毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第七章 因果はめぐる

二 据え膳よ、さようなら


東方では西方を極楽と考えて恋い焦がれているのに、
西方へ来て見ると、
東方の聖憎がやって来たといって大騒ぎである。

寇員外の家では、先ず老太々が聖僧の顔を見ようと、
盛装をして表に出て来た。
「奥様。一人は相当な男前ですが、
 あとの三人に見られたものじゃありませんよ」

下男がいうと、
「お前らは物事を知らないね。
 顔はまずくても、
 中身が上等ということもあるじゃないか。
 床の間のタヌキの置物だって、
 美男タヌキじゃないでしょう」

老太々が出て行くと、先に知らせがあったと見えて、
三蔵が急いで席を立った。
「これは、これは、遠路をよくおいで下さいました」

挨拶の言葉を述べながら、よくよく見ると、
なるほど立派な風貌の聖僧である。
しかし、傍らに立ったあとの三人は、
タヌキの置物にたとえて付け見たものの、
見るからに薄気味が悪い。
老太々が内心の驚きをかくしかねていると、そこへまた、
「若旦那がお二人揃ってお見えでございます」

三蔵があわててふりむくと、
若旦那と呼ばれたのは、二人の青年である。
「うちの息子たちで一人は寇梁、一人は寇棟と申します」

員外が紹介をすると、
二人の青年は礼儀正しく三蔵に向って挨拶をした。
「和尚さまはどちらからお見えでございますか?」
「お前らが想像もつかないような遠くからだよ」
と員外は笑いながら、
「南瞻部洲の大唐国というところを知っているかね」
「私たちの往んでいるところは西牛賀洲でしょう?
 事林広記を読むと、
 この世の中は四大部洲に分かれていて、
 一番東の果てに、東勝神洲というのがあります。
 その次が南瞻部洲ですが、
 そこからここまで来るのには
 ずいぶん年月がかかるのではありませんか?」
と青年たちはきいた。
「よくご存じですね。
 さすがは由緒ある家柄のご令息だけのことはございます」
と三蔵は感心しながら、
「私が国を出てから、
 ちょうど十四年の年月が流れました。
 その間に出食わした冒険譚をお話しするだけでも
 何日かかることでしょう」
「じゃ、長くうちへお泊まりになって、
 ゆっくり僕らにその話をきかせて下さい」

そこへ下男が食事の用意が出来た旨、知らせに入ってきた。
「冒険譚はいずれゆっくりお伺いすることにして、
 先ずご飯を食べていただきましょうか」
女房息子を立ち去らせると、
員外は四人のお供をして斎堂へ入った。
見ると、広い部屋いっぱいに、
豪勢な精進料理がズラリ並んでいる。
「スゴいスゴい」

八戒はドッカと腰をすえると、
あとは物を言ういとまもなく、口を動かし続けている。

やがて食事が終ると、三蔵は員外にお礼を述べて、
すぐにもお暇を乞おうとした。
「まあまあ。
 そうお急ぎになられますな。
 ここまでおいでになれば、
 もう霊山に到着したもご同様。
 私の願い事もおかげさまで成就致しましたから、
 記念の式典をあげてからお送り申しあげます」

しきりこひきとめるので、
三蔵は無下に断わることもならず、
心ならずも員外邸に足をとめることとなった。

六、七日に見る間にすぎた。
員外は地元の僧侶二十四人を選んで、
吉日を定め、香を焚き、楽隊を鳴らし、
三日三晩にわたって
盛大な大願成就の謝恩式典をくりひろげた。

それが終ると、三蔵はすぐにも員外邸を辞しようとした。
すると、員外はまたしても三蔵をひきとめ、
「仏事に気をとられてバタバタしていましたが、
 決してほったらかしにしていたわけではないのです。
 ですから、どうぞごゆっくりして下さい」
「いえいえ、待遇をあれこれ言うどころか、
 ご親切にしていただいて痛み入っているところです。
 ただ何分にも私は国王のお使いとして
 雷音寺へ急がねばならない身の上、
 そもそも国を発つ時、
 三年くらいで帰って来られるでしょう
 と言って出て来たのが、
 何と知らず知らずのうちに
 十四年もたってしまったのでございます。
 帰りにまた十二、三年かかるとなれば、
 気が気でなりません。
 ですから、どうぞご容赦いただきたいと存じます」

そばで二人のやりとりをきいていた八戒は
どうにもじれったくなって、
「お師匠さま、人の好意を無にするものではありませんよ。
 老員外は人も知る土地の大富豪で、
 永年の大願もようやく成就し、
 その喜びを我々にお裾分けして下さろうと
 おっしゃっているのではありませんか。
 そのご好意に報いるためには、
 もう一年でも二年でもここへ住まわせてもらうべきで、
 それをふりきって、行くの帰るのと騒ぎ立てるのは、
 どういう了簡ですか?
 据え膳を食べずに、
 乞食のように物乞いをしてまわるのは、
 行く先におかあちゃんでも待っているからなのですか?」
「バカヤロー」
と堪忍袋の緒をきらせた三蔵は大声をあげて怒鳴った。
「お前のように食い物を見たら前後も忘れてしまうような
 意地ぎたない奴は見たことがない。
 そんなに只飯が食いたいなら、
 お前らだけここに残って
 死ぬまで只飯を食っているがいい」

三蔵のただならぬ形相を見た悟空は、
八戒の襟首をつかまえると、ポカリと鉄拳をくらわせた。
「アイタタタタ……」
「何が、アイタタタだ。
 お前のおかげでお師匠さまは
 俺たちまで同類項だと思ってしまうじゃないか」
「そうた、そうだ。少々痛い目にあわせてやるがいい」

沙悟浄が手を叩いていると、
そこヘまた老大々が入ってきた。
「皆さん、本当にもっと長く、
 いつまでもおいでになって下さい」
「でも、もう半月にもなるのですよ」
「半月はうちの主人の功徳でございます。
 私にも多少のへそくりはございますから、
 もう半月は私に払わせて下さい」

三蔵が眼を白黒させていると、
そこへまた寇棟兄弟が現われてきて、
「うちのオヤジは二十数年も坊さんを歓待してきましたが、
 はっきり申せば、ロクな坊さんに会わなかったのです。
 それが一番最後になって、
 あなた方のような立派なお方に出会ったものですから、
 嬉しくてたまらないのだと思います。
 口から出任せのお世辞ではないのですから、
 是非、承知してあげて下さい。
 そして、それが終ったら、
 私たちにも多少のお小遣いがありますから、
 せめて半月くらいは私たちに功徳を積ませて下さい」
「いやいや、ご好意を無にすることは本当に辛いのですが、
 どうしても今日のうちに出発がしたいのです」

三蔵がガンとしてうけつけないのを見ると、
婆さんも息子たちもムッとして、
「どうしても出発するというなら、勝手にさせるがいい。
 坊主なんてどうせ、どいつもこいつも
 食い逃げ常習犯みたいなものなのだからね」
「お師匠さま。だから言わんこっちゃないですか。
 もう一カ月くらいいてあげた方がいいですよ」

八戒はこの時ぞとばかりにそそのかすが、
三蔵はますます怒るばかり。
さすがの寇員外も、それ以上は引きとめかねて、
「では、今夜もう一晩お泊り願って、
 明朝早く皆でお送り致しましょう」

翌朝、員外は町中の人々を動員すると、
楽隊の音も賑々しく、
三蔵の一行を町はずれまで送ってきた。
「本当に色々お世話になりました。
 帰りには必ずまたお寄り致しますから、
 その時は何分よろしく」

見送る人々に別れて、三蔵の一行は、
四、五十里ほども進んだ。
もうあたりは日が暮れかかっている。
「どこで宿を借りようか?」

三蔵が言うと、八戒は口をとんがらせながら、
「これで雨にでもなって見るがいい。
 濡れて行こう、春雨じゃ……と
 お師匠さまの口からききたいですよ」
「こん畜生。まだ根に持っているのか。
 “長安はよいとこだけれど、長居は禁物”
 というコトバもあるじゃないか。
 そんなに食べることが大切なら、
 大唐国へかえってから、
 宮殿の御台所の御飯を
 お前が泣きべそをかくまで食べさせてやるよ」

なおも進んで行くと、暗がりの中に
建物らしいものがぼんやり浮んでいるのが見えた。
「あすこへ行って見よう、あすこへ」

悟空に引っ張られて、三蔵が建物のそばまで来て見ると、
崩れかかった立札に「華光行院」と
四つの文字が書かれている。
「華光菩薩といえば、火焔五光仏のお弟子さんで、
 たしか毒火鬼王を降したお方だ。
 それにしてもずいぶんうらぷれた廟宇だね」

馬をおりて、三蔵がしげしげと見つめていると、
突然、天から大粒の雨がポタポタとおちてきた。
「それ、雨だよ」

四人はあわてて、廟の中へ入ったが、
森閑として人影もなく、寝るに寝るところもなく、
坐るに坐るところもなく、
大きな声を出すことすらも出来ない。
とうとう暗闇におびえながら、
一睡もしないで夜を明かした。

2001-05-06-SUN

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