毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第七巻 道遠しの巻 第七章 色の道は底なし |
四 亭主の座 山の中を細い道が曲りくねりながらも続いている。 その道を五、六里ほども進んで行くと、 突然井戸端で水を汲みあげている二人の女が見えた。 見ると、世の中はパーマネントが流行だというのに、 まだ円筒のように背の高い髷を結っている。 こりゃてっきり流行遅れのお化け女だと早合点した八戒は そばへ駆けて行くと、「よお。お化けさん」と呼んだ。 ふりかえった二人は、 そこに助平たらしい坊主が口を鳴らしているのを見ると、 「何よ。 私たちと顔馴染みでもないのに、 そんな馴れ馴れしい口をきいたりしてさ。 あんたのその口をひきちぎってやるわ」 二人して手に持ったつるべを 八戒の顔めがけて投げつけてきた。 手に何一つ持たない八戒はあわてて身をかわしたものの、 あまりの剣幕にすっかり驚いて一目散に逃げかえってきた。 「兄貴。兇悪な女どもだよ」 「兇悪とは大袈裟な」 「だって俺が……お化けさんと呼んだら、 二人していきなりつるべをぶん投げてきたぜ」 「アッハハハ。 お化けと呼ばれちゃ お前の女房だってなぐりかかってくるだろうよ」 「しかし、俺の頭のこのたん瘤を見てくれ」 「柔ヨク天下ヲ制スというじゃないか。 奴らは土地の女妖、俺たちは旅の坊主。 辞を低くして礼のあるところを見せれば、 相手だってやさしい笑顔の一つも見せてくれるだろうに」 「なるほど。そいつは気がつかなかったな」 「お前も山の中で育ったのだから、 木に二つの種類があることを知っているだろう?」 「濶葉樹に針葉樹かい?」 「そんな植物学的な区別ではなくて、 もっと文学的な分類だ。 楊木とそれから檀木というものを知っているだろう。 楊木は柔かいから 細工師が好んで仏像をつくるのに用いる。 きれいに金粉を塗られて 多くの人から線香やお供えを捧げられる。 ところが檀木はかたいから搾油場に持って行かれて、 油をしぼる棒の役割をさせられるのが関の山さ」 「早くそれを言ってくれれば、 俺も頭に瘤をつくらずにすんだのになあ」 「じゃ、 もう一度これから行ってはじめからやりなおして見ろよ」 「しかし、彼女たち、俺の顔を覚えているぜ」 「覚えているなら、違う男に化けて行けはいいじゃないか」 「うむ。そりゃうまい考えだ。 しかし、 一体女たちの前に出て何と言えばいいんだろうか?」 「そこはお前の独壇場じゃないか。 何とでも相手をとろかせるような言葉をかければいいさ」 「まあ、そう言わずに、 女と上手に交際する方法のABCから教えてくれよ」 「俺がお前に教えるのでは話が逆だが、 相手にあったら、まずニコニコ笑いながら、 相手の前に跪いて、手にキスをするのさ。 もし相手が俺たちと同じような年頃なら、 マドモアゼルと呼べばいいし、 箸にも棒にもかからないババアなら、マダームと呼べば、 相手は喜ぶだろうと思うよ」 「おやおや。 騎士の礼をとって、 あわよくば入婿に入ろうという魂胆みたいだな」 「そうじゃないんだ。 相手から話をきき出して、お師匠さまをさらって行った 張本人かどうか知りたいのさ。 もし誘拐犯人でなけれは、 またほかへさがしに行かなくちゃならんからね」 「よし。じゃもう一度行ってくるよ」 八戒は熊手を腰にさし込むと、 今度は黒い肥っちょの坊主に化けて、 もときた道を戻っていった。 二人の女のいるところまで来ると、 八戒はその場に膝をついて、 「マダーム、お手をどうぞ」 「あらあら」 と二人の女はすっかり喜んで、 「この坊さん、なかなかイカすじゃないの。 で、どちらからおいでになりましたの?」 「どちらからおいでになりました」 と八戒は答えた。 「で、どちらへいらっしゃるの?」 「どちらへいらっしゃいます」 「まあ、おかしな人。 まるでテテープレコーダーみたいな返事をしたりしてさ」 クスクスと女たちは笑い出した。 「マダーム。 あなたたちは何でこんなところへ 水を汲みにきているのですか?」 と八戒は調子にのってきいた。 「和尚さん。 あたしたちのところで今夜、結婚式があるのですよ」 と女の一人が答えた。 「へえ? 誰の結婚式です?」 「あたしたちのマダームが、 どこの馬の骨か知れない唐の坊さんを 一人引っ張りこんできたんですよ。 生憎と洞内の水はきれいなのがないので、 ここへ水を汲みに来させられて、 これからかえてご披露の料理をはじめるところなんです」 それをきくと、八戒はいきなり廻れ右をして駈け出した。 「おい。沙悟浄。荷物を持って来て分けろ」 「何かというと、 八戒兄貴はすぐ財産分けの話をするんだな」 沙悟浄が笑うのもかまわず、八戒は、 「お前はもとの流沙河へかえって、 むかしとった櫓でも漕ぐんだな。 俺は高老荘へかえって古女房と顔が合わせたいよ。 それから悟空兄貴は 生まれつき性にあった権力の座にでも返り咲くんだな。 だってさ、 お師匠さまはここで経済力のある女と結婚をして、 妻の座ならぬ亭主の座につこうとしているんだそうだよ」 「デタラメを言うな」 悟空が怒鳴りかえすと、 「だって、さっきのババアたちが言っていたよ。 今夜にも結婚式をあげるんだってさ」 「バカだな。 折角、今まで童貞を守り通してきたお師匠さまが、 天竺を目睫にして女のおとし穴に陥落したりするものか。 早く行って助け出してあげなくっちゃ」 「どうやれば助け出してあげられるだろうか?」 「あの女たちのあとをつけて行けば、 お師匠さまのありかがわかるだろう」 三人が急いで女たちのあとを追って行くと、 二人の女の姿が突然見えなくなってしまった。 「あれッ。白昼魔だ」 「いやいや。きっと洞内に入ってしまったんだよ」 悟空に言われて、入八戒と沙悟浄が目をこらすと、 なるほど遥かなるあたりに、「陥空山無底洞」と 六つの文字が書いてある。 「あれッ。 底無しだとよ、ここのホラ穴は! あな、おそろし」 と八戒はもう一度、奇声をあげた。 |
2001-04-06-FRI
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