毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第三章 平和と共存と

二 モダン寺開山


間もなく天界の西天門に着いた。
「お経をとりに行く仕事はもう無事終ったのですか?」
と迎えに出た護国天王が言った。
「いや、もう九分通りは目的地に近づいたんだが、
 百里を行く者は九十九里を半ばとす、
 と言うからまだまだですよ」
「じゃどうしてまたここへおいでになったのですか?」
「実は天竺国の外郡に鳳仙郡というところがあって、
 ここ三年間ただの一滴も雨がふらないので、
 庶民が困り抜いているんだ。
 何とかしてくれるようにと竜王に頼んだところ、
 自分ではどうにもならないからと言われ、
 やむなく玉帝のところへ直談判にきたわけです」
「あすこは、たしか、
 雨をふらせないことになっておりますよ」
「どうしてまたそんな不公平なことを
 天が仕出かすのだろうか?」
「さあ、そいつは私の関知しないことですから、
 もっと偉い人たちにきいてみて下さい」

やむなく通明殿へ行くと、四大天師が悟空を迎えた。
悟空が同じ不平をくりかえすと、
四大天師も同じように首をふって、
「いやいや。
 あすこは雨をふらせるわけには行かないんですよ」
「そのわけをききたいと思ってきたんですから、
 一つ玉帝にお取りつぎ願いたいですな」
「全く心臓の強い奴には敵わないな」

そう言いながらも、
四大天師は悟空を霊宵毀の下まで連れて行った。
「恐れながら申しあげます。
 孫悟空がこちらへ参りまして、
 天竺国鳳仙郡に雨をふらせていただけないかと
 申しております」
「あすこは三年前の十二月二十五日に、
 口汚なく天を罵った上に、
 お供物をひっくりかえして犬に食わせたところだな」
と玉帝は言った。
「仰せの通りでございます」
「孫悟空は事情を知らないから不平を鳴らしているが、
 念のため坡香殿で行われていることを見せてやるがいい」

四大天師に伴われて、悟空が坡香殿へ入って見ると、
高さ十丈はあるかと思われる米の山があって、
一調のちっぽけな鶏が米をついばんでいる。
その隣りには二十丈ばかりの高さに盛りあげた
ラーメンの山があって、
ここには金毛の犬が一匹
ペロリペロリとラーメンを食べている。
更にその隣りを見ると、
長さ一尺三、四寸、太さは指くらいもある鉄の鎖が
棚の上から垂れていて、
下から行灯の明りが細々と燃えあがっている。
「これは一体何のおまじないですか?」
と悟空はきいた。
「あすこの不信心野郎が天を侮辱したので、
 玉帝は鶏が米を食べ尽し、犬がラーメンを平らげ尽し、
 明りが鎖を断ちおとすまで雨をふらすな、
 とお申しつけになられたのでございます」
「そいつは“百年河清を待つ”よりも、
 もっと悠長な話じゃないか。ウーン」
と唸り声を立てたまま、
悟空はしばらく次の言葉がつげないでいた。
「まあまあ、そう心配なさらないても大丈夫ですよ」
と四大天師は笑いながら、
「このままの形なら、
 いつまでも雨をふらせることは出来ませんが、
 “天を感動させる”というコトバもありますように、
 天を動かせばあのおまじないなんぞ
 立ちどころに消えてしまいますよ」
「じゃよく考えて見ましょう」

悟空は再び霊宵殿へ戻るのをやめて、
実直ぐ鳳仙郡へ帰ってきた。
「どういう按配でした?」
「どうでした?」

郡侯をはじめ三蔵や八戒たちが迎えに出てきたので、
悟空は郡侯に向って、
「あなたは三年前の十二月二十五日に
 どんなことをおやりになったのですか?」
「どうしてあなたは三年前のことをご存じなんですか」
と青くなって郡侯はききかえした。
「お供え物をひっくりかえして犬に食わせるとは、
 一体どういう了簡なんです?」
と覆っかぶせるように悟空は言った。
「すると、やっぱりあの時のことが崇っているのですか? 
 こうなったら仕方がないから
 本当のことを申し上げますが、
 実はあの時、女房がヒステリーをおこして、
 二人で大喧嘩をやったのです。
 カッとなった女房がその辺こあったお供え物の皿を
 持ちあげて投げつけてきたので、
 犬も食わない夫婦喧嘩かと思ったら、
 机の下ころげおちたのを、
 犬に食われてしまったのですよ」
「それがあなたの運の尽きだったのです。
 あの日、玉帝はたまたま下界へおでましになって、
 犬があなたたちの夫婦喧嘩を
 食べているのをごらんになりました。
 そこで天界に三つの条件をつくって、
 その条件が充たされるまで
 雨をふらせてはいけないとお命じになったのです」
「その三つの条件とは何ですか?」
と八戒がきいた。

悟空が坡番殿で見た米の山とラーメンの山の話をすると、
八戒は満面春風になって、
「そんなことなら大したことはない。
 俺を連れて行ってくれれば、
 立ちどころに平らげて大雨をふらせて見せるよ」
「バカも休み休みに言うがいい。
 いくら大食いのお前でも腹がパンクして
 二度と生きてかえっては来られないぜ」
「じゃどうすればいいだろうか?」
と不安げに三蔵にきいた。
「お師匠さま。
 それはそんなに難しいことではありませんよ。
 帰る時、四大天師からこっそり教えてもらいましたが、
 この国の古い宗教は権威を失ったので、
 もう一度、
 民衆に根をおろした宗教を興せばよろしいのだそうです」
「すると、巷間に今、流行している
 あの新興宗教ではどうでしょうか?
 この頃、この地方では最下層にがっちりと根をおろした
 宗教団体が出来あがって、
 マルキシズムを信条とする労組さえも食い荒らされて、
 あげくの果てに
 議会まで占領されかねまじき勢いなんです」
と郡侯が言った。
「それは一体どういう宗教団体なんですか?」
「いや、別に新しい考え方というわけではありません。
 ただ若い者やインテリまでが熱病のように信者となり、
 選挙ともなると違反でつかまっても
 法難と称して一向に意に介しません。
 ですから、選挙をする度に
 議席はますますふえて行く一方なんです」
「それこそ力強い釈尊の使徒ではございませんか。
 その人たちの力を借りれば、
 天を動かすことが出来るかも知れませんよ」

三蔵がそう言うと、
早くも役所の外は幾万という信徒に囲まれてしまった。
人々は手こ手に太鼓を持ち、ナムアミダブツの代わりに、
ナミョホーレンゲッキョを唱えながら大行進をしている。
その勢いたるや豪雨の音もかくや、と思われるほど、
いよいよ激しくなるばかりである。

悟空はすっかり感激して、
「じゃ俺はもう一度行ってくるよ」
「行って来るって、どこへ行くんです?」
と八戒がきいた。
「宗教も地に堕ちたと思っていたら、なかなかどうして。
 これほど如来の信徒が団結すれば、
 王帝も安閑としては居られまい。
 いやのいの字でも言おうものなら、
 労組に食いこんだあの勢いで、
 雷神部隊に食い込まれないとも限らんからね。
 もともと玉帝は機を見るに敏で妥協的なお方だから、
 きっと適当なところで手を打つと思うよ」

悟空は雲に乗ると、またしても西天門へとやってきた。
門を入ると、直符使者が御殿へ急ぐのに出くわした。
「何をそんなに急いでいるのですか?」
と悟空がきくと、
「通明殿へ報告に参るところです。
 坡香殿の米の山やラーメンの山が
 消えてなくなったのですよ」
「やっぱりこうくるだろうと思ったよ。
 じゃ、私もすぐあとから追っかけて行きますから、
 片時も早く朗報をきかせて下さい」

悟空が言うと、そばできいていた護国天王は、
「大聖は玉帝のところへおいでにならなくとも、
 九天応元府へ直行されて、
 雷神を借りられればいかがです。
 どうせあの人がかえってくれば、
 雨をふらせる補正予算は批准になっている筈ですよ」

言われた通り、悟空が九天応元府へ行って待っていると、
はたして玉帝から
雷神部隊を鳳仙郡へ派遣するようにという勅令が届いた。

一天俄にかき曇り、ピカピカゴロゴロと天の響き。
それにナミョホーレンゲッキョの地の声が
ゴウゴウと呼号する。
と見る間にザーッと天の盆をひっくりかえしたように
雨が降りはじめた。

雨は丸一日も降り続け、三尺あまりでピタリと停った。
草も木も、いや、それよりも、人間の眼に生気が蘇った。
「これもひとえに孫大人のおかげでございます。
 この恩を永遠に忘れないために、寺院を建てて
 皆様にお住みいただきたいと存じます」
と郡侯が言った。
「ご好意は有難いが、ごらんの通り私らは旅の僧、
 一、二目のうちに是非出発しなければならないのです」

三蔵はしきりに断わるが、
郡侯は何と言っても放そうとしない。
連日連夜、宴会を続けているうちに早くも半月が経過した。
或る日、郡侯は四人を案内して
新しい寺院へ出かけて行った。

僅かの間に壮麗な寺院が出来ていたので、
三蔵はすっかり驚いて、
「どうしてまたこんなに早く、
 こんなに大きな建物が出来るのでございますか?」
「これはプレハブ建築と言って、
 今、流行のインスタント工法で建てたのですよ」
「えらいもんだな。
 人間の思想は一向に進歩しないのに、
 科学技術はまさに日進月歩だな」

悟空はすっかり感心している。
郡侯が三蔵に寺の命名を請うたので、
三蔵は、あれこれ考えた末に、
「モダン寺というのではどうでしょうか」
「結構ですね。
 和尚さまがこんなにモダンなセンスをお持ちとは
 存じませんでしたよ」

モダン寺の開山式が終ると、
三蔵の一行は別れを惜しむ人々に送られて、
鳳仙郡をあとにしたことは言うまでもない。

2001-04-20-FRI

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