毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第五章 亜流極楽 |
四 禁じられた遊び 斗雲にのって、中空にとびあがった悟空は、 黄眉大王が兵をおさめて山門へ入って行くのを見届けると、 山の上へおりてきた。 思案にあまって、 腕組みをしたまま空の一角を睨んでいると、 突然、雲が山にかかってその中から、 「悟空じゃないか」 と声がかかった。 びっくりして頭をあげると、 大きな耳にでっぷりした身体の坊さんが こちらへ歩いてくる。 「これはこれは。 南無弥勒菩薩さまではございませんか」 あわてて悟空は両手を合わせた。 「今日はまたどうして、 こちらへおいでになられたのですか?」 「ほかでもない。 この小雷音寺の化け物をとらえにきたんだよ」 と弥勒菩薩は答えた。 「そいつは有難い。 ですが、どうしてまた私があの化け物で 手古摺っていることをご承知なのでございますか?」 と悟空がきいた。 「実は、奴は私の使い走りをしている黄眉童児でね。 三月三日に私が元始会へ行っている間に 私の宝物を盗み出してきて、 ここで小西天の開業としゃれこんだことを知ったんだよ」 「すると、奴の宝物は菩薩さまの持物でございますか?」 「うん。 あの袋は私のマソトの幌でね、 奴の持っている狼牙棒は 私の愛用している楽器を叩く棒なんだよ」 「フーン」 と途端に悟空は鼻先でせせら笑った。 「すると、奴をここへ送りこんで 雷音寺の支店びらきをさせた張本人は あなたなんですか?」 「お前がそういうだろうと思っていたよ」 と弥勒菩薩は苦笑をしながら、 「たしかにこれは私の不始末だけれど、 もう一つにはお前のお師匠さんや お前たちの受けるべき災難が まだ終っていないせいでもあるのだよ」 「しかし、災難の種を蒔く人が 同時にまた厄払いをする人でもあるというのは どういうわけなんです?」 「私が厄払いをしてあげるのでは不満かね?」 「いやいや」 と悟空はあわてて手をふった。 「菩薩以外に奴を料理できるお方がいらっしゃらないことは よくわかっておりますが、 空手でどうやって奴の武器をとりあげるのですか?」 「ハッハハハ……。 私はここで藁小屋を立てて、瓜でも植えることにするよ」 「瓜を植えてどうなさるんです?」 「お前はあすこへ行って奴をおびき出してくるんだ。 そして、素早く熟れた瓜に化けて 畑の中へもぐりこむがいい。 奴が私に瓜をくれといったら、 お前を手にとって奴にわたすから、 そうしたら、お前は奴の腹の中へ入るがいい。 あとは焼いて食おうが煮て食おうが、 お前の勝手じゃないか」 「そいつはうまい考えだ。 ですが、たくさん実った瓜の中で、 どれが私の化けた瓜か見分けがつきますか?」 「そんなことがわからないで 弥勒菩薩がつとまると思うかね?」 と菩薩は笑いながら、 「それよりも折角、お前がおびき出しにかかっても、 奴があとについて来なければ困るから、 おまじないをしておいてあげよう」 弥勒は悟空に左手を出させると、 その掌に「禁」という字を書き、 拳を握ったまま小雷音寺に乗り込み、 魔王が出て来たらひらいて見せるようにと言った。 「どうしてまた禁という字を見たら 奴はついて来るのですか?」 「来いといえば来ないが、 来るなといえば来たくなるのが人情だろう。 それだけのことさ」 教えられた通り拳を握りしめると、 悟空はもう一方の手に如意棒を持ち、 真直ぐ山門へ近づいて行った。 「やい。化け物。もう一度出て来て勝負を致せ」 黄眉大王が顔を出すと、悟空がただ一人立っているので、 「ボケ猿め、 助太刀を頼みに行く先がなくなったと見えるな。 今度こそ年貢をおさめさせてやるぞ」 武装をととのえると、 魔王は威風堂々と門の中から出てきた。 「アッハハハ……。 今度という今度はお前も万策つきはてたと見えるな」 「万策つきたとはどういうわけだ?」 「どういうわけか自分のまわりを見まわせばわかるだろう。 天は我に味方すと大きなことを言っていたが、 天兵の一人もいなくなったじゃないか」 「ハッハハハ……。 減らず口を叩くよりも、俺のこの痛棒をくらえ」 悟空が威勢よく片手で如意棒をまわしはじめると、 「なかなか曲芸はお見事じゃないか。 しかし、片手じゃ力が入るまいよ」 「バカいえ。 坊やのお相手に両手を使う必要があるものか。 もしあの乞食袋を使わなければ、 お前のような奴がもう三人束になってかかってきても、 この俺にはかなうまいぜ」 「よしよし。 お前がそういうなら、今度は奥の手をやめて、 腕と腕で男と男の勝負をしよう」 そう言って魔王は狼牙棒をふりあげると、 悟空めがけて打ちかかってきた。 悟空は如意棒でそれをうけとめながら、 もう一方の手をひらいた。 すると、魔王は退くことを忘れて猛然と前進してくる。 頃合いと見て、悟空はうしろを見せて走り出した。 すると、魔王はまっしぐらにあとを追ってきた。 悟空は瓜の畑が見え出すと、大急ぎでその中にとび込み、 素平く一つの熟れた瓜に姿を変えた。 悟空の姿が俄かに消え失せたので、 魔王はあちこち見まわしたが、 やがて藁小屋のあるところへすたすたと歩いて行った。 「この瓜は誰の植えたものだ?」 声をかけると、よぼよぼの老百姓が中から出てきて、 「ハイ、私のつくったものでございます」 「熟れた瓜はないのか?」 「そうですね。 さっき見たら一つくらいあったように思いましたが……」 「あれば、一つとって来てくれ。 ああ、喉がかわいた、かわいた」 老百姓に化けた弥勒菩薩が 悟空の化けた瓜を両手に持ってうやうしく捧げ出すと、 魔王は手にとって口の中へ入れようとした。 その瞬間をねらって、 魔王の口から喉元を通りすぎた悟空は 魔王の胃袋の中で大きくもんどりを打った。 「アイテテテテ……。助けてくれ」 魔王が悲鳴をあげるのを見ると、 弥勒菩薩は本性を現わして、ニタニタ笑いながら、 「これ、私の姿に見覚えがあるかね」 「アイテテテテ……。助けて下さい。お願いです」 しかし、悟空は恨み骨髄に徹しているから左に一打ち、 右に一蹴りと無茶苦茶にこづきまわしている。 その痛みに耐えかねて、魔王が地べたにひっくりかえると 、 さすがの菩薩も、 「悟空や、もうカタキは十分討っただろう。 袋は私の手元にかえったから許してやりなさい」 「許してもらいたかったら、口をあんぐりあけろ」 魔王が青息吐息で大きな口をあけると、 中からとび出した悟空は さっと如意棒を握りなおして身構えた。 しかし、その時、 魔王は既に弥勒菩薩の袋の中におさめられてしまっている。 「悟空や、私の大銅鑼をさがしに行こう」 菩薩に催促されて、悟空は小雷音寺の門をくぐった。 |
2001-03-01-THU
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