毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第四章 スーダラ・スイスイ

二 へそくり問答


さて、悟空に別れて洞窟へ戻ったものの、
三人の化け物はそれぞれ心の中にわだかまりを持っている。
二大王が言った。
「兄貴、孫悟空なんていうのは、
 名ほどにない貧相なヤセ猿じゃないですか。
 一呑みにする代りに、皆で包囲すれは、
 ツバをひっかけただけで溺れ死するような奴ですよ」
「しかし、俺はひどい目にあったよ」
「だからこそ、やむを得ず降参すると見せかけたのです。
 いくら何でも天下に名の売れたオトコが三人もいて、
 それが手も足も出ずに、
 おとなしく轎をかついだとあっては、
 このやくざショウバイも今日限り廃業ですよ」
「そりゃそうだ。どうすればいいだろうな?」
「だから、三千も兵隊を私に貸して下さい。
 必ず奴を生け捕りにして見せますよ」
「三千と言わず、洞内の者を総動員してもいいさ。
 奴を生け捕りにすることさえ出来れは……」

二大王は小妖怪を三千人選び出すと、
藍旗を持った伝令を先頭に立ててやってきた。
「孫悟空。
 勇気があるなら早く出て来て、
 我が第二大王と一戦交えたらどうだ?」
「おやおや」
と八戒は思わず吹き出した。
「兄貴もお人が悪いな。
 人もあろうに、家中の者に向って法螺を吹くとは!」
「そいつはどういう意味だ?」
「だってそうじゃないか。
 敵は降参したというが、轎をかつぎに来るどころか、
 また挑戦にやってきたじゃないか?」
「老魔は俺に一本参ったから、
 正面切ってやってきちゃいないだろう。
 それどころか孫悟空の孫という字をきいただけでも
 頭が痛くなる筈だよ。
 しかし、化け物には兄弟がほかに二人いる。
 兄弟思いだから、
 兄貴がやられたからと言ってだまってひきさがるほど
 意気地なしではない。
 ところが、こっちは同じように三人いても、
 兄貴分がやられたら、復讐をするどころか、
 財産を分けて解散しようという
 根性の者ばかりなんだからな」
「そうばかしでもないさ」
と八戒は負け惜しみを言った。
「何なら俺が代りに一肌脱いでもいいぜ」
「それなら俺のピンチヒッターをつとめてくれ」
「ハッハハハ。
 ピンチヒッターはひきうけたが、
 その代り化け物をやっつけるのに使う
 あの紐をちょっと貸してくれ」
「何だい?
 紐をかりたところで、
 奴らの肚の中にもぐり込めるわけでなし、
 心臓に紐をつける技術をもっているわけでなし、
 何の役にも立たないじゃないか?」
「ところが同じ品物でも
 アイデアにょって役の立ち方が違うんだ。
 兄貴は相手の心臓につけることしか考えないが、
 俺は自分の身体につけて救命道具に利用する。
 ということは紐のもう一方を
 兄貴か沙悟浄にあずけておいて、
 もし一合戦やってうまく勝てば紐なんかどうでもよいが、
 万が一にも苦杯を喫したら、
 急いでひきもどしてもらいたいのだ」
「なるほど。
 そいつは専売特許にはならないが、
 実用新案にはなりそうな思いつきだな」

頼まれるままに、
悟空は紐を出して八戒の腰にしばりつけてやると、
八戒は元気百倍、熊手を高々と持ちあげながら、
山の上へと駈けあがって行った。
「やい、化け物。
 勇気があるなら、お前の方こそ出て来い」

藍旗をふっていた先頭の旗手が戻って、
「大王。
 おっそろしく口の長い、
 耳のデッカイ和尚が挑戦してきました」
「よしよし」

二大王は陣地を出て八戒の姿を見ると、
物も言わずにいきなりおどりかかってきた。

八戒は熊手をふりあげて応戦したが、
七、人世も交戦するうちに忽ち腕がだるくなってきた。
「兄貴。救命具だ。急いで綱をひいてくれ」

八戒がうしろをふりかえって叫ぷと、
悟空はニヤリと笑いながら、
たぐる筈の綱を逆にゆるめたからたまらない。
力あまった八戒はその場にひっくりかえってしまい、
そのすきにそばへよってきた化け物は鼻をひらくと、
グルリと八戒を巻きあげて、
威勢よく洞門へ向ってひきあげて行った。

遠くからその様子を見ていた三蔵は思わずカッとなって、
「何ということだ。
 八戒がお前のことをこっぴどく呪うのも無理はない。
 お前らには兄弟愛、同胞愛が
 これっぽちもないばかりでなくて、
 お互いにやきもちばかりやいているではないか?」
「それはまたどういう意味ですか?」
と悟空はききかえした。
「八戒はお前に綱をひいてくれと叫んだのに、
 何だってお前は逆に放してしまうんだ?」
「ハッハハハハ………。
 お師匠さまの依怙ひいきも相当なものですな。
 私がつかまえられた時はちっとも心配しないのに、
 八戒のような間抜けがとんで火に入ると、
 まるで私のせいであるかのようなことをおっしやる。
 そりゃ八戒は茶坊主だから、
 お師匠さまに可愛がられても不思議はないが、
 可愛い子には旅をさせよ、ですよ。
 そうすりゃお経をとりに行くのは
 楽な仕事でないことが少しは身にしみるでしょう」
「それはお前の了簡違いだよ」
と三蔵はあわてて言った。
「お前が出かけた時に私が心配しないということはない。
 ただお前は神通力を持っているから、
 多分、どうにかなるだろうという安心感があるが、
 八戒の奴ときたら、気ばかり焦って、
 腕前も口ほどにはない。
 だからお前が助けに行ってやらなければ、
 凶多くして書少しだよ」
「それじゃ私が一走りしてきますから、
 お師匠さまは黙ってみていて下さい」

悟空はそう言って三蔵のもとを離れると、
ただ一人山の中を歩きながら、
「八戒の奴め、人もあろうに俺を呪うとは!
 こうなったら、奴が化け物たちから弄り物にされるのを
 高見の見物としゃれてやろうじゃないか」

揺身一変、忽ち一匹の羽虫に化けると、
悟空はき立てられて行く八戒のあとに追いついて、
その耳たぶの上に羽をおろした。

三千の手下をひきつれた二大王は、
凱施ラッパの音も高らかに洞門まで帰りつくと、
自ら八戒をひき立てて奥へ入った。
「兄貴、早速一人生け捕りにしてきましたよ」
「どれどれ。こっちへひっぱってきてごらん」

二大王が巻いていた鼻をゆるめて
八戒をその場に投げ出すと、
「いや、こいつでは何の役にも立たん」
「何の役にも立たんのなら釈放して、
 役に立つ奴をつかまえなおしてくることですな」
と八戒がすかさず言った。
「いやいや。
 役に立たないと言っても、
 こいつは三蔵配下の猪八戒という奴だ」
と三大王が言った。
「しばりあげて裏の池の中にでも
 しばらく漬けておいた方がいいぜ。
 毛の抜けおちるのを待ってから、
 ハラワタを出して塩漬けにしょうじゃないか」
「テへへへ……。
 こりゃとんだべーコン屋にぶっつかったぞ」

驚いて顔色をかえている八戒を
手下どもがよってたかってしばりあげると、
裏の池のほとりまでひき立てて池の中へ押しおとした。
あわてて飛びあがった羽虫の悟空が上から見ていると、
八戒は四ツ足を天に向けたまま水の中を浮き沈みしている。
そのあわてくさった有様を見ると、悟空はおかしくもあり、
可哀そうにもなり、
「さて、どうしたものか。
 こいつもかつては竜華会で
 同じ釜の飯を食べた仲間だから、
 助けてやりたい気持はないでもないが、
 俺がいなくなると、忽ち解散を主張したりするし、
 お師匠さまをそそのかして
 緊箍児経を読ませたりしやがる。
 そうそう。
 沙悟浄の話によると、こいつはつい最近、
 こっそりへそくりをつくったそうだが、本当だろうか。
 ひとつおどかしてやれ」

悟空はブーンと羽ばたきながら、
八戒の耳元へとんで行くと、
「やい、猪悟能」
とよびかけた。
八戒はびっくり仰天して、
「誰です? 私の出家名を知っているのは?」
「俺だよ」
と悟空は低い声で答えた。
「俺じゃわからない。どこの俺だ?」
「法律の番人だ」
「へえ? どこのお偉方ですか?」
「幽冥界の閻魔王から流遺されて
 お前をつかまえに来た使いの者だ」
「ちょっと待って下さい」
と八戒はすっかりあわてて、
「帰ってあなたの親分に、
 私は孫悟空の兄弟分だと言って下さい。
 悟空兄貴の顔に免じて、あの世に行く日を
 もう一日だけ延ばしていただきたいのです」
「そんなが出鱈目ができるか。
 閻王の生死簿では
 お前は夜中の十二時までに死ぬことになっている。
 明日まで待つわけには行かんぞ」
「しかし、地獄の沙汰も金次第というじゃありませんか。
 人間である以上、早かれ遅かれ誰でも
 一度はあの世に行かなきゃならん、
 というくらいのことは知っています。
 ただ同じ死ぬなら、私一人でなくて、
 ここの化け物も私んとこのお師匠さまも
 みんな一緒に道連れに願いたいものですな」
「ハッハハハ……。
 地獄の沙汰も何とか次第とおっしゃったな。
 いやはや、なかなか話のわかる奴じゃ。
 どうせここからひき立てて行くことになっているのは
 今日だけで三十人ほどはいる。
 いくらかでも酒代を奮発するなら、
 順序をかえて
 一番最後の分にまわしてぞらぬでもないが……」
「ああ、残念なことだが、
 出家にどうしてそんな貯蓄があるだろうか」
と八頭は頭をふった。
「金がなけりゃそれまでのことだ。
 さっさと俺のあとについて来い」
「ま、まって下さい。
 私はあなたの手に持った縄が
 “生命とりの縄”
 とよばれているのを知っています。
 縄をかけられた日には、いくら苦労して貯めたお金でも
 誰かにくれてやるよりほかありません。
 どうせくれてやるなら、多少のものはありますから、
 どうぞそれで勘弁してやって下さい」
「愚図愚図言わずに早く出せ。一体どこにあるんだ?」
「ああ、ああ」
と八戒は続けさまに嘆声を発した。
「坊主になってからこの方、
 俺の食気の盛んなのを憐れんで
 いくらかでも余計に恵んでくれた情深い人もあったっけ。
 それをせっせと貯めてやっと五匁ほどになったから、
 溶かして一枚の銀にしてくれと頼んだら、
 城下の銀匠め、十パーセント近くも上前をはねやがって、
 たった四匁六分しか残っていないんですよ。
 それをさしあげますから身代金にして下さい」
「さしあげるって、どこにかくしてあるんだ?」
「私の左の耳の中に入っていますよ。
 この通り手足をしばりつけられて
 どうにもなりませんから、自分で取って行って下さい」

悟空が手を伸ばして八戒の耳の中をさぐると、
本当に馬蹄銀が入っている。
それを手にとると、
どうにも我慢がならなくなって悟空は
ワッハハハ……と笑い出してしまった。
「こん畜生」
と八戒は悟空と気づいて怒鳴り出した。
「人の弱り目につけ入って金をまきあげるとは、
 何という人非人だ」
「何を言ってやがるんだ、糠喰い野郎が!」
と負けずに悟空も言いかえした。
「この旅行で俺たち、
 どれだけ苦労しているかわからんというのに、
 お前ひとりへそくりなんぞつくりやがって!」
「何でこれがへそくりなものか。
 これは俺が食べたいものも食べずに、
 我慢してためた金だ。
 バレてしまった以上は、
 いくらかでも兄貴に分けてやるから、
 その代りに俺を助けてくれ」
「いやいや、
 もらった以上は半分といえどもお前にはかえさないぞ」
「いいさ。どうせ生命の追い銭だからくれてやるよ」
「えらい気前がいいな」
「だから早く俺の縄目をといてくれ」
「まあ、そうあわてるな。
 あわてて生命をとりおとしたバカもあるからな」

悟空は銀をしまいこむと、
もとの姿にかえって八戒をくくった縄をほどきにかかった。
八戒は池の中からはねおきると、
服を脱いで水をしぼりながら、
「裏門から逃げることにしようか?」
「いや、裏門の方が遠いから表門にしよう」
「でも足を強くしばりつけられたせいか、
 どうもうまく走れないな」
「つべこべ言わずに早くついて来い」

悟空は如意捧を片手に握ると、
押し寄せる小妖怪どもを片っ端から払いのけながら、
表へ表へと脱け出して行った。

老魔は洞内の騒ぎをきくと、二大王に、
「全くいい奴をつかまえてきたものだ。
 おかげでこの狼籍ぷりはどうだ?」

皮肉を言われた二大王は
槍を持ってすぐあとを追いかけると、
「やい。猿め。無礼を働くな」

矢庭に槍をつき出してきたので、
悟空はあわてて如意棒でカチリと受けとめた。
二人はそれから死闘をつくしたが、
八戒は高見の見物とばかりに
折組をしたままじっと見呆けている。

そのうちに化け物の方がしびれをきらして鼻を伸ばすと、
いきなり悟空を捲きつけにかかった。
それと気づいた悟空はすぐ両腕をあげたので、
化け物は悟空の身体にまきついただけで、
双方の手は自由に注せている。

見ていた八戒は思わず、
「何というバカな化け物だ。
 両手を自由にしておいたら、
 鼻の穴の中に棒をつっこまれてしまうじゃないか」

これは悟空に智慧をつけたようなものである。
急いで如意棒をこよりのように細長くすると、
悟空は化け物の鼻の穴の中へグングンと押しこんで行った。

驚いて化け物はせっかく抱いていた鼻をゆるめた。
悟空は素早く身体の自由を恢復すると、
今度は逆に手をのばして
化け物の鼻を力一杯つかまえてひっぱった。
痛みに耐えかねて、
化け物はおとなしくあとからついてくる。
八戒は形勢よしと見ると、熊手をふりあげて近づいてきた。
「待て。
 手荒いことをすると、
 またお師匠さまから文句を言われるから、
 このままひっばって行くことにしよう」

これは化け物というよりは
一頭の巨象をひき立てた恰好である。
「沙悟浄や。あれは何だね?」
と遠くから三蔵が言った。
「お師匠さま。あれは象のようですよ」
「化け物というのはあれだったのか。
 もしあの象が我々を無事山の向うまで
 送り届けてくれるようなら、
 殺生をやらないように悟空に言っておくれ」

沙悟浄が駈けて行って、三蔵の意志をつたえると、
化け物はインフルエソザにかかったように
鼻水を流しながら、
「生命をお助け下さるなら、必ず轎をかつぎます」
「我々一行ときたら、人を信じやすい性でな。
 そうだと言ったら、その通り信じこんでしまうんだぜ」
と悟空が嫌味を言った。
「大丈夫です。必ずその通り致します」
「よし。それならば、かえって準備をして来い」

簡単に手を放してやったから、
二大王はすっとんで帰って行った。

2001-03-25-SUN

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