毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第七巻 道遠しの巻 第三章 猿の冬籠もり |
二 算盤玉を逆にはじくな 数里も行かないうちに、筆を立てたような山が見えてきた。 四、五丈もあろうかと思われる 大きな岩がド裏中に聾えているのである。 悟空は岩を背景にして小高いところに位置すると、 「おい、ちょっと待った」 小鑚風はびっくりして立ちどまった。 悟空は声を大にすると、 「お前はなぜ大王が俺を任命したか知っているか」 「存じません」 と小鑚風は答えた。 「それはだ。 大王は唐三蔵を食べたいと思っているが、 三蔵に孫悟空という弟子がおる。 この孫悟空という奴はなかなか神通力のある男で、 色んなものに化けることが出来る。 悪くすると小鑚風に化けてお前らの間にもぐりこみ、 労働組合を組織してストライキをやったり、 内部撹乱の戦術に出る可能性もある。 そこで俺を総鑚風に任命して、 お前らの中に為者がもぐりこんでいるかどうかを 調べさせるためなんだ」 「私は、本物でございますよ」 と小鑚風は言った。 「本物かどうかは自分で勝手にきめるものじゃない。 本物なら、大王がどんな神通力を持っているか、 知っているだろう?」 言われた小鑚風はあわてて、 「もちろん知っております」 「知っているなら、言って見ろ。 もし間違いなければ、本物だが、 少しでも事実と相違があったら、 大王のところへひき立てて処分するぞ」 高飛車におどかされたので、 小鑚風はシドロモドロになりながら、 「大王の神通力はまことに偉大で、 十万の天兵も一呑みに致すほどでございます」 「嘘だ。お前は偽者だ」 と悟空は怒鳴った。 「私は本物です」 と小鑚風はすっかりあわてて、 「どうして私が偽者だとおっしゃるのですか?」 「お前が本物なら、なぜ嘘をつく? 大王があの身体で どうやって十万の天兵を一呑みにできるんだ?」 「すると、長官はご存じないのですか。 大王は変化自在で、大きくなろうと思えば、 天界まで背が届くし、小さくなろうと思えば、 芥菜のタネほどにもなることができます。 先年、王母娘娘が蟠桃会をひらいた時、 天上天下の名士に招待状を出したが、 どうしたわけか、我が大王が招待もれになっている。 大王は怒ってパーティ荒らしをやったところ、 玉皇上帝は天兵十万を動員して押し寄せてきた。 しかし、大王はいささかも動ぜず、 アングリ口をひらいたら、 それがまるで大きな電気掃除機のように、 猛烈な勢いでその辺の者どもを吸い込むので、 天兵はおそれおののいて 戦わずして旗を巻いてかえって行きました。 一口に十万の天兵を呑むとは このことをいうのであります」 「アッハハハハ……。 そのくらいのことなら俺もむかしやったことがあるわい」 と悟空はひとり思った。 「では、二大王の容貌を知っているか?」 「ハイ。二大王は身の丈、三丈、 眉毛は蚕が横になったようで、 目の色は丹鳳色、声は美人に似て癇高く、 鼻は蛟竜そっくりであります。 戦えば、鼻で相手の身体をぐるりと巻き、 えいッと力をこめれば、どんな頑丈な相手でも 先ずは一コロで参ってしまいます」 「鼻の長い娘なら、つかまえるのに好都合じゃないか」 内心せせら笑いながら、悟空はまたきいた。 「では三大王はどんな実力を持っている?」 「三大王は普通そこいらにウヨウヨしている 俗物とは違って、名を雲程万里鵬と言い、 羽けば風をおこし海を動かします。 身に帯びた武器は陰陽二気瓶と言って、 その中へ人間を押し込めば、 二、三時間で溶けてなくなってしまいます」 それをきくと、悟空は内心驚いて、 「ほかの二人は、まあ大したことはないが、 三人目はちょっと手ごわいぞ。 陰陽瓶とやらに気をつけなくちゃ」 しかし、表面は何気ない風を粧って、 「お前のいま言ったことは、 いずれも事実と違っちゃおらん。 ただお前にききたいことがあるが、 唐の坊主を食べたいと思っているのは、 三人の中のどの大王か知っているか?」 「すると、長官はご存じないのですか?」 「俺がお前よりも知らんと思っているのか。 このバカヤロー」 と悟空は怒鳴りかえした。 「お前らの中に知らん奴がいると困るから、 わざわざたしかめているんじゃないか」 「じゃ申しあげますが、 大大王と二大王はこの獅駝嶺の 獅駝洞に住んでおりますが、 三大王はここから西へ四百里ほど行った 獅駝国というところに城を構えておられます。 今から五百年ほど前にあの国の 国王及び文武百官を悉く餌食にして、 今では完全に自分の勢力下においています。 その三大王が何年前であったか、 ふと唐三歳が西方へお経をとりに行く途次、 必ずここを通りかかる旨きき及び、 是非ともあの坊主の肉を食いたいと 一念発起したのであります。 しかし、悪いことに三蔵には孫悟空という 相当腕前のよい弟子が用心棒をつとめている。 とても一人では自信が持てないので、 それで獅駝洞の二人の大王と義兄弟の契りを結び、 今日来るか、明日来るか、 と三蔵の一行を待ち構えていたのです」 「何をッ。無礼千万な!」 カッとなった悟空は高いところからとびおりると、 いきなり如意棒をふりあげて、 小鑚風の頭に一撃をくらわせた。 気がついて見ると、相手は一魂の肉団子となって その場にくたばってしまっている。 「やれやれ。可哀そうなことをしてしまった。 奴は茶飲み話のつもりで喋ったことなのに、 そいつを真に受けてカッとなるなんて。 しかし、まあ、やってしまったことは仕方がない。 化け物の手下は、化け物の手下に違いないんだから」 悟空は小妖怪の帯をといて、金牌を奪いとると、 今度は小妖怪とそっくりの姿に化け、腰に鈴、 手に拍子木を持って、更に山の奥へ入って行った。 程なく獅駝洞の入口とおぼしきあたりに出てきた。 見ると、洞門の前には幾万とも知れぬ軍勢が 手に手に槍や戟を持って勢揃いをしている。 軍馬はいななき、旗や幟は風にひるがえっている。 「太白金星の言った言葉に偽りはない。 本当に大したものだ」 しばし見とれていたが、悟空はやがて 自分のおかれた立場に気づいて我にかえった。 「俺が小鑚風に化けて洞内に入って行くのはいいが、 万が一にも正体を見破られたら、おしまいだぞ。 洞門を十重にも二十重にも囲まれたら、 とても逃がれられまい。 と言って、このまま引きかえすわけにも行かないし、 よしよし、化け物は俺の名前は知っているが、 まだ俺の顔は知らない筈だから、 ひどつ威勢のいいことを言って奴を嚇かしてやろう。 なあに、化けの皮が剥げたら剥げたで、 またその時のことさ」 自分で自分に問うては自分で答えを出しながら、 悟空は決心をすると、そのまま拍子木と鈴を鳴らしながら、 獅駝洞の入口ヘ進んで行った。 「小鑚風がかえってきたぞ」 入口の小妖怪どもが声をかけても、 悟空は素知らぬふりをして奥へ入って行った。 第二営まで来ると、また別の小妖怪が言葉をかけた。 「や、おかえり、 途中で孫悟空とやらいう化け物に出会わなかったかい?」 「出会ったとも。 怖ろしくって、俺は足腰がガクガクして 立つことも坐ることも出来なかったよ」 「へえ? どんな恰好をしていた? で、何をしていた?」 「それがな、へんな奴が谷川のそばにうずくまって、 何やら動かしているから、 何をしているのだろうと思って近づいて見たら、 手に一本の鉄棒をもって しきりにみがいているじゃないか。 立ちあがったら、恐らく十何丈くらいはあるだろう。 そいつが崖の上に鉄棒をおいて、 水をかけてはゴシゴシやっている。 そうして言うことには、 久しくお前には化け物の血を吸わせなかったな。 しかし、今度という今度は 十万人くらいはいるらしいから、存分に食わせてやるぜ。 化け物の大ボスも三人はいるそうだから、 血祭りの相手に不足はないだろう。 いやはや、きいていて、 俺は全身の身の毛がよだってしまったよ」 そばできいていた小妖怪どもまでが、 身の毛を逆立てて戦々兢々としている。 「どう考えたって、 この取引は算盤玉をさかさに弾くようなものだぜ。 考えても見ろよ。 三蔵の肉と言ったところで 何百斤もあるわけじゃあるまいし、 とても我々のところまでまわって来はしまい。 ところが、それを手に入れるための代償が 俺たちの生命ときているんだから、 三十六計逃げるに如かずだよ」 悟空がそう言うと、 最初からもともと戦意のない小妖怪どもは てんでに逃げ出した。 「おやおや。こいつは幸先がいいぞ。 ちょっと嚇かしただけで、 あれだけ逃げ腰になるんだから、 この一戦は先ずこっちのものだな」 俄かに元気をとりもどすと、 悟空は奥へ向って更に押し進んで行った。 |
2001-03-21-WED
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