毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第八巻 ああ世も末の巻 第六章 恋の恨みは長し |
三 歴史はくりかえす さて、三蔵に別れて会同館に戻った悟空は 二、三歩、歩いては思い出したように、 ニヤニヤ笑っている。 「兄貴。お師匠さまの姿が見えないようだが、 何かおかしなことでもあったのですか?」 と八戒と沙悟浄がきいた。 「うん。お師匠さまにお目出ただよ」 「へえ? そいつはまたどういうことだろう?」 「実はこういうわけで、 お師匠さまが天竺国王の婿殿になることになったのだよ」 悟空がこれまでの経過を話すと、八戒は地団駄ふんで、 「だから俺が行くと言ったじゃないか。 もし沙悟浄がいらんこと引き止めなかったら、 俺がさッと繍毬を受けとめて お師匠さまの身代りを相勤めたのに!」 「やれやれ。 冗談を言うにしても、 先ず鏡と相談してからにすることだよ」 と沙悟浄は自分の顔を撫でおろしながら言った。 すると、八戒も負けては居らず、 「お前も案外、色の道についてはお粗末だな。 顔はまずくとも、また別の味があるものだよ。 嘘とおもうなら、クレオパトラにでもきいて見ろ」 「ぺちゃくちゃ喋らずに、早く荷物を片づけろ。 お師匠さまから連絡があったら、 早速にも助けにかけつけなくっちゃ」 と悟空がなかに割って入った。 「兄貴も話がわからんな。 お師匠さまは国王の婿殿になるんだろう? いま王女さまとソワソワワクワク やっているところなんだろう? 山の中で化け物にあったのならともかく、 俺たちがのこのこ出かけて行ったら、 邪魔物扱いにされるだけのことだよ」 「バカヤロー。 だまってきいていりゃますます地金を出しやがる!」 そこへ駅丞が入ってきて、 国王から迎えの使者が来ている旨を告げた。 「本当に我々三人を招待してくれるんでしょうか?」 八戒が疑い深そうにきいた。 「あなた方のお師匠さまが 陛下の婿殿になることになったのだそうです」 「じゃ、兄貴の言っていたことは本当だ。 但し、ご招待にあずかるのと、 喧嘩をしに行くのとでは、たいへんな違いだがね」 三人は宣召官に連れられて御殿へ入って行った。 黄門官か御前まで案内したが、 三人は平然と胸を張ったまま頭をさげようともしない。 「そここいるのが聖僧の弟子か? 名前は? そして、本籍は?」 国王は高いところからきいたが、 悟空はそれには答えず、更に前へ進もうとした。 「こら。話があったら、その場に立って話せ」 と侍従の者が怒鳴った。 「へへへへ……。 お生憎さまだが、我々出家は行きたいところへは どこへでも行くことになっていますのでね」 三蔵は、びっくりして前へとび出してくると、 「これ、悟空。 陛下がお前の素姓を御下問になっているのに、 なぜ答えない?」 悟空は三蔵のそばまでやって来ると、 「陛下はどうしてご自分を軽んじられるのですか? 私たちのお師匠さまを 婿殿にお選びになったとききましたが、 国王の婿殿と言えば世間で貴人と呼ばれるご身分の筈、 それを侍従同様に立ちんぼさせるとは どういうわけでございますか?」 荒っぽい語調に驚いて、 国王はすぐにも奥へ引込みたい様子だったが、 体面を考えてその場にとどまると、 側近に命じて椅子をもって来させた。 三蔵が椅子に坐るのを見ると、悟空は自己紹介をはじめた。 続いて天蓬元帥の猪八戒、更に続いて、簾大将の沙悟浄。 三人が天地のはじまりから説きおこして、 宇宙森羅万象にふれ、 更にそれぞれの前歴を披瀝するのをきくと、 国王は且つ驚き且つは喜びながら、 こんな弟子を持った高僧を婿に迎えるとは、 さながら生き仏を婿にするようなものだ、 いや、ひょっとしたら、 化け物にたぷらかさかているのではないか、 と思案にあまっている様子である。 そこへ正台陰陽官が現われて、 「ご成婚の日取りは今月の十二日にきまりました」 「今日は何日だね?」 と国王がきいた。 「今日は八日戊申の日でございます。 戊申の日は結納によろしいかと存じます」 夜も更けて、あたりに人がいなくなると、 三蔵は恨めしそうに、 「このイタズラ猿め。 いつだってお前のおかげで、 私はさんざんな目にやわされる! 一体、どんなことになったら、お前の気がすむんだね?」 「でもお師匠さまは、 ご自分のお母さんも打繍毬で お父さんと夫婦になったのだと おっしゃっていたではございませんか。 リバイバル・ブームの折柄、 お師匠にもその意思かおありと見たから、 一緒にお連れしたまでのことですよ。 それに、もう一つ、 布金寺の長老に頼まれていたことの真偽を たしかめたかったのです」 「そう言えば、お前の見るところでは、 王女さまの様子はどうだね?」 「この間は遠くからかいま見ただけですから よくわかりませんてしたが、側へよって人相を見れば、 真偽善悪、富貴貧窮、立ちどころに判断がつきますよ」 「ほう? 世の中は宇宙時代に入りつつあるのかと思ったら、 人相学へ逆転か」 と八戒が笑った。 「逆転ということはないさ。 人間が未来に対して 言い知れね恐怖と希望を抱きつつある限り、 人相も手相も易も栄え続けるよ」 「それにしても、 兄貴はいつ人相学の研究をはじめたのですか?」 「いつはじめたかって? その辺の人相見は俺がノレン分けをしてやった奴から、 またノレンを分けてもらったようなものだよ」 「そんな話はもういい加減にしてくれ」 と三蔵がしびれをきらして怒鳴った。 「私がきいているのは、 結婚攻勢に対してどう対処するかということだ」 「十二日まで待つことです」 と悟空は笑いながら、 「十二日の結婚当日になれば、 王女は出て来て、父母に挨拶をするでしょう。 その時、私が見て、もし正真正銘の女なら、 お師匠さまは婿殿におさまって、 天竺国とともに弥栄えにお栄えになることですよ」 「黙れ!」 と三蔵は眉を逆立てて怒り出した。 「これ以上、無礼な口をきいたら、 お前の頭が割れるほど呪文を唱えてやるぞ」 呪文ときいて、悟空は俄かにおとなしくなった。 「いやいや今のは言いすぎでした。訂正致します。 もし王女が正真正銘の女で、 四十五歳の童貞をお師匠さまが奪われそうになったら、 我々三人で一暴れして お師匠さまを救い出すことに致しましょう」 「お師匠さま。もう大分、夜が更けましたよ」 と八戒が脇から口を出した。 「いつまで話をしたところで埒があきませんから、 もうねることに致しましょう」 |
2001-05-03-THU
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