毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第四章 中立主義とは

三 獅子の歯ギシリ


見ると、あまたの妖怪は皆、雑毛の獅子で、
その先頭に見覚えのある黄獅精が立っている。
黄獅の左には猊獅と搏象獅、右には白沢獅と伏狸獅、
そのもう一段しろには獅と雪獅、
そして真中の一番奥に総大将よろしく
九頭獅子が悠然と陣取っている。

八戒は真先にとび出して行くと、
「やい、コソ泥が今度は集団強盗に早変りかい?」
「なにお。
 昨日は俺一人に三人もかかってきたから不覚をとったが、
 よくも俺の洞府を焼き払いやがったな。
 今日こそは百倍にしてかえしてやるぞ」

黄獅精は四明をかざすと、八戒に襲いかかってきた。
八戒が熊手をとって相手になると、
獅精と雪獅精が助太刀に出た。
危うしと見て、
沙悟浄が降妖宝杖を握りしめてとび出して行くと、
猊獅と白沢精がとび出してきた。
続いて悟空が進み出ると、
今度は搏象獅と伏狸獅が迎撃に出た。
七人の化け物と三人の荒くれ和尚が
入り乱れて戈をかわすさまは、
とてもとてもこの世の極楽の出来事とは想いもよらぬ。

戦闘はおよそ半日も続いた。
その中に日が暮れかかって来ると、
八戒は息切れがして敵にうしろを見せた。
「待て」

雪獅精と獅精がすぐ追いついて、
八戒の背中に一打ちを食らわせた。
「あッ」と叫んで八戒は地べたに這いつくばった。
二人の化け物に素早く八戒の尻ッ尾をつかまえると、
九頭獅子のところへ引き立てて行った。

八戒が敗れると、沙悟浄も悟空も逃げ腰になった。
それを見ると、
化け物は衆をたのんで一せいに襲いかかってきた。
悟空は一束の毛を抜いて「変れ!」と叫んだ。
と忽ち数百人の悟空が現われて、
今度は逆に化け物たちを包囲した。
あわてた化け物たちは一せいに逃げ出したが、
逃げ遅れた猊と白沢が悟空の捕虜になってしまった。

老妖怪は自分の手下が二人捕らえられたことを知ると、
「八戒を縛りあげろ。
 しかし、傷つけてはならぬ。
 二対一の人質交換なら、
 こちらとして割に合わんことはあるまい」

一方、
悟空は獅子精を二人しばりあげて城内へ引きあげてきた。
「八戒の生命は大丈夫だろうか?」

三蔵が心配そうな顔をしてきいた。
「絶対大丈夫ですよ。
 こちらにも捕虜がいるのですから、
 手をつける筈がありません。
 明日にでもなったら人質の交換をやってきますよ」

三人の小王子は悟空の姿を見ると、
「さきほどから老師の奮戦ぶりを見ておりましたが、
 どうして一人が
 突然数百人にもなったのでございますか?」
「ああ、あれか」
と悟空は笑いながら、
「私の身体には八万四千の毫毛がある。
 一を十となし、十を百となし、
 百を千万億と化することが出来る。
 何千、何万人でも分身をつくる術があるんだよ」

王子たちは目をパチクリさせて、
ますます悟空に対する尊敬の念を深めたようである。

さて、その翌朝、
九頭獅子は黄獅精を呼んで作戦をさずけた。
「お前らは今日は
 孫悟空と沙悟浄を捕えることに全力をあげよ。
 私はこっそり上空から城内に忍び込んで、
 奴らの師匠と老王父子をつかまえて
 一足先に九曲盤桓洞へ戻っているから」

黄獅精に教えられた通り他の四人の獅子精を連れて、
再び城のそばに近よって罵声を浴びせた。
「やい、泥棒集団。
 俺たちの八戒を送りかえせ。
 さもないと生命はないぞ」
と悟空も負けずに怒鳴りかえした。

五人はせせら笑いながら、
「勇気があったら出て勝負をせい。
 口だけの喧嘩なら
 国連総会にでも出席した時にやろうじゃないか?」
「いいとも。束になってかかって来い」

悟空と沙悟浄は同時にとび出した。
二人が五人の化け物を相手に死悶を続けていると、
老妖怪は黒雲を走らせて城の上へやって来た。

俄かにあたりが真暗になったので、
下にいる人々が空を仰ぐと、あっと叫んで逃げ出した。
それもその筈、化け物には九つの頭があって、
グワッと口をひらくと、一口に三蔵、一口に老王子、
一口に第一王子、一口に第二王子、
一口に第三王子をくわえ、更に方向転換すると、
捕虜にしておいた八戒と都合六人をくわえて
とびあがって行ったからである。

それでも化け物の口はまだ三つあいている。
化け物はあいたその三つの口をひらいて、
「一足先にかえるぜ」

五人の獅子精は途端に勇気百倍、
悟空と沙悟浄に敢然と挑みかかって行った。

城内の騒ぎをきいた悟空は計略にかかったことを知り、
素早く臂の毛を抜いて口でかみしめ、プッと吐き出した。
と忽ち幾千とも知れぬ小悟空が現われ、
見る間に雪獅精、搏象獅、伏狸精を生け捕りにした。
びっくりして逃げ出そうとした黄獅精は
うしろを見せたところを悟空の一撃にあい、
その場であえない最期である。

悟空が、死んだ黄獅精も含めて
五人の化け物を縛りあげて城内へ戻って見ると、
王府では妃たちが
気も頴倒せんばかりに泣きじゃくっている。
「ご心配なさるな。
 化け物の手下は七人ともつかまえてありますから、
 交渉の余地か残っています。
 今夜は一休みさせてもらって明日朝早く出かけましょう」

次の日、悟空と沙悟浄は雲を走らせると、
竹節山の上に来た。
空から見おろすと、
先日、文箱を持ってきた小妖怪が手に短棍を握って
谷間からのこのこ出てくるのが目に入った。
「こらッ。俺だぞ」

悟空が大声で怒鳴ると、小妖怪が転げるように走り出し、
パッと消えてしまった。
消えたあたりに追いついて見ると、
そこに洞府があって、石の扉が堅く閉ざされている。
門の上に石の板が掛けてあって
楷書で「万霊竹節山 九曲盤桓洞」と大書されていた。

さて、小妖怪は洞内に駈け込むと、老妖怪に向って、
「外に例の坊主が二人やって来ました」
「お前の主人や他の獅子たちは戻って来ないのか?」
と老妖怪にききかえした。
「いいえ、私が見かけたのは二人の坊主だけでございます」
「ああ」
と老妖怪は溜息をつきながら、
「やっぱり黄獅子は死んでしまったのだな。
 そしてほかの者はみんな
 生け捕りにされてしまったのだな。
 この恨みは必ず晴らしてみせるそ」

九頭獅子は鎧兜もつけず、手に武器一つ持たず、
単身、洞門をあけて外へ出て行った。
その姿を認めて悟空と沙悟浄が立ち向って行くと、
老妖怪は頭を一ふりふった。
すると左右四つの頭が一せいに口をひらき、
まるで塵埃でも吸いあげるようにいとも易々と
悟空と沙悟浄をくわえて洞内へ引きかえして行った。
「縄をもって来い」

忽ち二人はグルグル巻きにされてしまった。
「この猿め、よくも儂の弟子どもをひっとらえて行ったな。
 八人に七人なら、まだこっちの方が優勢だからいいが、
 黄獅子の生命は戻って来ない。
 こうなったら、お前の生命で埋め合わせをしてくれるぞ」

鞭をもって来させて、
手下に命じて力任せに悟空を鞭打たせた。
皆も知っての通り特殊鋼より堅い悟空の身体だから、
痒いところをかいてもらっているような感じだが、
鞭の音をきいている他の者は
ゾッとして生きた心地もしない。
「どうか代りに私を代打って下さい」

見るに見かねて沙悟浄が口を出した。
「あわてるな。明日にはお前の番が廻ってくる」
と老妖怪は言った。
「それじゃ明後日は俺の番か」
と八戒が頓狂な声を立てた。

日も暮れたので、老妖怪は手下に明りをつけさせ、
三人に番をするように命じて自分の寝間へ引揚げた。

三人の番人はかわるがわる鞭をふりあげていたが、
夜も更けてくるとうとうとしはじめた。

悟空はそっと身体をつぼめて、縄から脱け出した。
そして、如意棒をとり出すと、
「さあ、よくぞ按摩をしてくれた。
 お前らにもお返しをしてやるぞ」

あっと言う間に三人がのし餅になってしまったことは
いうまでもない。
悟空けけ明りを大きくすると、
沙悟浄の縄から解きにかかった。

それを見た八戒は、
「兄貴、どうして俺の方からほどいてくれんのか?
 俺ゃ身体が脹れあがって死にそうだよ」
「シーッ。大きな声を出すな」

悟空はあわてて制したが、もう間に合わない。
「誰だ? 縄をほどいたのは」

老妖の起きあがる物音に、悟空はあわてて明りを消した。
そして、沙悟浄にかまわず幾重にもなった門を打ち破ると、
全力疾走で外へ脱け出した。
「明りを持って来い」

手下が明りを持って入って来ると、
悟空と沙悟浄の姿が見えない。
「逃がすな。門をしめろ」

まだ軒下をうろうろしていた沙悟浄は難なくつかまって、
また元に逆戻り。
しかし、悟空は杳としてどこにも見当らない。
破られた扉を見て老妖怪は悟空が逃げ去ったことを知り、
手下に命じて扉の修復をさせると、
門を堅く閉ざして
蜘蛛の子一匹入れない厳重な警戒体制をとった。

2001-04-25-WED

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