毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第六章 インスタント・ドクトル |
二 お買い物上手は 一方、会同館に残された弟子たちはすぐ飯炊きにかかっが、 「こりゃ困ったぞ。 飯はどうやら炊けるが、おかずは料理の仕様がないや」 と沙悟浄が言い出した。 「そりゃまたどうして?」 と悟空がききかえすと、 「塩も油も醤油も酢も全然ありゃしない」 「そいつはうっかりしていたな。 ここにいくらか小銭があるから、 八戒に買いに行ってもらうとしよう」 「いやいや。俺じゃ駄目だ。 この面さげて出かけて行って喧嘩にでもなった日にゃ、 お師匠さまに申しわけないからな」 「何を言ってやがるんだ。 タダくれといっているわけじゃない。 金を払って物を買う分には色男も醜男もないじゃないか」 「でもさっきのあの騒動はどうだ。 俺が顔をあげただけで、 おったまげてひっくりかえった奴が 何十人もあったじゃないか。 この上、俺が人ごみの中を歩いたら、 どんなことになるか見当もつかないよ」 「人ごみ人ごみというけれど、 あの市場で何を売っているか見なかったのか?」 「うんにゃ。 何しろお師匠さまが頭を低くして頭を低くして と言うものだから、地面ばかり見て歩いていたよ」 「そうだろう。 そうでなけりゃ俺が誘うより先に、 お前の方から買い物に行こうと言い出している筈だよ。 ここは意外に物資豊富な土地柄と見えて、 酒屋、米屋、雑貨屋はいうに及ばず、喫茶店もあれば、 ギョウザ屋もあれば、ラーメン屋もあるし、 罐詰のライスカレーからインスタントラーメンから インスタントおすましのもとに至るまで、 ずいぷん珍しいものが山ほど積んであったぜ」 「どうしてそのことを先に言ってくれなかったんだ?」 と俄かに心を動かされて、八戒は立ちあがった。 しかし、何を思ったか、またその場に坐りなおすと、 「いや、やっばりやめておこう。 折角、町へ出て行っても 涎たらしてかえってくるだけではつまらないからな」 「お前にしては珍しく弱気じゃないか。 さては嚢中一文なしなんだな? 心配をしないでも、お前が買い食いをするくらいの金なら 俺がここに持っているよ」 「そいつは有難い。 やっぱり兄貴は話せるな。 兄貴がその気持なら、 俺だって次の機会にはうんと奮発しておごるぜ」 「じゃ一緒に出かけるとしようか。 沙悟浄、いつもお前に留守番ばかりさせて気の毒だが、 あとを頼むよ」 沙悟浄の方を向いて眼で合図したので、 沙悟浄も何かあるなと了解したと早え、 「どうぞ、いってらっしゃい。 私の分も忘れないように頼みますよ」 八戒は鉢を手にとると、 悟空のあとについて会同館をとび出した。 「もしもし、どちらへおでかけでございますか?」 と役人があとから追ってきた。 「いや、ちょっと調味料を仕入れてくるだけですよ」 「それならこの道を真直ぐお行きになって、 鼓楼のところを曲がれば鄭家雑貨店といぅのがあります。 そこなら味の素プラスでも、いの一番でも、 お望みのものが手に入りますよ」 二人は門を出ると、教えられた道を歩いて行った。 なるほどこの国は、 どうしてまたこう飲食店が多いのだろう。 看板を見ると、 中華料理、インド料理、ロシヤ料理、ハンガリー料理、 世界各国の料理をつくる店が軒を並べており、 そのあいだにジャズ喫茶や歌ごえ喫茶やシャンソン喫茶が サソドウィッチのように挟まっている。 ところが、悟空は物も言わずに、 それらの店の前を素通りして行く。 「兄貴、この店に入ろうじゃないか」 我慢がならなくなって、八戒が叫んだ。 「いやいや、もっと先に行けば、 もっと大きな店があるかも知れない。 知らない土地では、いきなり物を買うよりも 隅から隅まで見た上でどれを買うかきめた方がいい。 お買い物上手はご家庭の幸福と、 そこのショーウィンドに書いてあるじゃないか」 二人が言い合いながら歩いて行くと、 通行人は次第に多くなって、 押すな押すなの人だかりになってきた。 「兄貴、行くのをやめてひきかえそうじゃないか」 「バカ言え。 折角、ここまできたのに、ひきかえすという手があるか。 雑貨足はすぐそこだよ」 「でも押し合いへし合いで、 万一誰か怪我でもさせてみろよ。 ご馳走にありつくどころか、 俺たちの方が料理のタネにされてしまうぜ」 「そんなにいうなら、 お前はそこの壁のところで待ってろよ。 俺が一走りしてくるから」 八戒をそこに残したまま、 悟空は人の波をかきわけて進んだ。 進めば進むほど人垣は多くなってくる。 見ると、鼓楼の上に国王の布告が出ていて、 人々はその布告を見ようとして集まってきているのだ。 「朕、西牛賀洲朱紫国王、 業ヲ立テテヨリ四方ヲ平服シ、百姓ヲ安ソズ。 然レドモ近来、国事不祥ニシテ病ノ床ニ伏シ、 本国ノ太医良方ヲ盛レド未ダ調治スル能ワズ。 今ココニ広ク天下ニ賢士ヲ招カントス。 洋ノ東西ヲ問ワズ医薬ニ精通スル者アラバ 速カニ宝殿二参上スベシ。 幸イニシテ朕ガ病ヲ癒スコトヲ得バ、 社稷ヲ分チテ以テ之ニ酬イン。 ココニ布告ス」 人だかりの中からこの布告を見た悟空は、 顔をほころばせると、 「犬も歩けば棒にあたるというけれど、 全く家の中にとじこもっていちゃ、 金もうけのチャンスにはぶっつからないな。 よしよし、こうなったら、 調味料を買いに行くのはやめて医者の開業だ」 悟空は腰をまげて茶碗で土を一かきすると、 口に呪文を唱えた。 と、供かに一陣の風がまき起って、人々は乱れ足になった。 その隙に鼓楼の上にとびあがった悟空は、 布告文を剥ぎとって、 八戒の待っている壁のそばへ戻ってきた。 見ると八戒は壁にもたれかかって、 すやすやと居限りをしている。 「よしよし。おどかしてやれ」 布告文をそのままねている八戒の懐中に押し込むと、 悟空は素知らぬ顔をして会同館へかえって行った。 |
2001-03-03-SAT
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