毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第七巻 道遠しの巻 第六章 鐘は錆びたり |
二 柳の下のアパート しかし、それより一瞬早く国丈は悟空の姿を認めた。 見ると、五百余年前に天宮荒らしをやった 斉天大聖孫悟空ではないか。 「こいつはいけねえ」 とるものもとりあえず雲にとびのると、 国丈は空へ駈けあがった。 「待て。俺のこの痛棒を食らえ」 悟空も斗雲にのると、すぐあとを追いかけた。 中空では忽ち一大死闘である。 悟空が如意棒をふりかざして攻撃して行くと、 化け物も蟠竜拐杖しごいて迎え討つ。 空は俄かにかきくもり、闇に響きわたる雷鳴に、 比丘国の人々はふるえあがったまま生きた心地もしない。 化け物は悟空の攻撃を巧みにかわしながら およそ二十数回もわたりあったが、かなわじと見ると、 蟠竜拐杖をおさめて、さっと身をひいた。 そして、一条の光線になると、宮殿の奥深く忍びこみ、 自分が国王に献上した妖后をつれて いずことも知れぬ方向へ消え失せてしまったのである。 悟空は雲の上からおりると、 「さあ、皆さん。なかなか結構な国丈をお持ちでしたね」 役人たちは頭を地べたにくっつけたまま、 なかなか立ちあがろうとしない。 「ところで、あの暗君はどこへ行きましたか?」 と悟空はきいた。 「さあ、戦争がはじまると、 驚いてかくれてしまいましたが、 宮殿の中のどこかにいるでしょう」 「早くさがし出して下さい。 美后の道連れにされては大へんだ」 役人たちはあわてて美后宮へとんで行ったが、 国王の姿はおろか、美后の影も見当らない。 奥からは正宮、東宮、西宮、六院と 多くのお妃が次から次へと挨拶に出てきたが、 「私にお礼を言うより、 早くあなたたちの国王を探し出して下さい」 ほどなく国王が家来たちに支えられるようにして出てきた。 「陛下。神僧のおかげで国丈の正体がわかりました。 どうぞ神僧にお礼を述べて下さい」 家来たちが言うので、国王は悟空を宝殿に迎え入れた。 「この度はどうもお蔭さまで、 目がさめたような思いでございます」 国王は両手を合わせて感激の意を表しながらも、 「時に長老は さきほどとまるで人相が違ったように見受けられますが、 どういうわけでございますか?」 「ハハハハ……。 さっき参りましたのは私の師匠の唐三蔵で、 私はその弟子の孫悟空でございますよ。 私のほかにもう二人、猪悟能と沙悟浄という弟子と一緒に 金亭館に泊っています。 あなたが化け物の妖言に惑わされて、 私の師匠の生き肝を ほしいなどとおっしやるものですから、 私が師匠の姿に化けて身代りにやってきたのです」 国王はそれをきくと、 早速、太宰に命じて三蔵を迎えに行かせた。 顔に小便臭い泥を塗られて、 ただでさえ不快な思いをしていた三蔵は、 「比丘国の太宰が国王の命を受けてお迎えに参りました」 ときかされると、驚いてとびあがった。 「安心して下さい。お師匠さま。 今度はあなたの心臓を いただこうというのではないらしいですから」 と八戒が笑うと、 「でもこんな醜い恰好で、 どうやって宮殿へ行くことが出来ようか」 どたん場になってもまだしきりに 容貌のことを気にしている。 「そんなことおっしゃっても、私ではどうにもなりません。 兄貴にあえば何とかしてくれるでしょうから、 このまま出かけることに致しましょう」 三人は宮殿に入ると真直ぐ殿下へ進んだ。 悟空は三蔵の泥まみれの姿を見ると、 すぐ脇へ連れて行って顔の泥をかきおとし、 息を吹きかけて「変れ!」と叫んだ。 やがてもとの眉目端麗な三蔵が現われた。 「これはこれは法師老仏さま」 と国王は、さいぜんとは打って変った歓待ぶりである。 「陛下にお伺いしたいと存じますが、 あの化け物はどこから来たか ご存じでいらっしゃいますか?」 と悟空がきいた。 「そう言えば、 三年前にあれらがきた時にきいたことがあったっけ」 国王はむかしのことを思い出しながら言った。 「何でもここからあまり遠くないところで、 たしか南へ七十里ほど行ったところに 柳林坡清華荘というところがある。 国丈には男の子がなくて、 年老いてから女の子が一人生まれた。 嫁にやるよりも、私にさしあげたいと言うことで、 ここへ連れてきたので、私は喜んで後宮に入れたが、 そうしたら間もなく病気になってしまったのです」 「おい。八戒。一緒に出かけようじゃないか」 と悟空は早速、出発にとりかかった。 「兄貴と出かけるのは結構だが、 腹の虫が言うことをきかないんだ」 八戒がきこえよがしに言うと、国王はす今に、 「光禄寺ですぐ宰席の用意をするように」 と命じた。 鱈腹かきこんで、やっと落着きをとりもどした八戒は、 悟空にせかれると、 急いで雲にのって比丘国からとびたった。 国王の言に従って南へ行くこと七十里。 雲の上から見ると、 流れをはさんで両岸に柳がズラリと生えている。 あとは畑や田圃が見渡す限り続いていて、 どこにも清華荘らしき建物は見当らない。 悟空はあちこちさがしてもわかりそうにないと見ると、 呪文を唱えて土地神を呼び出した。 「ここはどこだ?」 「ハイ。柳林坡でございます」 と土地神はその場にひれ伏した。 「じゃ清華荘というところがあるだろう?」 「清華荘ではなくて、清華洞ではございませんか」 と土地神はききかえした。 「もしそうだとしたら、ハハン、わかりました。 もしや大聖は 比丘国からおいでになったのではございませんか?」 「いかにもその通り。 比丘王と美后のロマンスは お前も知っているかもしれないが、 はじめアツアツあとブルブルさ」 「それじゃ清華洞に間違いございませんよ。 あの化け物が三年前におなごを連れて 比丘国へ出かけて行くのを私は見ておりました。 本当は国王に忠告してさしあげればよかったのですが、 化け物の勢力が強くて、 私ていどでは到底歯が立たなかったのでございます」 「すると、奴らはやっばり魔窟の出身なんだな。 清華荘なんていうから二号さんでもいそうな 小綺麗なアパートかと思ってさがしまわったが、 これでは見つからないのも無理はないわい」 「清華洞は表から見ただけでは 見えないようにできているんですよ。 あの川の南岸に幹が九つに分れた柳の樹があります。 その根元を左へ三回転、続いて右へ三回転、 それから手で横を叩いて、 ひらけひらけひらけと三度連呼すると 精華洞が現われてくるのです」 言われた通り悟空が八戒と一緒に川を越えて尋ねて行くと、 はたして九本に分かれた柳が見つかった。 「おい、八戒。 まさかということがあるから お前は向うで見張っていてくれ。 化け物を見つけたら、俺が追い立てるから、 あとはお前にバトンタッチするぜ」 八戒を半里ほど先に行かせると、 悟空は土地神に教えられた通り、 左へ三回転、続いて右へ三回転、 それから柳の樹をポンポンと叩いて、 「ひらけひらけひらけ」 と叫んだ。 と見よ。 ギーギーと扉をひらく音がしたかと思うと、 いつの間にか柳の樹は消え失せ、 花咲き匂う静かな庭園が眼前に展開されてきた。 悟空が急いで近づいてみると、石の塀が聳えていて、 その上に「渚華仙府」と大書されている。 軽々と塀を乗りこえて、悟空が中へとびこむと、 折しも化け物が美女を傍らに 比丘国のことを述懐しているところであった。 「やい。とうとう見つけたぞ」 悟空が大声をあげると、 化け物はいきなり女をほうり出して、 蟠竜拐杖で如意棒の攻撃を素早く受けとめた。 さあ、今度の戦闘は前回とはわけが違う。 悟空も勇気百倍なら、防ぐ化け物も死物狂いである。 「何で俺の家へ入りこんできやがったんだ?」 「言わずと知れたこと。 化け物退治にいささか興味を持ってるんだ」 「俺と国王の取引に割りこんでくることはないだろう。 お小遣いが欲しいのなら、やらんわけではないんだぜ」 「バカも休み休みに言え。 金が欲しかったら坊主になったりするものか!」 「それじゃ何が欲しくてやってきた?」 「罪のない子供を情容赦もなく殺そうという化け物を 退治に来たと言っているじゃないか。 この蛍光灯め!」 風は風を呼び、雲は雲を呼ぶ。 二人は洞門の中で打ち合いをしていたが、 忽ち外へとび出してきた。 八戒得たりとばかりに熊手をふりあげると、 両方から挟み撃ちにかかった。 一人でさえかなわないのだから、 二人では喧嘩になろう筈がない。 化け物は驚きあわててドロンと姿を消すと、 東へ向って逃げ出した。 「待て」 「逃がすな」 二人が息せききってあとを追うと、 遠くでホロロン、ホロロン、と鶴の啼き声がきこえてくる。 空からもれてくる明りを見あげると、 それは南極老人星であった。 老人星は逃げてきた細い閃光をつかまえると、 「おふた方、もうあとを追わないで結構です。 この通り私が参ったのですから」 「誰かと思ったら、寿星君じゃないか」 と悟空が言うと、八戒は笑いながら、 「さっき閃光を遮ったところを見ると 化け物はつかまえたらしいぜ」 「おっしゃるとおりです。ここにいますよ。 ですから、どうか勘弁してやって下さい」 「おやおや。 化け物と君と何の関係もないのに、 どうして口をきいてやったりするんだね?」 悟空がききかえすと、 「生憎とそれが私の足なんですよ。 足の奴め私が東華帝君と将棋打ちに夢中になっていた間に 逃げ出して、この通り化け物になってしまいましてね」 「すると、 君の上半身と下半身は別々になっているのかい?」 と八戒が口を出した。 「いやいや。足と言っても乗り物のことですよ」 「それじゃ本性を現わさせて見ろよ」 寿星は手に握った一条の閃光を放して、 「こん畜生! 早く本性を現わさねえと、生命はないぞ」 化け物はクルリと宙がえりをしたかと思うと、 一匹の白鹿になって現われた。 寿星はそばにおちた拐杖を拾いあげながら、 「全くしようのない奴だ。 わしの拐杖まで持ち逃げしていたとは!」 寿星は白鹿にまたがると、すぐにも帰路に就こうとしたが、 悟空はそれを遮って、 「ちょっと待った。 あと始末がまだ二つばかり残っているよ」 「まだ二つ?」 「そうだよ。 美人がまだつかまっていないし、 比丘国の国王に化け物の正体を見せて 納得してもらわなきゃならん」 「それじゃあなたと天蓬元帥さんに 美人をつかまえてきてもらいましょう。 そしたら私が正体をあばいてさしあげますよ」 言われて八或は威勢よく洞内にとぴこむと、 美人は逃げ場を失って、 後門から一条の光線になって消え失せようとした。 先廻りをして待ちかまえていた悟空が すかさずそれをつかまえて、力任せに殴りつけると、 化け物は塵の中にドスンと倒れた。 本性を現わしたのを見ると、一匹の白面狐狸である。 「こん畜生。よくも一杯食らわせやがったな」 八戒は熊手をふりあげて狐狸の頭を叩きつけたので、 可哀そうに傾国の美女は一瞬にしてただの襟巻である。 「待て待て。 形は残して比丘国の昼行灯に見せてやらなくっちゃ」 悟空は狐狸のなきがらを手にとって寿星にわたすと、 「ではこれから比丘国の国王に会いに行こう」 国丈の本性を見せつけられ、 更に美后の死体をつきつけられては、 さすがの国王もかえす言葉に窮した。 悟空は山中に疎開させていた子供たちを無事に連れかえり、 寿星は国王に延寿息災の術を教えると、 それぞれ旅立ちの仕度にかかったこと言うまでもない。 |
2001-03-31-SAT
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