毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第七巻 道遠しの巻 第一章 女たちとそのヒモ |
三 魔女の巣 遠くから抱えきれないほどの衣服を抱えて かえってきた悟空を見ると、八戒が真先に歓声をあげた。 「何だ。お師匠さまは質屋へさらわれて行ったのか?」 「質屋だって?」 と沙悟浄がびっくりしてききかえした。 「見ろよ。兄貴が抱えているあの色とりどりのキモノを?」 「これは化け物の着ていたものだよ」 と悟空は抱えていた衣類を投げ出しながら言った。 「へえ、どうしてまたそんなに沢山?」 「七人分さ」 「七人分もどうやって脱がせたんだ。 俺の経験じゃ 一人に脱がせるのも容易なことじゃないのに」 「脱がせるなんて、そんな芸当は俺にできやしないよ。 脱いで風呂に入っているところを 全部かっさらってきたのさ。 こうしておけば相手は女だから、 ハダカでもどってくるわけには行かないだろう。 さあ、奴らの出て来ないうちに、 早くお師匠さまをとりかえして来よう」 「ハハハ……」 と八戒は手を叩いて喜びながらも、 「兄貴はどうしてこうも片手落ちのことをするんだろうな。 なるほど奴らははずかしがって 真昼間に戻って来はしないかも知れないが、 夜になれば服をとりにかえってくるよ。 もしその時までに 我々がお師匠さまをさがし出せなかったら、 ここを立ち去ろうにも立ち去れなくなって、 アブハチとらずになってしまうじゃないか?」 「じゃ、お前の意見ではどうすればいいというんだね?」 「俺ならは先ず妖精どもを皆殺しにして禍根を断ち、 それからゆっくりとお師匠さまをさがすことにするな」 「そんな残酷なことは俺にはできん。 お前がやりたかったら、自分で行くがいい」 待っていましたとばかりに、 「よし来た」 八戒は喜び勇んで温泉めざして駈け出した。 温泉場では女たちが水の中にうずくまったまま、 とぴ去った鷹をまだ罵りつづけている。 「何てまあイヤらしい鳥かしら。 禿鷹かと思っていたら、エロ鷹じゃないの」 そこへ坊主頭の八戒がヌッと姿を現わしたから、 化け物たちの驚くまいことか。 「まあ、何をしにいらしたのよ」 「ハッハハハ……。お嬢さんたち。 そんなにびっくりしないでもよろしいじゃありませんか。 私も一風呂浴びさせて下さい」 「まあ、何て図々しいんでしょう。 あなたは出家なんでしょう。 私たちは在家の子女ですよ。 男女七歳にして席を同じゅうせず、というのに、 一緒に風呂に入ろうなんて」 「そんな了簡の狭いことを言わずに、 私も仲間に入れて下さい。 孔子孟子の教えなんぞとっくのむかしに滅びて、 温泉マークのあるところは どこでも男女混浴の世の中になったのですよ」 八戒は相手が悲鳴をあげるのもきかずに、 さっさと自分の着ているものを脱ぎすてると、 ジャブンとお湯の中へとびこんできた。 カンカンに怒った女たちは、 衆をたのんで一せいに殴りかかってきた。 幸か不幸か、八戒は水の中の戦争は慣れているときている。 形勢悪しと見ると、 忽ち一匹の鮎に化けて水の中にもぐりこんでしまったから、 女たちはそれをつかまえようとして、 足をすべらせたり、尻をぷっつけてひっくりかえったり、 上を下への大騒ぎである。 そのすきに水の中からとび出した八戒は服をまとうと、 手に熊手を握りなおして、 「やい、俺を誰と思っているのだ? 鮎の鯉のと大騒ぎをする 恋愛学校の新入生と思っているのか」 その剣幕に女たちは度胆をぬかれて、 「あなたはどこのどなたです? 来た時は坊さんで、お湯の中に入ると鮎になり、 今また見あげると、 どこかの大将軍みたいな恰好をしておいでになりますが」 「何をかくそう。 我こそは東土より西方へ赴く唐三蔵の高弟、 もと天蓬元帥の猪八戒だ。 お前らは俺の師匠を洞中にとじこめて、 不敵にも蒸すの食うのと 大きな口を叩いているそうじゃないか。 その口で何か食いたければ、この熊手の歯を食うがいい」 ハダカの女たちは魂も消え入らんばかりに驚いて、 「お願いでございます。 そういうお方とも存じませず、失礼申しました。 お師匠さまをとらえたとはいえ、 別に鞭打ったり傷つけたりしたわけではありません。 必ずおかえし致しますから、 どうか生命だけは助けて下さい」 「そんなことを言って俺がだまされると思うか。 口のうまい女がどんな奴かくらいのことは 胆に銘じて承知しているぞ」 女に甘いことも甘いが、野蛮なことも野蛮な八戒だから、 矢庭に熊手をふりあげた。 こうなれば、 はずかしがって股のあたりをおさえてなんかはおられない。 パッと水の中からとび出した女たちは脱衣場の前に立つと、 ヘソの中から一せいに糸をくり出しはじめた。 糸は見る見るふくれあがり、 ぐるぐる巻きに八戒を囲んで行く。 八戒はすっかりあわてて 糸の中から脱け出そうとしてもがくが、 もがけばもがくほど糸がもつれてひっかかり、 とうとうその場に倒れてウンウン唸りはじめた。 そのすきに女たちは門をとび出して洞窟へとんでかえった。 そして、橋をわたると、 素裸のまま三蔵の前をそれ見よがしに通りすぎ、 石の家の中から別の服をとり出して身体につけた。 「子供たち、早くここへおいで」 声をかけられて出て来たのを見ると、 蜜蜂や熊蜂や虻である。 「お母さんたちはあのエロ坊主たちに さんざんな目にあわされてしまったよ。 お前たち早く行って奴らを追っ払ってちょうだい」 一方、八戒は地べたに這いつくばって ウンウン唸っていたが、ふと気がつくと、 糸の山は消えさって 池のふちに自分一人とりのこされている。 痛みをこらえながら起きあがると、 彼はしおしおと元の道を戻ってきた。 「兄貴、俺の頭は腫れちゃいないか? 顔はどうだい?」 「一体、どうしたというんだ?」 「いや、さんざんな目にあってしまったよ」 八戒が事の経過を語ると、 「そいつは大へんだ」 と沙悟浄が青くなった。 「化け物たちは自分らの洞窟に逃げかえったに違いない。 ぐずぐずしていると、お師匠さまの生命が危いぞ」 それをきくと、悟空はいきなり駈け出した。 八戒も馬を牽いてそのあとを追っかける。 石の橋のところまで来ると、 橋の上に小人が何人も立ちふさがっていて、 「待ってましたよ、お上りさん」 「ハッハハハハ……」 と悟空は頭から相手をバカにしてかかった。 「いくら金融引締めの世の中とはいえ、 背の高さまで二尺五寸に節約しなくても よさそうなものじゃないか。 一体、お前たちはどこのどやつだ?」 「俺たちは七仙姑の養子だ。 お前らよくも俺たちの母親を侮蔑しやがったな」 「これは驚いた。 チビさん揃いだから、 金融引締め設備投資削減の申し子かと思ったら、 温泉マークのポン引きか」 「何をッ」 小人たちは一人一人本相を現わすと、 「変れ!」と叫びながら、 一匹の蜂が十匹に、十匹の虻が百匹にと、 忽ち幾千とも知れぬ虻蜂になって一行に襲いかかってきた。 「兄貴兄貴」 と八戒はすっかりあわてて、 「お師匠きまは西方に極楽があると言っていたが、 極楽どころか、 虫けらどもまで人間をたぶらかすところじゃないか」 「怖れることはないさ。皆殺しにしてしまえ」 「しかし、頭の上も顔のまわりも虫だらけだぜ。 うっかり叩こうとすると、自分の頭を殴りかねないよ」 「心配するな。俺に考えがある」 「考えがあるなら、早くどうにかしてくれ」 と沙悟浄が叫んだ。 「事に臨んで考えていちゃ、 頭も手足も腫れあがるばかりだよ」 悟空は素早く毛を一握り抜いて、口の中でかみくだいた。 それからプーッと吹き出すと、 忽ち霧状のものが空に漲って、 虫けらどもはあれよあれよと思う間もなく、 バタバタとおちて行った。 「やあやあ、あれは死の灰か」 と八戒が驚いて叫んだ。 「心配ご無用。人畜無害だ」 「というと、きれいな水爆か?」 「お前は科学知識に乏しいな。 あれはBHCを噴霧状にして吹きかけただけのことさ。 さあ、急いだ急いだ」 三人は急いで橋をわたると、洞窟の中にとびこんで行った。 見ると、女たちの姿はどこにもなくて、 石屋の天井から三蔵がただ一人ぷらさがっている。 「お師匠さま。 托鉢とは天井からぶらさげられることなんですか?」 と八戒は嫌味を言った。 「見て下さい。 おかげでこちらはあちこち瘤だらけですよ。 痛い痛い」 「まあ、 そう言わずに早くお師匠さまをおろしてあげましょうや」 沙悟浄が言うと、悟空が縄をきって三蔵を宙からおろした。 「化け物たちはどこへ行きましたか?」 「裏庭の方へこびとたちを呼びに出て行ったっきり 戻って来ないようだが……」 「あとを追って見よう」 悟空が先に立って裏庭へ出て探しまわったが、 どこにも魔女たちの姿は見当らない。 「逃げ足の早い奴らだ」 「深追いは怪我のもとだから、 我々は我々の道を行くことにしましょうや」 と沙悟浄が言った。 「しかし、魔女の巣窟をこのままにしておいちゃ、 またほかの善良な男たちが一杯食わされてしまうぜ。 俺のこの熊手で木端微塵にしてやろう」 「熊手でやるくらいなら、 薪や枯草を運びこんで火を放った方が手っとり早いよ」 「よし、それならそうしよう」 八戒はご丁寧に山の朽ち松や古竹や柴草を せっせと運びこむと、これに火を放った。 洞窟の中から焔が燃えあがるのを見てから、 ようやく満足そうに腰をあげた。 |
2001-03-15-THU
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