毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第六巻 経世済民の巻
第六章 インスタント・ドクトル

四 悟空の処方


宦官たちの部屋を通り、真直ぐ国王の寝殿まで行くと、
悟空は三本の金糸を宦官にわたして、
「ではお后かお附きの方に、
 この糸を左腕の寸、関、尺のところに
 それぞれしばりつけて、
 窓から私のところへ出してくれるように
 おっしゃって下さい」

言われた通りに宦官が糸を国王の左腕に結んで
もう一方の端を持ってくると、
悟空は一本一本親指と人さし指、次は親指と中指、
次は親指と薬指といぅ具合に
二本の指で軽くひっばりながら、自分の呼吸と合わせた。
それが終ると、今度は右腕に結びなおしてもらい、
また同じように脈搏をはかった。
それから金糸をもと過り身沐にしまってしまうと、
「陛下の左手の寸脈は早く、関脈は緩やか、
 尺派は非常に遅うございます。
 また左手の寸脈はなめらかで、関脈はかたく、
 尺脈に至ってはこちこちになっておられます。
 左手の症状から申しますと、
 先ず心臓がどきどきなさる、汗をかかれる、
 小便も大便も血がまじっていられる。
 次に右手の脈から見ますと、
 血液の循環が悪い、消化不良で胃腸が重苦しい、
 寒気がしてゾクゾクする。
 そういうような症状ではございませんか?」

中できいていた国王は思わず、
「その通りその通り」
「それなら申しあげますが、
 これは雙鳥失群という病名だと思います」
「病名がわかったら、
 一ときも早く薬を調合してきてもらいたい」
「承知致しました」
悟空が出てくると、三蔵は待ちあぐねたように、
「どんな具合だった?」
「病名はわかりましたから、
 あとは一薬の調合をするだけです」
「さきほど神僧は雙鳥失群と申されましたが、
 それはどういう意味でございますか?」
と群臣がそばへよってきてきいた。
「たとえてみれば、
 メスとオスと二羽連れの鳥がいるとしますね。
 一緒に翅をならべてとんでいたのが、或る時、突然、
 暴風雨にあってハグレハグレになってしまいます。
 オスはメスに会いたくても会えない。
 メスはオスに会いたくても会えない。
 互いに想い思ってもどうにもならない。
 それが雙鳥失群ですよ」
「なるほどなるほど」
と群臣たちはしきりに頷いている。
「ところで処方の方はどうなされます?」
と侍医がきいた。
「処方は要りません。薬を見て使います」
と悟空は答えた。
「でも薬に八百八味あり、人に四百四病ありと申します。
 すべての病気が
 一人の人の身体に集中するわけはありませんから、
 すべての薬を使う道理はないのではないですか?」
「薬ハ方ヲ執ラズ宜シキニ合七テ用ウ、
 とむかしの人も言っているじゃありませんか。
 薬を忘全部集めておくのは、
 病状を見て適宜増減するためです」
悟空にそう言われると、
侍医もそれ以上議論することをやめ、
下役に命じて城下の薬臣から
すべての薬品を各三斤ずつ悟空におくるように手配した。
「ここは薬をつくるには不適当なところですから、
 薬品と容器の類は一切、
 会同館の方へ届けさせてくれませんか?」
悟空は侍医にあとを頼むと、
三蔵と一緒に宮殿を出ようとした。
と、そこへ奥から俄かに伝達があって、
三蔵法師を文華殿にひきとめるようにとのことである。
三歳は見る見る顔を青くして、
「見なさい。
 これは私を人質にしておこうという魂胆だよ。
 うまく病気がなおればいいが、
 万一にも病勢を悪化させてごらん。
 私も一緒にこの世からおさらばだよ」
「心配をしないでも大丈夫ですよ。
 私にはちゃんとした目算があるのですから」

悟空は三蔵をその場に残すと、
会同館へひとりで戻ってきた。
「兄貴、分ったよ」

迎えに出てきた八戒はニヤニヤ笑っている。
「分ったって何が分ったんだ?」
「お経を取りに行くのがバカらしくなったので、
 停年を待たずして退職をしたいんだろう。
 といって生計を立てるには元手がないし、
 そこで一計を案じて
 薬屋を開業しようという計画じゃないのか?」
「バカいうな。
 国王の病気をなおして、感謝の声に送られて、
 この国から出て行こうと思っているのに!」
「しかし、
 八百八味を各種三斤といえば
 合計で二千四百二十四斤だぜ。
 一人の人に飲ますのに、
 いくらなんでもこんなにたくさんは要らないだろう?」
「お前は何も知っちゃいないな。
 大体、医者なんてのは愚かな輩が多いから、
 単純な薬を使うとバカにする傾向がある。
 これだけたくさん集めておけば、
 どんな大処方が行われるかと
 尊敬の目で見るものなんだよ。
 アッハハハ……」
二人が腹を抱えて笑っているところへ
館の召使いが入ってきて、その場に跪きながら、
「神僧さま、長老さま、
 ご飯の用意ができておりますから、どうぞこちらへ」
「おやおや。
 さっきとこれはまた打ってかわった待遇じゃないか」
「申しわけございません。
 さきほどはこんな高貴なお方たちだとは
 夢にも思っていなかったのでこざいます」
案内されるままに三人は餐室へ入った。
「お師匠さまはどうなさったのです?」
と沙悟浄がきいた。
「お師匠さまは人質にされているよ」
「食べるものはちゃんといただいているのだろうか?」
「もちろん表向きは下にもおかぬ鄭重なもてなしさ。
 さきほども大臣が二、三人お供をして
 文華殿へ入られたくらいだから」
「それじゃ俺たちよりは大分待遇が上だな。
 でもまあいいさ、腹一杯食べさせてもらえば、
 こちらはそれでいいのだから」

やがて夜になった。
悟空は召使いたちに命じて蝋燭を持って来させると、
あとまた用事のある時は呼ぷからと言って追い出した。

あたりはすっかり暗くなって、
静まりかえったような静けさである。
「薬をつくるなら、そろそろとりかかろうじゃないか?」
と八戒が言った。
「じゃ大黄を一両ほど持ってきて細かくひいてくれぬか」
「大黄というと、毒はないが、
 苦く性は寒に属するものでしょう?」
と沙悟浄がききかえした。
「一名、将軍ともいって欝気を去るにはもってこいだが、
 衰弱した病人にはどうかな?」
「なあに。
 少しくらい身体にこたえても、
 陽の中にたまったものを一掃するから大丈夫。
 それよりお前は巴豆を一両とってきて
 殻と皮をむいて細かくひいてくれ」
「巴豆は毒性も強いし、肺腑の寒気を去るけれど、
 これも劇薬だしなあ」
「おやおや。お前はなかなか学があるじゃないか」
と悟空は笑いながら、
「いいから俺のいう通りにやってくれ」
「そのほかに何を使うんだ?」
「いや、それでおしまいだ」
「それでおしまいだって?
 八百八味を用意させて、
 たったの二両じゃ詐欺みたいなものじゃないか?」
「いやいや、他人に口外してもらっちゃ困るが、
 あとは鍋炭がお椀に半分ばかり」
「薬に鍋炭とはきいたことがないな」
「鍋炭は百草霜といって百病にきくものだ」

八戒が言われた通り鍋炭を削りにかかると、
「それが終ったら、今度はこのお椀に馬の小便を半杯」
「何だって? 馬の小便だって?」
「そうだ。馬の小便だ」

驚く八戒を見つめながら悟空はすましたものである。

2001-03-05-MON

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