毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第四章 スーダラ・スイスイ

三 料理のシロウト


二大王が鼻をおさえられて連れさられたというので、
獅駝洞では大大王以下みな戦々兢々としている。
そこへ二大王が無事にかえってきたので、
「一体どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、
 もう生命がないと覚悟をしていたら、
 かえれと言って釈放されたんだ」

二大王が経過を語るあいだ、他の者はおしだまっている。
「そういうわけで、
 三蔵法師の一行を送らねばならなくなったんだが、
 兄貴も一緒に送ってくれますか?」
「今更、送らないと意地を張っているわけにも行くまい。
 何しろ孫悟空の奴に肚の中で居坐りをされた日には、
 こちらも生命がなかったかもしれないからね」
「ハッハハハハ」
とそばできいていた三大王が笑い出した。
「じゃ、お前は反対の意見と見えるね?」
と老魔がきいた。
「いやいや。送りますとも。私も一緒に送りますとも」
「しかし、お前のその口ぶりは否定的なものだぜ。
 もしお前にその気持がなかったら、
 我々二人だけで行くから無理をすることはないよ」
「そうじゃないんだ」
と三大王はまたも笑いながら、
「連中が何とか無事にここを通らせてくれと言って、
 兄貴たちに頼むなら、
 まあ、奴らの仕合わせというものだ。
 しかし、もしどうしても我々に送れと無理を言ったら、
 それこそ私の“調虎離山の計”に
 かかりにくるようなものですよ」
「ふん。その調虎離山の計というのは何だね?」
忽ち大大王は興味をそそられた。
「この洞内には手下が沢山います。
 その中から精鋭を十六名と三十名えらび出すんです」
と三大王は答えた。
「十六名と三十名とでは、
 またえらくはんぱな数じゃないか」
「三十名は道々の接待孫で、
 二十里もしくは三十里ごとに
 ご馳走をする準備をしてもらうのです」
「あとの十六名は?」
「十六人のうち八人は露払いで、八人が轎をかつぎます。
 その左右に我々が随って、ここから四百里も行けば、
 私の領地へ到着するでしょう。
 私の方ではあらかじめ準備をして、一行が到着したら、
 こういう具合にしますから、かようかようしかじか……」
と耳に口をよせて何やらささやくと、
老魔は突然悪夢から呼びさまされたように、
「うむ、うむ。なるほど。そいつはうまい考えだ」

早速、三十名と十六名をえらび出して
三大王にあたえる一方、
「ほかの者は一切外出を禁ずる。
 大ぜいの者が往来を行ったり来たりすると、
 向うでも警成心を強くするからな」

老魔は自ら先頭に立つと、
部下をひきつれて三蔵法師を迎えにやってきた。
その恭順な姿を見ると、
「これもお前の力だな」
と三蔵は悟空の方をふりかえって手放しで喜んでいる。
「皆さん、本当にご苦労さまです」

すすめられるままに轎の上の人になると、
三人の弟子たちもそれに従って山を越えて西へ向った。

時はまさに秋の終わり、
近頃ハヤリの易の術語を使えば「泰極否還生」、
喜びすぎて愁い至るの季節なのである。
そんなこととは知らないから
一行は手厚いもてなしにすっかり感激しながら、
西へ西へと進んで行くうちに
早くも四古里ほどもすぎてしまった。
もうあと一里で城下に着くというところまできて、
ふと悟空が前を見ると、
びっくり仰天して思わず立ちどまった。
それというのも表に妖気が立ちのぼっていたからである。
「こいつはいかんぞ」
悟空が叫び声をあげるかあげないうちに、
耳のうしろでヒューンと音がした。
本能的に身をかわすと、
それは三大王の方天戟が風を切ってとんでくる音である。
「何をする!」
素早く如意棒で受けとめはしたが、
あちらでは老魔が八戒に向って、
こちらでは二大王が沙悟浄に向って
一せいに斬りかかっている。
忽ち三対三の激戦がはじまったが、
あらかじめ計略をさずかっていたと見えて、
十六人の手下どもは、
三人が防戦に気をとられているあいだに、
白馬や荷物もろとも
三蔵法師を城の中へ連れこんでしまった。
そのうちに日が暮れかかってきた。
腹は減ってくるし、寒さは追ってくるし、
真っ先に弱音をあげたのは八戒である。
形勢悪しと見て、敵に背を向けた途端に、
老魔の刀がとんできて、
もう少しで首ごと持って行かれるところだった。
幸いにも首をちぢめる方が少し早かったから、
頭の毛を一握り刈りとられるだけですんだが、
その代り、「あっ」と首の健在をたしかめたすきに、
頭からガブリとくわえられて
城の中へ連れこまれてしまった。

老魔は猪八戒を手下に引きわたすと、
すぐまたひきかえしてきて弟分の助太刀にかかった。
「こいつはいけねえ」
と沙悟浄が逃げ腰になると、
これまた二大王の鼻に腕ごと巻きつけられて、
そのまま城の中へ連れこまれてしまった。
中空でさっきから二人の様子を見ていた悟空は、
「もう駄目だ」

三対三でもどっこいどっこいだったのだから、
一対三では敵いっこないにきまっている。
あとの二人が戻って来ないうちに、と、
悟空は斗雲に乗って逃げ出した。

すると、
いままで方天戟を使って相手になっていた三大王も、
本性を現わして間髪を入れずあとを追った。
いや、そのスピードのすごいこと。
悟空の一跳びは人も知るごとく十万八千里だが、
三大王の拡げた羽は一回羽搏けば九万里。
だから、ただの二回も羽搏かないうちに、
早くも悟空に追いついて、
爪先でガッシリと悟空をつかまえてしまったのである。

悟空は何とかして逃がれようと、
大きくなったり、小さくなったり、色々に工夫するが、
その度に相手も同じことをくりかえすので、
どうにも術がないままに城の中へ連れ込まれて、
八戒や沙悟浄と同じ穴倉へほうりこまれてしまった。

夜も更けて、三蔵が同じように穴倉の中へ連れて来られた。
見ると、八戒と沙悟浄だけでなく、
悟空までが金しばりにしばられているので、
すっかり驚いて、
「おお。
 お前までがここにつかまえて来られてはもうおしまいだ」
「なあに大丈夫ですよ。
 もう少したって、化け物たちが寝静まってから
 逃げ出すことに致しましょう」
と悟空はすましたものである。
「だけど、兄貴。
 俺のこの麻縄を見てくれ。
 肥っちょのせいか知らぬが、
 縄が身体の中に二寸も食い込んで、
 ちょっとやそっとでは逃げられそうにもないよ」

八戒が喘ぎ喘ぎ言うと、
「ハッハハハ……。
 麻縄が棕櫚縄だろうが、金鎖だろうが、
 俺はいささかの痛痒も感じないよ」

悟空が平気な顔をして話しているところへ、
老魔の怒鳴っている声がきこえてきた。
「おい。早く鍋の下に火を入れろ。
 これからあの四人をきれいに洗って蒸籠にかけるからな」
「きいたか、兄貴」
と八戒は身の毛を逆立てながら、
「俺たちを蒸し物にすると言っているぜ」
「心配するな。
 トルコ温泉に無料で入れてもらえるんだと思えば
 いいだろう」
「閻魔さんと隣り合わせで、
 ミス・トルコもスぺッシャル・サービスもないよ」
と沙悟浄が泣き言を言った。
すると、また大きな声がきこえてきた。
どうやら二大王の声のようである。
「猪八戒は蒸しにくいだろうから、考えた方がいいよ」
「そうだともそうだとも。
 いまわの時になっても助け舟が出るのは、
 ふだんの心掛けがいいからだな」

八戒が顔を綻ばせたのも束の間、
「蒸しにくけりゃ皮を剥いでから蒸せばいいじゃないか」
と、これは三大王の声である。
「冗談いうな。
 見かけは悪くても、湯の音をきけば、
 忽ち柔らかになるよ」
と八戒はすっかりあわてた。
「どつちにしても蒸しにくいのは
 一番上の段に入れるに限るよ」
と大大王が言った。
「ハッハハハ……。
 八戒、心配するには及ばないよ、
 相手は料理のシロウトだ」
と悟空は笑いながら、
「大体、蒸し物をする時は、
 蒸しにくいのを下にするのが本当だ。
 なぜって、上の方がよく蒸気がまわるからな。
 それを逆に上の段に入れれば、
 恐らく一番あとまわしになるだろう」
「だけどよ、もし奴らが癇癪をおこして、
 魚を焼くように俺を裏がえしにしたらどうする?
 イノチのサンドウィッチなんてきいたことがないぜ」
「大王。湯が沸いてきました」

折しも手下どもの叫ぷ声がきこえてきた。

2001-03-26-MON

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