毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第七章 戦争は悲し |
四 センチメンタル国王 悟空をのせた斗雲はたちまちの中に、 それとおぼしき高い山にさしかかった。 天にもとどく嶮しい山は見渡す限り濃い緑に覆われ、 あやしげな獣の声がきこえてくる。 「洞窟はどこにあるのだろう」 悟空が雲をとめて仔細に眺めていると、 突然、山の凹みから一条ののろしがあがった。 紅い焔と共にやがて煙がむくむくと湧きあがってくる。 煙だけかと思ったら、 砂ぼこりがそれに続いて吹きあげてくる。 「こいつはたまらねえ。火山の爆発だろうか」 悟空は目や鼻を覆ってしばらくの間、それに耐えていたが、 ふと銅鑼を鳴らす音がきこえてきた。 「うむ。どうも道を間違えたらしいぞ。 銅鑼を鳴らすのは兵隊を集める音だろうか。 化け物が旗を立てたり 銅鑼を叩いてまわるとも思えないし」 見ると、ちっぽけな妖怪が黄色い旗を立て、 背に文書箱を背負い、 銅鑼を叩きながらこちらへ向って走ってくる。 「なあんだ。銅鑼を叩いているのはこいつか。 どれどれ奴が何をしに行くのか、たしかめて見るか」 悟空は一匹の虫に化けると、 小妖怪の文書箱の上にとまった。 きくともなく耳を立てていると、 小妖怪は、 「うちのボスときたら、女に甘すぎるよ。 大体、三年たっても物にならない女のために、 何だって次から次へと宮女を連れてきてやるんだろう。 おかげで使いを出して赤札をかかされて、 さて、宜戦布告ではあまりいいざまじゃないのになあ」 耳をそばだてていた悟空は、急に文書箱からとび立つと、 一人の子供に化けて向うから歩いてきた。 「おじちゃん、どこへ行くの?」 顔と顔を合わせると、子供がきいた。 「これから朱紫国へ行くんだ」 「朱紫国へ何をしに?」 「朱紫国へ宣戦布告に行くところだよ」 「へえ? 宣戦布告だって? 戦争はよくないって学校の先生が言っていたよ」 「うん。戦争はたしかによくないな。 しかし、帝国主義者たちを相手にする戦争なら 正義の戦争だからやむを得ないよ。 学校の先生だって、平和平和と叫びながら、 しょっちゅう鉢巻きをして闘争をやっているだろう?」 「でも、どうして朱紫国に 宣戦布告をすることになったの?」 「朱紫国から官女を連れてくるのが 我が豸洞の既得権なのだ。 それなのに朱紫国の国王は 既得権を侵害したばかりでなく、 孫悟空とやらいう化け物をやとってきて、 我が国の使者に公然侮辱を敢えてしたんだ。 我が王は国の威厳を示すために、 一戦をまじえて帝国主義着たちをこらしめてやろう というわけさ」 「でも朱紫国からは お嫁さんを迎えられたそうじゃありませんか?」 「いくらお嫁さんを連れてきたって、 何の役にもたたないさ。 王様の方が片思いで、腫れ物にさわるように ご機嫌とりにいそがしいときているんだからね」 「それどういう意味?」 「子供が口を出すことじゃないよ。 さあ、そこをどいたどいた」 小妖怪が銅鑼を持ちなおして歩き出そうとすると、 悟空は如意棒をとり出して、 いきなり頭の上から一撃をあたえた。 可哀そうに小妖怪がその場にのびてしまったことは いうまでもない。 「しまったな。 あんまり急ぎすぎて、 うっかり名前をきくのも忘れていた。 まあ、いいや」 文書を袖の中にしまいこみ、 旗や銅鑼を道端に捨てようとして、かがみこむと、 小妖怪の死体から一枚のメダルがころがり出してきた。 見ると、 「小校一名、有来有去。背五尺。無舅鬚」 と書いてある。 「ハハハハ……。有来有去という名前だったのか。 折角いい名前を持っていたのに、 行きはよいよい帰りはこわい、になってしまったな」 悟空はメダルをとりあげて腰にぶらさげると、 そのまま敵の陣営へ押しかけて行くつもりだったが、 考えなおして死体を如意棒の先にひっかけると、 一先ず朱紫国へ戻ってきた。 金鑾殿の上空まできた悟空は、 空から小妖怪の死体を投げおろした。 下で待ちかまえている八戒は熊手を持ちあげると、 えいっとばかりに打ちおろした。 「化け物をやっつけたぞ」 八戒は思わず歓声をあげた。 「どういう化け物だ? 誰の手柄だ?」 悟空が笑うと、 「死体についた熊手の跡が見えないのか?」 「頭のある死体なのか、それとも頭のない死体なのか」 「チェッ」 と舌打ちをしながら八戒は思わず笑い出した。 「そうと知ったら熊手を動かすんじゃなかったよ」 「お師匠さまはどこにいる?」 悟空がきくと、 「殿中で国王の話相手をしているよ」 「じゃ、お前、 行ってちょっとここへよび出してきてくれぬか」 八戒が御殿に入って行くと、 やがて三蔵が階段をおりてきた。 悟空は宣戦布告書を渡して、 「しばらくしまっておいて、国王には見せないで下さい。 びっくりしてまたノイローゼが ぶりかえしてしまうかもしれませんから」 三蔵が文書を袖の中にしまいこむと、 そこへ国王がおりてきた。 「いや、どうもご苦労さまでした。 化け物の様子はいかがでしたか」 「あの階段の下にくたばっているのが お見えになりませんか? 私がやっつけた奴ですよ」 国王は遠くから見ると、すぐに、 「化け物は化け物に間違いありませんが、 これは賽太歳の死体じゃありません。 賓太歳はこの目で二回ほど見たことがありますが、 身の丈一丈八尺、顔はきらきらとして声は霹靂の如く、 とてもこんなチンピラとは似ても似つかぬものですよ」 「おっしゃる通りです。 これは太歳の手下の一連絡将校にすぎません。 まっさきに私にぷっつかったのが運の尽きで、 この通りただの一撃であの世へ行ってしまいました」 「でも大したものです。 私はこれまで何回となく人をやっていますが、 話ばかりで証拠になる獲物一つありませんでしたからね。 先ずは奥へ入って緒戦の勝利をお祝い致しましょう」 「いやいや。 祝い酒よりも片づけたいことがございます」 と悟空は言った。 「陛下におたずねしたいのですが、 別れにのぞんで金聖宮は 何か連絡の暗号をのこして行かれませんでしたか? もしそれがありましたら、 私にお教えいただきたいのです」 「ああ」 と国王は俄かに嘆声を発した。 「それだけの心の余裕があったらよかったんだが、 あの時は茫然自失で、 さよならの一つも言うひまがなかったんですよ」 「じゃ、何か皇后の遺品のようなものでもございませんか。 もしあったら一つ私にくださいませんか?」 「皇后の遺品をどうなさろうというのですか?」 「ご存じの通り、あの化け物の神通力は相当なもので、 小型原爆の実験をしただけで、 この朱紫国の空が放射能でよごれてしまうほどです。 さっき私が参りました時も、 核実験の再開をはじめていましたから、 簡単に降参させることが出来ないかも知れません。 仮にうまく降参させたところで、 金聖宮が一面識もない私のいうことをきいて 一緒に御殿へもどつてきてくれるとは限りません。 もし私が証拠になる品物を見せたら、 話は大分違ってくると思います」 「昭陽宮の化粧台のひき出しに 黄金宝串がしまってあります。 あれは金聖宮が腕につけていたものだが、 たまたま端午の日に糸をしばったりするので、 偶然はずしておいたものです。 あれなら彼女がふだん肌身離さずつけていたもの故、 きっと思い出してくれるだろう」 「じゃそれを私にかして下さい」 「でも、いまはそれが唯一の遺品なのです。 他人にとっては地金としての値打ちしかありませんが、 私にとってはセンチメンタル・バリューのあるものです。 あれを見ると、 彼女の姿が生き生きとよみがえってくるようです」 「そんなに大切なものなら、 一対でなくて、片方だけでも結構ですよ」 国王は玉聖宮に命じて、遺品を持って来させると、 自分の胸に押しあてて、 「ああ、ああ。忘れていないんだよ。 片時も忘れてはいないんだよ」 ポロポロと涙を流しながら、 やっとの思いで片一方をとって悟空に手渡した。 悟空はそれを自分の腕にはめると、 再び斗雲にのって麒麟山に向った。 山へおりて、洞門はどこだろうかとさがしているうちに ガヤガヤと人の声がきこえてきた。 目をこすってよくよく見ると、 豸洞の洞前広場で 五百人からの妖怪どもが勢揃いをしている。 悟空はしばらくためらっていたが、 もときた道をひきかえして、 さっき道端に捨てた小妖怪の黄旗と銅鑼をひろいあげた。 揺身一変、忽ち現われたのは、 行った時と同じ姿の有来有去である。 |
2001-03-09-FRI
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