毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第七巻 道遠しの巻 第二章 化け物は山盛り |
一 女郎蜘蛛にもヒモあり 変り身の早いところを見せなかったら、 悟空の投げた茶碗は道士の顔に まともにあたったに違いない。 バーンと壁にぶつかって、 こなごなにくだける音をききながら、道士は、 「無礼にも程があるじゃないか。 何だって茶碗をこわしたりするんだ?」 「どちらが無礼なんだ?」 と負けずに悟空も怒鳴りかえした。 「俺の仲間のあのザマを見てみろ。 礼を尽して尋ねてきたのに毒薬を盛るとは、 お前も人非人じゃないか!」 「アッハハハハ……。 自分らでタネを蒔いておいて、 それで禍は人のせいだと思っているのか?」 「冗談をいうな。 俺たちがここへ来てどんな失礼をおかしたというんだ?」 「じゃ、ちょっとおききするが、 お前たちは盤糸洞へ物乞いに行かなかったかい? それから濯垢泉で女風呂へ 無理矢理わりこみをかけなかったとでもいうのか?」 「ふむ。 温泉マークの出来事が人もあろうに、 お前の口からとび出してくるとは、 さてはコールガールの糸をひいているのはお前だな。 いざ、この痛棒をくらえ」 耳の中から如意棒をとり出して、クルリと一廻転させると、 悟空はいきなり相手になぐりかかって行った。 道士はあわてて身をかわすと、 宝剣を握ってこれを受けとめた。 二人の騒ぎをきくと、 七人の女怪は一せいに奥からとび出してきた。 「こんなへッポコ、私たちで片づけてしまうわ」 「そうよ。わけはないわ。 ちょっと腰を動かせばいいんだから」 見ると、七人は例の調子で腹を出して、 ヘソの中から白い糸を盛んにたぐり出しはじめた。 見る見る糸は山をなし、悟空を包みこんでしまった。 「こいつはいけねえ」 びっくり仰天した悟空は呪文を唱えて、 糸の山の中から抜け出すと、あわてて中空へとびあがった。 遥か下の方を見おろすと、 むくむくと煙の湧くように糸や縄が盛りあがって、 黄花観の楼閣は影も形もなくなっている。 「すごいすごい。 八戒の奴がさんざ手古摺って すべったりころんだりしたのも無理はないよ。 それにしても、 三人とも中毒をして生死の境をさまよっているんだから、 愚図愚図してもいられない。 そうだそうだ。 一体、道士の正体が何なのか、 もう一度、土地神を呼び出してきいて見ようじゃないか」 悟空は雲のふちをおりて、何やら呪文をとなえると、 土地公は忽ち目の前にきて膝をついた。 「大聖は、 お師匠さまを助けにいらしたのではありませんか? どうしてまたここへお戻りになったのですか?」 「お師匠さまはとっくに助け出したんだが、 黄花観というところで、 またあの女どもとパッタリ出くわして、 一難去ってまた一難さ。 お前はこの土地の神様だから、 奴らがどんな素姓の者かよく知っているだろう?」 「あの女の化け物たちがここへ住みつくようになってから、 もうかれこれ十年になりますが」 と土地公は真っ白な髭を動かして言った。 「つい三年ほど前になって、 私にはやっと正体がわかりました。 あの七人は蜘蛛の精です。 吐いているのは、あれは蜘蛛の糸です」 「なあんだ」 と悟空は笑いながら、 「それでわかったよ。 奴らは糸を張って、 バカな男どもがひっかかってくるのを待っているんだな。 よしよし、正体がわかれば、 どう対処したらよいかわかったから、 お前はもうかえってよろしい」 土地神を去らせると、 悟空は再び黄花観のそばへ戻ってきた。 今度は尻尾の毛を七十本ほど抜いて、 それに息を吹きかけて、「変れ!」と叫んだ。 と、忽ち七十人のトランジスターサイズの悟空が現われた。 悟空は更に如意棒に息を吹きかけ、 「変れ!」と叫ぷと、七十本の双角棒が呪われた。 双角棒とは読んで字の如く、先が二股になった棒である。 それを七十人のトランジスター行者に持たせて、 「あの糸を棒の先にひっかけてグングンひっぱるんだ。 ひっぱっては切り、ひっぱっては切りすれば、 七対七十では今に向うが忽ち在庫不足、 供給不足になって悲鳴をあげるだろう」 教えられた通り七十人が一せいに糸をくりはじめると、 寸断された糸は忽ち山をなして十数斤にも及んだ。 と、その中から七匹の蜘蛛がとび出してきた。 「助けて、助けて、人殺し」 黄色い悲鳴をあげても、 相手が八戒でないから一向に効目がない。 「じゃ手荒なことはやらない代りに、 俺のお師匠さまをかえせ」 と悟空がいうと、女の化け物たちは口々に、 「おニイさん。早くあの人たちをかえしてあげてえ……。 私たちを助けてえ……」 しかし、道士は奥から顔を出すと、 「そうは行かないよ。 三蔵はこちとらの晩酌の肴にするつもりなんだから」 「よし、それならこっちも容赦はしないぞ」 いきなり如意棒をふりあげた悟空は、 えいっとばかりに七匹の蜘蛛を叩きつぶしてしまった。 それから尻尾を二ふり三ふりして 抜きとった毛を蔵いこむと、 単身、道士に立ち向って行った。 「よくも俺の飯櫃を叩きこわしやがったな」 道士もカッとなって迎え打つ。 「ハッハハ……。 今をどんな時代と心得ているんだ? 売春禁止の世の中に生まれあわせて、 まだ女のヒモになって暮らそうなんて感覚が古すぎるぞ」 「バカを言え。 売春禁止の世の中だからこそ 俺たちの有難味がわかるんじゃないか。 悔しかったら、 お前も坊主をやめてポン引きになったらどうだ? うんと月給を張りこんでやるぜ」 「何をッ」 悟空は如意棒をふりあげると、 相手の頭も砕けよと打ちかかって行ったが、 道士もそれを受けとめると、 「さあ、来い」 といささかもひるむ様子を見せない。 二人はおよそ五、六十回もわたりあったが、 武力にかけてはやはり悟空が一枚上と見えて、 道士は次第に疲れの色を見せてきた。 そのうちに隙を見てうしろに身をひいたかと思うと、 道士は帯をときはじめた。 「やあやあ、 男のストリップは金を払ってくれても見たくはないぞ」 悟空がひやかしにかかっても、 相手はさっさと上着を脱ぎつづける。 どうするのかと注意を払っていると、 半裸体になった道士はいきなり両手をあげた。 と見よ。 道士の脇の下には片一方に一千ずつ眼がついていて、 そこから一せいに鈍い光がとび出してくるではないか。 「いけねえ!」 あわてて光線を避けようとしたが、 前に進むこともならず、うしろへひくこともならず、 あたかも桶の中におちこんだように 身動きが出来ないのである。 いつもの調子で、それなら上空へ、 と足に力を入れて大地を蹴ったが、 「アイタタタ……」 と途端に頭を抑えながら、その場にかがみこんでしまった。 「殴られても叩かれてもピクリともしない俺のこの石頭が、 たかが光の幕に頭をぶっつけて、アイタタタ……とは、 俺もどうかしているぞ。 それにしても、アイタタタ……、 これじゃ頭の中が膿だらけになりそうだ。 膿だらけにならなくても、 この調子じゃ破傷風は免れそうもないぞ」 しかし、頭は抑えていても、気は確かだから、 「前後左右皆行き詰まり、上も駄目だとなると、 あとは下だけじゃないか。 よし、共産党じゃないが、地下にもぐってやれ!」 悟空は呪文を唱えて、一匹の穿山甲に化けると、 忽ち地面を堀って土中を二十里近くも進んだ。 おそるおそる土の中から顔を出して見ると、 さすがの殺人光線もここまでは届いていないようである。 穿山甲の悟空は地面に這い出すと、元の姿に戻ったが、 身も心も疲れはててその場に坐りこんでしまった。 「ああ。何の因果でこんな目にあうのだろうか!」 泣きたい心を抑えながら、ジッと目をつぷっていると、 それに調子を合わせたように、 どこからともなく人の泣き声がきこえてきた。 びっくりして起きあがると、 どうやら山の向うからきこえてくるようである。 悟空は途端に我が身の不幸を忘れて、 真直ぐ声のする方へ向って駈け出して行った。 |
2001-03-17-FRI
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