毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第七巻 道遠しの巻 第八章 尾花と露 |
三 駈けこみ訴え 「お師匠さま。 悟空兄貴の姿が見えないようですが、どうしましたか?」 と沙悟浄がすぐにきいた。 三蔵は化け物の方を指さして、 「悟空はこれのおなかの中にもぐりこんでいるんだよ」 「チェッ。いい気なものだな。 昼の日中から女の腹の中に入っているなんて。 もういい加減に出て来いよ」 「うん。今、出てくるから、 口をアーンとあけていろよ」 言われて女怪は口を大きくあけたが、 悟空は出てくるところを パクリとやられてはたまらないと思ったので、 如意棒をとり出して突支棒にしながら、 なんなく外へとび出してきた。 さて、外へ出た悟空が身構えるより先に、 化け物は両手に宝剣を握りしめた。 洞門の前は忽ち一大戦場である。 「やれやれ。 兄貴は何だって相手の腹の中にいるあいだに、 手っ取り早く片づけてしまわなかったのだろう。 どうだい、あの兇暴ぶりは!」 八戒が且つは驚き、且つはあきれていると、 「全くだね」 と沙悟浄もすぐに応じた。 「せっかくお師匠さまを助け出してきたのに、 あれではどうにもならん。 お師匠さまに休んでいてもらって、 我々二人で助太刀に行こうじゃないか?」 「いや、いや。兄貴を助ける必要はないよ。 あれはちゃんと自分で片づけるだけの実力を 持ち合わせているのだから……」 「しかし、兄弟の誼みというものがある。 たとえ力にならなくても、 景気をつけるくらいのことは出来るだろう」 「よし来た」 八戒は俄かに威勢よく立ちあがると、 三蔵を残したまま化け物に立ち向って行った。 もともと悟空一人だけでも いい加減もてあましていた化け物である。 そこへもう二人が一せいにかかってきたので、 敵わじと見た化け物は右の足のハイヒールを脱いで 息を吹きかけると、「変れ!」と命じた。 忽ち身代りが現われ、 化け物は一陣の風となって消え去った。 いや、消え去った化け物は 生命からがら自分の根城へ逃げかえろうとしたのたが、 洞門まで駈けかえって見ると、 そこに三蔵法師がボンヤリと坐りこけている。 「よし。行きがけのお駄賃だ」 もう一度、三蔵を抱きかかえると、 化け物は荷物や馬ごと洞門の中へひっさらって行った。 そんなこととは気がつかないから、 八戒は夢中になって化け物に襲いかかって行ったが、 やっと熊手に手ごたえがあったぞ、と思ったら、 ひらひらところげおちてきたのは、 何とハイヒールの片足ではないか。 「バカヤロー。 何だってお師匠さまの番をしないで、 いらぬ手出しをしたりするんだ?」 「おい、沙悟浄。だから言ったじゃないか。 この猿の手助けをしたら、確なことにはならない、と。 人の好意でも怨みでかえすのがお家芸なんだから」 「もう一度言ってみろ。 一体、どこで俺の手助けをしたというんだ? 昨日だって、俺は化け物とわたりあって、 お前らと同じようにハイヒールで一杯食わされたが、 お師匠さまをさらわれた時、お前らはどこにいた? 今だってお師匠さまがどうなったか、 わかったものじゃないぞ。 おい。早くさがしに行って見ろ」 三人が急いで洞門まで戻って見ると、 はたして三蔵も馬も荷物も消えてなくなっている。 「やっぱりそうだろう。 お師匠さまは何て災難の多い人だろうな」 悟空がいつになくしんみりした口をきくと、八戒は突然、 「ワッハハハハ……」と笑い出した。 「この野郎。またしても財産分けの話を持ち出すんだろう」 と悟空が怒鳴った。 「いやいや。その話じゃないんだ。 お師匠さまはよくよく化け物に魅入られたんだよ。 大方、もう一度、洞穴の中へ連れ込まれたに違いない。 兄貴にはご苦労さまだけれど、 二度あることは三度あるというから、 もう一度ご足労願いますよ」 仕方がないので、 悟空はまたしても洞穴の中へ入ることになった。 「美男子に生まれたばかりに、 人生に悔い多き哀れなる男よ。 一体、あなたはどこへ連れて行かれたのです?」 悟空が声をあげて叫ぶと、 どこからともなく香の匂いが吹きこんできた。 「ふ−む。あの匂いは奥の方からだな。 奥の方にかくれているのかも知れないぞ」 ひとり如意棒をつかんで、奥へ進んで行くと、 卓上に大きな金の香炉があって、 その中から静かに煙が立ちのぼっているのである。 更によく見ると、香炉を供えている奥に 「尊父李天王之位」と 金文字で書かれた大きな位牌が祭られている。 その脇に「尊兄三太子位」と 小さな字で添え書きがしてある。 「うむ。うむ。 さても、さても、犯人がわかったぞ。 アッハハハハ……。アッハハハハ……」 こみあげてくる喜びをかくそうともせず、 悟空は如意棒を耳の中にしまい込むと、 もう犯人のあとを追おうともせず、 香炉と位牌を手づかみにして外へ出てきた。 「兄貴。えらくご機嫌だな。 お師匠さまは無事だったのかい?」 八戒と沙悟浄がきくと、悟空は、 「俺たちが助けに行かなくとも、 この位牌にききただせばちゃんと出てくるさ」 「しかし、位牌が化け物の本体じゃないだろう。 それに第一、口もきけないじゃないか、 ただの板切れでは!」 「ところが、これを見ろよ」 言われて、覗き込んだ沙悟浄はびっくりして、 「これはまたどういう意味だろうか?」 「あの化け物の館の中にあったのだから、 当然これは李天王の娘が俗界にあこがれて 妖精になったと考えるよりほかないではないか。 だとすれば、これを証拠品として 玉帝のところへ訴えて出れば、 お師匠さまはちゃんと我々の手に戻ってくること 請け合いだね」 「でも、諺にも “他人ヲ死罪デ訴エル者ハ死罪ニナル” とあるじゃないか?」 と八戒が嘴を入れた。 「よほど理窟にかなっていなければ、 ひどい目にあうのはこちとらだよ」 「なあに。 証拠はちゃんとこの通り手元に揃えてあるし、 これに告訴状をそろえて出して万が一にも こちらが敗訴するようになったら、 天道も糞もあるものかといいたいね」 悟空がいつになく自信満々なので、 二人はついつりこまれて、 「じゃ早く天界に行っておくれよ。 愚図愚図しているうちにお師匠さまに不慮の事が起ると 取りかえしがつかなくなるから」 「大丈夫。 釜を火にかけて飯が炊きあがるまでには戻ってくるさ」 悟空はそう言って証拠品を手にとると、 斗雲にとびのって一路、南天門へ向った。 南天門は木戸御免の悟空である。 何なく門を通り抜けて、通明殿の下まで来ると、 四大天師が悟空を出迎えた。 「今日はまた何の用事ですか?」 「訴訟事があって参りました。 どうぞ玉帝におとりつぎ願います」 「へえ? 一体全体、誰を訴えるのですか」 「誰でもいいじゃありませんか。 そのうちにわかりますよ」 やむなく連結をすると、奥へ通すようにとの御意である。 悟空は位牌と香炉と別に告訴状を、 玉帝の前にうやうやしくさし出した。 葛仙翁がそれを受け取って玉帝の机の上におくと、 玉帝は黙って告訴状に目を通した。 「この告訴状を持って李天王のところへお使いに行くよう」 ややあって玉帝は太白金星に命じた。 「どうぞ悪い奴はこらしめてやって下さい」 と悟空が前に進んで改めて念を押すと、玉帝は、 「では原告も太白金星と同行するがいい」 「え? 私も一緒にでございますか?」 「そうだ。玉帝のご命令だよ」 と四大天師は玉帝の言葉を伝えた。 |
2001-04-09-MON
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