えるし、人間のようにも見えるし、
人間でないようにも見える。
「やい。お前はどこの何という化け物だ?」
と悟空は怒鳴った。
「化け物なら化け物らしく
 一宗一派をひらけばよさそうなものを、
 小雷音寺とは情ないじゃないか」
「おやおや。
 ここがどこかも知らないで、
 この田舎猿はやってきたのか。
 知らなくば教えてやろう。
 ここは小西天といって、黄眉老仏の縄張りだ」
「老仏だか、お陀仏だか知らねえが、
 小西天とはまたスケールの小さい化け物じゃないか。
 田舎の銀座なら田舎の銀座らしく、
 本物の銀ブラヘ行く人を通らせたらどうだ?」
「大体、田舎者は銀座へばかり行きたがる。
 本物の銀座は歌にうたわれたり
 小説に書かれたりするから、
 どんな素晴らしいところかと思うだろうが、
 本当は柳だって栄養不良の肥やしのきかない柳だし、
 きれいな恰好をして歩いているが、
 人間だってポケットの中はからっぽな奴が多いんだぜ。
 悪いことは言わねえから、お経の買い物なら、
 小西天銀座ですませてかえるがいいぞ」
「ハッハハハ……」
と悟空は声を立てて笑いながら、
「何の話かと思ったら、小西天銀座の暴力カフェーか。
 客引きなら女を先に出して、
 暴力団は金を払う段になってから顔を出す方が
 戦術としてうわてだぜ」
「何をッ」

黄眉大王は狼牙棒をふりあげると、
悟空の頭をめがけて打ちかかってきた。
悟空はそれをがっちりとうけとめると、
これまた負けずに打ちかえして行ったが、
五十回あまり打ち交わしても一向に勝負がつかない。

はたで見ていた二十八宿と五方掲諦は
手に持っていた武器を一せいにふりあげて、
ドッとばかりに魔王をとりまいたが、
魔王は些かもひるまず、
片方の手に握った狼牙棒で押しよせる軍勢を払いのけて、
もう一方の手で腰の間から
古いハンカチのようなものをとり出した。

それを空に向って投げあげると、ヒューンと音がして、
悟空はいうに及ばず、そばにいた二十八宿や
五方掲諦もろともその中へ包まれてしまった。
そして、それを袋のようにくるりとしばって、
肩に背負うと、魔王は鼻歌まじりで、
小雷音寺へひきあげて行った。

2001-02-27-TUE

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