毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第四章 スーダラ・スイスイ

一 スーダラ人生


「大王。
 孫悟空の奴はあなたのおなかの中で
 冬越しをしようと言っていますよ」
と、きいていた部下たちが口をそろえて言った。
「なあに。
 奴が俺の肚の中で冬越しをするつもりなら、
 こちらも考えがある。
 ガンジーのように絶食して一冬坐禅を組めば、
 いくら気の強い馬丁でも悲鳴をあげてしまうだろう」
と老魔はたかをくくった。
「ハッハハハ……。
 お前は何も知っちゃいないな」
と悟空は笑いながら、
「俺は三蔵法師のお供をして
 いつ果てるとも知れない旅を続けるからには、
 旅先で宿屋の飯にあきあきしないように、
 わざわざ広東から中華鍋を持参してきているんだ。
 もし中に入れて煮るものがなかったら、
 手当り次第、お前の肝臓でも胃袋でも
 ひきちぎってホルモン料理でも炊くさ。
 そうすりゃ来年の正月はおろか、
 桜の花の咲く季節になっても
 食うものには先ず困らないだろうな」

きいていた二大王は驚いて、
「猿めのことだから、やりかねないぜ」
「しかし、鍋を持っているにしても、
 鍋をかけるところがないじゃないか」
と三大王が言った。
「なあに。
 お前らに心配してもらわないでも、
 ちゃんと骨盤の上にのせるわい」

悟空が答えると、
「いけねえいけねえ。
 肚の中で火をおこされた日には、
 兄貴の鼻から煙が出どおしで、
 クシャミがとまらなくなるだろうぜ」
「大したことはないさ。
 七曲りの鼻の孔なんか通さなくても、
 如意棒を突っ立てて、
 こやつの頭のてっぺんに
 青空に向って真直ぐの孔をあけてくれるわい。
 そうすりゃ天窓にもなるし、煙の通りもよくなるし……。
 アッハハハハ……」

きいていた老魔は平静を粧ってはいるものの、
内心、少なからず驚いて、
「心配するな、心配するな。
 薬酒を持ってきてくれ。
 あれを何杯か飲めは、奴は参ってしまうだろう」
「おやおや、
 酒まで出してもてなしてくれると言っているよ」
と悟空はひそかに笑いながら、
「玉皇上帝の御酒から太上老君の仙丹まで
 俺が口にしたことのないものはないのに、
 薬酒くらいで
 俺がくたばってしまうと思っているのだろうか」

しかし、間もなく小妖怪どもが
大杯に薬酒をなみなみと注いで持ってきた。
大大王はそれを受けとると、口もとまで持ってきたが、
奥でプーンと匂ってくる酒の香りを嗅ぐと悟空は、
「奴に飲ませることはないな」

自分の口をラッパの口のようにとがらせて
老魔の喉元に吸いつかせると、酒は老魔の胃袋に入らずに、
悟空の口の中に入ってくる。
立てつづけに、七、入杯がとこ飲みほして、
「こりゃおかしい。
 いつもなら物の二杯で
 肚の中が火がついたようになるのに、
 七、八杯飲んでも顔色一つ変らないとは!」

老魔はしきりに首をかしげているが、
ふだん飲みつけない大酒を飲んだ悟空の方は、
あちらへふらふら、こちらへふらふら、
よろけながらもしきりにスーダラ節を踊っている。
「アイタタタタ……」
「なにが、アイタタタタ……だ。こん畜生!」
「助けてくれ。大慈大悲の斉天大聖菩薩!」

老魔はしきりに悲鳴をあげるが、悟空は素知らぬ顔をして、
肩をふったり、手をふったり、
「馬で金もうけした奴はないよ……」
と唄いつづけている。
「お願いです。助けて下さい。ご慈悲です」

あんまり悲痛な泣き声を立てるので、
「助けてやらぬでもないが……」
と悟空は唄うのをやめて、
「助けてやったら、俺たちのために何をしてくれる?」
「あなたのお師匠さまが
 無事山を越せるようにお送りいたします」
「どういう具合な送り方だ?」
「ここは人里離れた洞窟で金銀財宝とてございませんので、
 高価なものをさしあげることはできませんが、
 その代り、我々兄弟三人で轎をかついで
 山を越えるまでお送り致します」
「親分自ら轎をかつぐというなら、金銀財宝以上の話だ。
 よし、それなら助けてやるから口を大きくあけろ!」

老魔が口をあんぐりあけると、
三大王がそばへかけよってきて、小さな声で、
「兄貴、奴が出てきたところを見計って、
 ガッと咬みつぷすんだ。
 そしたら、もう二度のみこんでも、今度は大丈夫だよ」

奥でそれを盗みきいた悟空は、
そのままとび出すのはやめて、
如意棒の先をちらりとだした。
すると、
待ってましたとばかりに老魔はカチンと歯をかみあわせた。
「どうせこう来るだろうと思っていたよ」
と悟空は如意棒をひっこめながら、
「俺が生命を助けてやろうと仏心をおこしたら、
 畜生め、俺を咬み殺そうとしやがる。
 こうなったら、
 どんなことがあってもここから動かないぞ。
 いいか。生きたまま弄り殺してやるぞ」

老魔は三大王の顔を恨みっぽい表情で眺めながら、
「お前のおかげだよ。
 おとなしく出て来てもらえばそれですんだものを、
 咬み殺せなんて入れ智慧をするものだから、
 咬み損なってこの通り顎かガクガクだぜ」

三大王はそれをきくと、いきなり大きな声で怒鳴り出した。
「やい、孫悟空とやら。
 天上天下に勇名を轟かせた豪の者ときいていたが、
 会ってみりゃ評判倒れの小物にすぎんじゃないか」
「俺が小物だって?
 そいつはまたどういうわけだ?」
と悟空はすぐに言いかえした。
「豪の者なら正々堂々と闘うのが当然じゃないか。
 それを人の肚の中へもぐりこんで、
 うろちょろするのは小物でなくて何だろう?」
「なるほどなるはど」
と悟空は独り頷きながら、
「いま此奴の五臓六腑をひきちぎるのは全く朝飯前だが、
 それじゃ折角の斉天大聖の名がすたる。
 よしよし。
 奴らがそんなに言うなら、
 ここから出て正面切って勝負をつけてやろう。
 しかし、洞窟の中では思う存分に腕をふるえないから、
 やるならもっと広いところへ出ようじゃないか」

それをきくと、
三大王は部下の将兵をひきつれて洞門の外へ出た。
二大王も大大王を抱えるようにして門外に出てくると、
「さあ、お前のいう通り広いところへ出てきたぞ。
 オトコなら出てきていさぎよく勝負を致せ」

きき耳を立でると、鳥や鵲の啼き声がきこえてくるので、
どうやら野外であることはわかるのだが、
「このままこへ残れば、臆病者かと思われるし、
 といって、さっきお師匠さまをお送りするといった
 その舌の根もまだ乾かないうちに
 ガブリとやられたんだから、
 のこのこと出て行ったら、何万という人海戦術で
 俺をふんづかまえようとするに違いない。
 が、まあ、いいや。
 向うがその気ならこちらにも考えがあるからな」

悟空は手をうしろへやって
尻っ尾の中から一本の毛を抜きとって、
プーッと息をふきかけると、
「変れ!」と叫んだ。
と忽ち髪の毛ほどの細さだが、
四、五十丈もあろうかと思われる一本の糸が現われた。
その糸の先を、
悟空は老大王の心臓にしっかりくくりつけている。
「奴が約束通り我々一行を送ってくれるなら
 まあ許してやるが、
 兵隊を動員して一合戦やろうというなら、
 この糸をグイとひけばいい。
 心臓に細工をしておけば、
 俺が奴の肚の中にいるのも同然だからな」

何しろ目に見えるか見えないくらいの細い糸だが、
しっかり結びつけてあるから、ちょっとひっぱっただけで、
老魔は胸をかかえて
ひっくりかえる仕掛けになっているのである。

悟空は身体を縮めると、老魔の肚の中から這い出してきた。
やっと喉元まで顔を出してふと表を覗くと、
アングリあけた化け物の口のあたりに
鈍い刀のような歯並みが見えている。
「いけねえいけねえ。
 口から紐をひっばって出て行ったんじゃ、
 奴は痛みに耐えかねて、
 この紐をかみきってしまいかねまい。
 それよりも歯のないところから出て行った方が利口だな」

くるりと方向転換をして、鼻の孔の方へ這い出して行くと、
老魔はこそはゆくなって、思わず大きなクシャミをした。
途端に悟空は外へはじき出された。

そとの空気にふれると、
悟空は腰を一ふりして三尺あまりの身の丈になった。
片手に如意棒、片手に紐を握った恰好である。

妖怪たちは悟空の姿を見ると、
物も言わずに刀や戟をふりあげてきた。
事面倒と見た悟空は如意棒で適当に相手をあしらいながら、
敵の陣営から脱け出すと、
空の上から両手を伸ばして力一杯、紐をひっばった。
「アイタタタ……」
と老大王は紐をひっぱったままその場にひっくりかえった。
すると、悟空はもう一度、力一杯、紐をひっばった。

遠くから見ていた化け物の部下たちは口々に、
「あれ。
 まだ正月も来ないのに、もう凧あげをやっているよ」
「なるほど、奴凧だな。よしよし」
と悟空は紐をひっぱったまま駈け出した。
均衡を失った老魔は空へ舞いあがったかと思うと、
忽ち地上に墜落して
堅い地面に二尺ほども深い穴をあけてしまった。

びっくりしたのは当の大大王よりも
弟分の二大王、三大王である。
二人は地べたに膝をつくと、
「正々堂々と一勝負するつもりで出てきてもらったのに、
 これではネズミやモグラと
 戦争をさせられているようなものだ。
 お願いだから男らしくやって下さい」
「ハッハハハ……」
と悟空は笑いながら、
「男らしくというのはどっちのいいたいセリフだ?
 轎をかついで見送りますといいながら、
 一回目にはガブリとやるし、
 二回目は何万という兵隊を動員して
 この通り俺を生け捕りにしようとしている。
 ホトケの顔も三度だけというが、
 俺はホトケ様ほど修養ができていないから、
 このまま凧の糸をひいて
 お師匠さまに会いに戻ることにするぜ」
「ご慈悲でございます。
 そんなことをおっしゃらずに、
 どうぞ生命を助けてやって下さい」
「生命が助かりたいなら、
 紐を切ってしまえばいいじゃないか」
と悟空は言った。
「いえいえ。
 紐を切っても、内臓の中がどうにもなりません」
「それならば、仕方がないから、
 もう一度中へ入って紐をほどいてやろう」
「とんでもない」
と老魔はもっとびっくりして、
「やっと出てもらったのに、もう一度入られた日には、
 またいつ出てきてもらえることやら!」
「じゃ、もし外からうまくお前のその紐を解いてやったら、
 約束通り我々一行を無事通してくれるか?」
「必ず紛束の通り実行致します」
「それならば……」
と悟空は呪文をとなえて、尻ッ尾の毛を回収すると、
老魔の胸の痛みはどうやら鎮まった。
「ではどうぞおひきとりになって下さい。
 私たちはすぐ轎をかついで迎えに参りますから」

三人の化け物に見送られて、
悟空が山の東側へ戻ってくると、どうしたわけか、
三蔵が地べたに顔を伏せてしきりに泣いている。
更によく見ると、
八戒と沙悟浄は荷物を解いて中のものを分
けあっている。
「ハハン。
 これはてっきり八戒の奴が、
 俺は化け物の餌食になってしまったから、
 探検隊は今日限り解散しようと提案したに違いない。
 全く気の早い奴だな」

悟空は雲からとびおりると、
「お師匠さま」
と三蔵に呼びかけた。

悟空の姿を見ると、沙悟浄はすぐに八戒をつかまえて、
「全くお前さんは、
 棺桶屋をショウバイにしているんじゃないかね?
 まだ死なない人間をつかまえて死んだというんだからね」
「いや、俺はたしかにこの眼で、
 悟空兄貴が化け物の口の中に一呑みにされるのを見たよ。
 大方、死にざまが悪いので、
 あの世に行くに行けず
 幽霊になって戻ってきたのだろうよ」
「バカヤロー。幽霊かどうかよくたしかめて見ろ」

悟空は八戒のそばへ近づくと、頼っぺたに一発くらわせた。
八戒は目をパチクリさせながら、
「痛いことは痛いな。
 でも、兄貴、俺はたしかにこの目で見たよ。
 どうやって生きかえってきたんだね?」
「お前のように人の肚の中に入る時は、
 肉饅頭やチャーシューになるときまっちゃいないよ。
 俺は奴の肚の中に入って、
 力一杯蹴りとばしてやった上に、
 スーダラ節まで踊ってきたんだぜ。
 さすがの化け物も
 “わかっちゃいるけど”
 なんていっておられなくなって、
 俺たちの轎かきをやるといって降参したよ」

それをきくと、三蔵は地べたから這い起きて、
「よかったよかった。
 八戒の言うことを信じたら、
 私は生きている気がしなくなるところだったよ」

悟空は拳をふりあげると、
「こん畜生。
 お前のような怠け根性だから、
 いつまでたっても人間扱いをされないんだ。
 ではお師匠さま。
 奴らが間もなく迎えにくるそうですから、
 出発の用意を致しましょうや」

2001-03-24-SAT

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