毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第六巻 経世済民の巻
第五章  亜流極楽

三 義勇軍は兵に非ず


気がついて見ると、
悟空も天兵たちもグルグル巻きになって、
柱につながれている。

やがて夜になると、
どこからともなく人の泣き声がきこえてきた。
「ああ。悟空。
 最初からお前のいうことをきけば、
 こんなことにはならなかったのに!」

きいたことのある声だと思ったら、それは三蔵の声である。
「私がこうしてひどい目にあっているのを知っているのは
 お前だけだというのに、そのお前は大銅鑼の中だし、
 何とかしてお前を助け出してやりたいと思っても、
 私はこの通りだし……」

じっときいていた悟空は、
「やっばりお師匠さまは、俺のことを思ってくれている。 
 さっきは勝手にしやがれと思ったが、
 お師匠さまはやっばりお師匠さまだ」

感激を新たにした悟空は遁身法を使って
縄の中から脱け出すと、三蔵のそばへ近づいて、
「お師匠さま」
と小声で呼んだ。
「おや、悟空じゃないか。どうしてここへ出て来られた?」
「いや、
 お師匠さまのおかげで私までひどい目にあいましたよ」
と悟空がこれまでの経緯を話すと、
「私が悪かった。
 これからはお前のいうことをきくから、
 どうかこの縄をほどいておくれ」

先ず三蔵の縄を解くと、悟空は続いて、八戒、沙悟浄、
二十八宿、五方掲諦と、縄を解いて行った。

一同が門を出ようとすると、
悟空は荷物のことを思い出して、奥へひきかえそうとした。
「荷物なんかどうでもいいじゃないですか。
 生命が無事だったんですから」
と亢金竜が言った。
「生命も大切だけれど、荷物も大切なんだ。
 あの中には関文も入っているし、
 お師匠さまの金襴袈裟も入っている。
 どれも要らないというわけには行かないよ」
「じゃ、兄貴、俺たちは一足先に外へ出て待っているぜ」

八戒が先に立って、一同はこっそり外へ脱け出した。

時は草木もねむる丑満時である。
悟空はゆっくりと裏手にまわると、
そこから楼閣の中へ入ろうとした。
しかし、どの戸も窓も厳重に戸締まりがしてある。

悟空は揺身一変、一匹の蝙蝠に化けると、
屋根の隙間から、家の中へ忍びこんだ。
家の中を次から次へと奥へ入って行くと、
第三層の建物の窓のあたりで
ホンノリと光を放っているものがある。

近づいて見ると、
はたして三蔵の金欄袈裟を包んだ風呂敷包みであった。
悟空は大喜びで、本性を現わすと、
やにわにそれを手にとって駈け出そうとした。
その途端に足が滑ってバタンと音を立てたから、
階下でねていた魔王はびっくりしてはねおきた。
「人がいるぞ、人が!」

小妖怪たちが明りをつけてとび出してくると、
「や、坊主たちがいない」
「ほかの者も逃げたぞ」

魔王は急いで部下の者に門を守るように命じた。
その物音をきいて悟空は
せっかく見つけた風呂敷包みをとるのも忘れて、
夢中になって家の中から逃げ出してしまった。

家の中をくまなく探しまわったが、
三蔵をはじめとして捕虜たちの姿は見えない。
そのうちにまた夜が明けてきたので、
魔王は狼牙棒を手にとると、
手下をひきつれて門外へ出てきた。
「それ。化け物がまた現われたぞ」

二十八宿と掲諦と六丁六甲と、
さては八戒、沙悟浄まで一緒になって、
一せいに迎撃体制を整えたが、魔王はおじけづくどころか、
カンラカンラと笑いながら兵を進めてきた。

忽ち大合戦がはじまった。
魔王が、
「それッ」
と合図をすると、
数千人の小妖怪がドッとばかりに押しよせる。
双方入り乱れて死闘を展開しているところへ、
「俺だ、俺だ」
といって悟悟もとびこんできた。
「兄貴、荷物はどうだった?」

八戒がきくと、
「荷物どころの騒ぎじゃない、
 生命からがら逃げ出してきたところなんだから」
「化け物が来たぞ。早く早く」

沙悟浄の叫ぷ声に、急いでふりかえると、
魔王はこちらを目指して突進してくる。
三人は手に手に武器をとりなおして、立ち向って行ったが、
三人が束になってかかって行っても
魔王は猛然と打ちかえしてくる。

そのうちにあたりが真暗になってきた。
事面倒と見た黄眉大王はまたも腰のあたりから、
例の布地をとり出してきた。
それを見てとった悟空は、
「いけねえ。逃げた、逃げた」

他の者にかまうひまもなく、
斗雲を御して空高くとびあがった。
その瞬間に、八戒と沙悟浄をはじめ、
折角、逃げ出した連中はまたも袋の鼠になってしまい、
もと通りしばられて
今度はあなぐらの中へとじこめられてしまった。
「やれやれ、折角の努力も水の泡か」

ただ一人あとに残された悟空は、
空を仰いで三嘆することしばし。
「玉帝のよこしてくれた援兵でもあの通りの始末だ。
 いま一度頼みに行っても、結果は同じことだろう。
 それよりは武当山の蕩魔天尊のところへ頼みに行った方が 
まだいいかもしれない」

ほかにいい考えもないので、悟空は斗雲に乗ると、
南瞻部州の武当山へやってきた。

蕩魔天尊は浄楽国王と善勝皇后の間に生まれた王子で、
元来は王位を維承すべき地位にあった
が、生まれつき武芸に秀で、
国璽を押したり外国の使節に謁見したりすることは
気性に合わなかったので、王宮をとび出して、
今は山中に居を構えている。
言ってみれば地方軍閥のようなものであるが、
玉帝から真武という勅号を与えられ、
天下公認の地方勢力となっている。

悟空が門を入って、案内を乞うと、
霊官が天尊の住む太和宮へ案内してくれた。
「突然、お伺いしたのはほかでもありません。
 ぜひぜひお力をかしていただきたいことがあるのです」

悟空がこれまでのいきさつを話すと、天尊は、
「ほかならぬ大聖の願いとあれば、
 素気なくお断わりすることもできませんが、
 しかし、今の私は天界からの命令がなければ、
 むやみに兵をおこすことの出来ない立場に
 おかれているのです」
「というと、天界の植民地になってしまったのですか?」
「いやいや」
と天尊はあわてて首をふった。
「我が国でも、文化人グループと称する者の中には
 そんな論をなす者がありますが、
 今は集団保障制度の世の中で、
 一国が戦争をはじめるとそれが全宇宙に及ぶという
 連鎖関係になっているのですよ」
「しかし、“天に代りて不義を討つ”べき時にも、
 それが出来ないとは
 不自由きわまる話ではございませんか?」
「ですからそういう時は表立って兵を動かさずに
 義勇軍として出兵させればよろしいんですよ。
 たとえば私が檄をとばして
 宣戦布告をするわけには行きませんが、
 私の片腕の亀将軍、蛇将軍と、五大神竜が
 自分らの意志であなたの味方をするのを
 ひきとめるわけには行きませんな」

そう言って蕩魔天尊はニヤリと笑った。
「では私の味方を私にひきあわせて下さいませんか」
「それは一向にさしつかえありませんとも」

話はたちまちまとまって、亀、蛇二将軍と竜神は、
それぞれ部下をひきつれて悟空と共に小西天へやってきた。

黄眉大王はこの一日二日、悟空の姿が見えないので
手持ち無沙汰で弱っていたところを、
「孫悟空が亀相、蛇相の化け物を連れてやってきました」
と手下から報告があったので、
喜び勇んで小雷音寺の中からとび出してきた。
「やい。手前らはどこの何者だ?
 何用あってここへやって来た?」
「何用あってここへ来たかは、
 自分の胸に手をあててよおく考えてみるがいい。
 俺たちは武当山からやってきた義勇軍だが、
 悪いことは言わないから、
 捕虜にしている三蔵をはじめ皆の者を
 おとなしく引き渡すがいい。
 さもないと、お前の生命ほおろか、
 この寺を山ぐるみ焼き払ってしまうぞ」
「何を小癪な、どちらが生命をもらうか、
 束になってかかって来い」

悟空と七人のサムライが一緒になって立ち向って行ったが、
物の一時間もたたかうと、
黄眉大王はまたしても腰の袋をほどきにかかった。
「危いぞ。気をつけろ」

悟空は皆の注意を喚起しながら、
早くも空へとびあがったが、
他の者はうろうろしているうちに
一人残らず袋の中へ吸いこまれてしまった。
魔王が新しい捕虜をまたしてもあなぐらの中へ
とじこめてしまったことはいうまでもない。

2001-02-28-WED

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