毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第五章 世は観光ブーム

二 教義か観光か


「どうなさったのですか?
 長老さまはどこへ行かれたのですか」

坊主たちが青くなってきいた。
「化け物にさらって行かれたよ」
と悟空は笑いながら、
「お前らは化け物と仏さまの区別もつかないで、
 しきりに化け物を有難がっている。
 うちの師匠も、
 仏に会いたい一心でうきうきしていたが、
 喜びきわまって悲しみ至るとはこのことだね」
「そんな呑気なことを言っている時じゃありませんよ。
 一体どうすればいいんです?」
と沙悟浄が言った。
「お前らは、坊主どもと寺へかえって待っていてくれ。
 俺が走りしてくる」

悟空は斗雲にとびのると、
風のあとを追って東北の方向へ向った。
そのうちに夜が明けて風がしずまってきた。
見ると、眼前に大きな山がそびえている。
崖の上にとびおりた悟空が道を探していると、
四人の男が三頭の羊を追って通りかかるのが見えた。
仔細に観察すると、年、月、日、時の四値功曹である。
「こらッ。
 お前ら今頃、何でそんなところをうろちょろしておる!」

悟空が如意棒をふりあげると、四人はその場に膝をついて、
「実は大聖がこの附近の地理地形に
 お詳しくないかも知れないと思って、
 お手伝いに参ったのでございます」
「フム。
 すると、俺の、お師匠さまが
 どんな目にあっているか知っているわけだな?」
「ハイ。
 泰ノ極ハ否ヲ生ジ、楽ノ盛ハ悲卜成ル、
 と申します。
 老師さまが妖怪のとりこになったことは存じております」
「じゃ、この山がその化物たちの棲処か?」
「その通りでございます。
 この山は青竜山と申しまして、
 奥に玄英洞という洞窟があって、
 その中に三人の妖怪が往んでおります」
「妖怪の名前は何というか知っているか?」
「ハイ。
 一番上が辟寒大王、二番目が辟暑大王、
 三番目が辟塵大王と申しまして、
 千年も前からこの山に住んでおります」
「ちぇッ。
 三人揃うと、
 エア・コンディションみたいな名前じゃないか?」
「そうなんです。
 山の中に住んでいるくせに常温常湿を好んで、
 生活もこの上なく贅沢で、
 子供の時から酥合香油が大好物です。
 ですから、金平府の役人どもをだまして、
 金燈をつくらせ、毎年、正月になると、
 仏に化けて一年分の油をしぼりとってかえるのです。
 ことしはそれにおまけがついていて、
 聖僧の肉が食べられるぞ、
 と喜んでいるかも知れませんよ」
「よし、わかった」

悟空は四値功曹に別れると、
早速、崖をおりて洞窟に向った。
数里ほど行くと、谷川のそばに石崖があって、
崖の下に半びらきになった石の扉が見えている。
門の脇の石の柱には「青竜山玄英洞」と書いてある。
「こら。化け物。早く俺の師匠をかえせ」

悟空の怒鳴る声をきいて、
奥から数人の小妖怪がとび出してきた。
「お前は誰だ?
 人の家の前にきて
 借金取りみたいに大きな口をきいたりして……」
「俺は大唐国からお経をとりに来た唐三蔵の一番弟子だ。
 途次、金平府で提灯見物をしていたところ、
 師匠をお前んとこの化け物にかっぱらわれてしまった。
 非を認めておとなししく師匠をかえしてくれるなら、
 生命くらい見逃がしてやってもよいが、
 ああでもないこうてもない、と言を左右にして見ろ、
 洞窟ごとぺっちゃんこにしてくれるぞ」

小妖怪はびっくりして奥へとんで行った。
「大へんです。大へんです」

奥では三人の妖怪が手下に命じて、
三蔵を素裸にして水洗いをしているところだったが、
「どうした? 何ごとだ?」

小妖怪が報告をすると、
化け物たちは互いに顔を見合わせて、
「採用試験でもあるまいし、戸籍調べをしなかったが、
 こりゃはじめから身元調査をやりなおした方が
 よさそうだ。
 おい、奴に服を着せてここへひき立てて来い」

三蔵は化け物の前に連れて来られると、
の場にひれ伏した。
「そもそもお前はどこの坊主だ?
 なぜ仏の姿を見ても道をさけなかったのだ?」
と化け物が怒鳴った。
「私は東方大唐国から天竺国の雷音寺へ
 お経をとりにまいる僧でございます。
 そもそもの目的が仏さまに会いに来たのですから、
 これこそ千載一遇のチャンスだと思って
 お待ち申していたのでございます」
「大唐国からここまでどのくらいの距離がある?」
「正確な数字はわかりませんが、
 観音菩薩のお言葉によると、
 十万八千里ということでございます」
「十万八千里の道を山越え河越え、
 テクテク歩いてここまでやってきたのか。
 全くご苦労だといいたいところだが、
 仏も罪なことをするものだよ、
 アッハハハハハ……」
「どうしてでございますか?」
と三蔵はききかえした。
「どうしてかというと、
 仏の総本山では最近とみに信仰の威信が衰えて、
 身入りが少なくなった。
 そこで急遽、
 重役会を開いて海外市場を開拓することになり、
 東方に観音菩薩を派遣したのだ。
 お前が観音菩薩の口車にのせられて
 有難や有難やでやってきたのは、
 総本山の“家庭の事情”によるものさ」
「まさか。すると、
 私はだまされたとでもおっしゃるのですか?」
「だまされたとか、だまされないとか、は主観の問題だよ。
 要するに、現実は総本山が経営方針をかえて、
 教義を売り物にすることから
 観光に重点をおきかえてしまったというだけのことさ」
「でも、昨夜のあの賑やかさはどうです?
 善男善女の数に、
 指折り数えることも出来ないくらいではありませんか?」
「アッハハハ……。
 あれが善男善女なものか。
 奴らは仏をダシにして飲めや歌えをやっているにすぎん」
「でも仏さまに莫大な油代を
 奉納しているではありませんか?」
「いかにもその通りだが、
 あれは政府の景気調節策の一環と見るべきものだ。
 もし俺たちが油を巻きあげてやらなかったら、
 油作りを業としている数千、数万戸の業者は、
 忽ち不景気に見舞われる。
 そうすると、関連事業に連鎖反応が起って
 金平府全体が不況のドン底にたたきこまれる。
 つまり俺たちが有難がられるか、でなければ戦争か、
 という場合に、
 金平府は宗教政策を利用して
 景気を維持しているというだけのことにすぎん」
「そんなバカなことはありません。
 信じられないことです」
と三蔵は唇を青くして言った。
「もしそんなことがあったら、この世はもう終りです」
「ハッハハハ……。
 終りはもうとっくに近づいているのさ。
 天竺なんてところは、見るときくとは大違い。
 見ないうちに死んでしまうのが仕合わせさ。
 ところで、お前は何という名前だ?」
「私の俗名は陳玄奘、
 出家してからは三蔵と呼ばれております」
「ここへ来るのに一人だけで来たわけではあるまい」
「ハイ。弟子を三人連れてきています。
 一番上が孫悟空と申します」
「孫悟空だって?」
と化け物は声をあげた。
「まさか、五百年前に天宮荒らしをやった
 あの斉天大聖じゃないだろうね?」
「あの斉天大聖の孫悟空でございます」
と三蔵は力をこめて言った。
「二番弟子が元天蓬大元帥の猪八戒、
 三番弟子が元簾大将の沙悟浄でございます」

三人の化け物は、互いに顔を見合わせると、
「こりゃ料理にして食べてしまわないでよかったな。
 食べてしまえば一回きりで終ってしまうが、
 生け捕りにして見世物にすれば、
 雷音寺ほどではなくとも、
 慈雲寺くらいの上がりはあるかも知れないぜ」
「そうだよ。
 今どきなお
 五世紀も六世紀も前の思想で生きている人間なんて、
 それたけでも見世物にするだけの値打ちはあるよ。
 外で何やらガチャガチャ言っている
 あの孫悟空もついでにつかまえて、
 組にして見世物小星でもひらこうじゃないか」

三人の化け物はそれぞれ武器で身をかためると、
部下を引き連れて洞門から出て来た。

2001-04-28-SAT

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