毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第八巻 ああ世も末の巻 第七章 因果はめぐる |
四 死ぬことと見つけたり 三蔵は銅台府を治める刺史の前にひき出された。 「私どもは強盗ではございません。 本当のことを申しあげているのです」 いくら弁解しても、 「そんな子供だましんたいなことを言っても 誰が信用するものか。 強盗から奪いかえしたのなら、 なぜ強盗を一緒にひき立てて来ない? それにちゃんとした目撃者もいるぞ」 「目撃者ですって?」 三蔵は顔色を失って、 「悟空や。なぜ事実を主張してくれないのだ?」 「贓品が我々の手にあるのは事実です。 ほかに何の証拠がありますか?」 悟空はつきはなすと、刺史は、 「その通りだ。一先ずこいつらを留置場に入れろ」 下っ菓は一同の縄をしばりなおすと、 監門の中へ引き立てた。 「とんだ濡衣を着せられてしまったぞ」 三蔵が悄げかえっていると、 「なあに、心配は要りませんよ」 「でも、きっと、今に拷問にかけられるよ」 「拷問というのは、 金をよこせということにすぎないじゃありませんか。 キャデラックにのれば、そっくりかえり、 拷問にかけられれば、銭を使え、ですよ」 「ところが、その銭がないじゃないか」 「銭がなければ、物でもいいでしょう。 あの錦襴袈裟をやってしまえば?」 「ああ」 と三蔵は思わず溜息をついた。 しかし、切羽詰ったところまできて 今更愚痴をこぼしたところではじまらない。 三蔵が承知したと見てとると、悟空は、 「私たちの風呂敷包みの中に、袈裟が一枚入っています。 あれを皆さんにさしあげますから、ご勘弁願います」 獄吏たちが争って風呂敷包みをひらいて見ると、 油紙に包んだ中から金ピカの袈裟が一枚出てきた。 品物は値打ちのあるものだが、 一杖では分配のしようがない。 ああでもないこうでもないと騒ぎ立てているところへ、 獄長が入ってきた。 獄長は袈裟を見ると、事情をきき、 そのへんにほうり出された袋を何気なくひらいて見た。 と、関文が出て来て、 その中に三蔵がこれまで通ってきた諸国の 査証印が無数に押されているのを発見した。 「早くきてよかった。 この坊さんはきっと強盗ではないから、 品物に手をつけてはならんぞ」 堅く言いつけて獄長はかえって行った。 そのうちに日が暮れ、夜は次第に更けて行った。 獄吏が寝しずまるのを待って、悟空は身体を縮め、 「さて、そろそろ仕事にかかるか」 そっと縄目をくぐり抜けると、一匹の羽虫に化けて、 寇員家の邸めざしてとび出して行った。 見覚えのある門まで来ると、 丁度、向いの家に明りがついている。 よく見ると、豆腐屋の老夫妻が 朝売る品物の製造にかかっているところである。 「なあ、お前。 いくら金があって、子供に恵まれていても、 寇員外のように、強盗に殺されては仕方がないね」 「身から出た錆ですよ。 高利貸をやって、困っている人の布団を 剥いでかえるような強欲なことをやってきたのですから」 「むかしはそうでうでもなかったよ。 小さい時はわしとお前俺の仲だったが、 あのお針子を嫁にもらってから、 あんなになったのだね」 「そうですよ。 あんたはいつも私のことを 算術も出来ないと言って文句を言うけれど、 人のいい女房も、 いいところがあるものですよ」 「自分で言ってしまっては値打ちがないな。 でもまあ、あんな死に方をしないですむだけ、 ましなところもあるよ」 それをきくと、悟空は寇家の家の中へ忍び込んで行った。 見ると、棺桶を囲んで、 老太々をはじめ親戚の者がお通夜をしている。 悟空は棺桶の上にひょいととまると、 「エッヘン」 と咳払いをした。 「あれッ」 と周囲にいた人々は悲鳴をあげた。 「あなた! あなた! 生きているの?」 老太々が勇気を出してきいた。 「生きちゃいないよ」 悟空は員外の声音を出して答えた。 「生きていないのに、どうして口をきくの?」 「わしは閻魔王の使いに引き立てられて もう一度ここへ戻ってきたのだ。 閻魔王の話によると、 お針子の張氏は嘘をついて 無辜の者を罪こおとしいれているということだが、 本当なのか?」 自分の名を言われて、老太々は大あわてにあわてた。 「まあ、いい年をして私の娘時代の名前をなぜ持ち出すの? それに私が何をしたとおっしゃるの?」 「“三蔵が火をつけ、八戒が人を殺し、 沙悟浄が金銀を運び出し、悟空が主人を殺した” という訴状を書かせたのは誰だ? あの四人は西へ行く道で強盗たちに出会い、 運び去られた金銀を奪いかえして、 家へかえしに来ようとしたのではないか? その好意を感謝するどころか、 逆に牢獄に押しこむようなことをしたために、 冥土ではお前の生命もとって行くと言っているぞ。 もしお前らが一日も早く あの連中を釈放してやらなかったら、 この家は犬一匹鶏一羽いなくなるほど おちぷれてしまうぞ」 寇梁の兄弟はその場に頭をすりつけると、 「お父さん。 どうぞ安心してあの世に行って下さい。 夜が明けたら、 すぐ役場へ行って訴状をとりさげて参りますから」 「じゃ頼む。 わしのために線香をあげてくれ」 悟空はそう言い残すと、今度は刺史の家へとんで行った。 部屋の中へ入って見ると、夜遅くだというのに、 刺史が鏡を前にしてしきりに顔を洗っている。 そのうしろの璧には 馬に乗った役人の肖像画のようなものがかけてあった。 「エッヘン」 と悟空はここでも咳払いをした。 刺史は驚いてうしろをふりかえったが、 そこに誰もいないのを見ると一層驚いて、 あわてて服を身につけ肖像画の前に両手を合わせて、 「伯父上さま。 あなたさまのおかげで、 私は銅台府の刺史に出世することが出来ました。 これもひとえに伯父上のおかげだと思い、 こうして朝晩、線香の火を絶やしたことがございません。 それなのに、 どうして今夜は声をお出しになられたのですか?」 「ナンダ。奴の出世の糸をひいていた伯父貴の位牌か」 悟空は笑いながら、急に声を改めると、 「お前が就任以来、 官職をけがすまいとして努力していることは、 このわしとて知らないわけではない。 しかし、弘法にも筆の誤りがあるものだ」 「私に何か間違いでも?」 「その通り。 昨日つかまえたあの四人の坊主は本当の犯人ではないぞ」 「そうですか?」 刺史は驚いて、 「もしおっしゃる通りなら、 朝、役所へ出たら直ちに釈放致します。 どうぞ、どうぞ、 必ずもう一度よく調べて適切な処置をとりますから、 伯父上は安心して眠って下さい」 刺史が頭をすりつけるのを見ると、 悟空は悠然と部屋をとび出し、 何食わぬ顔をして留置場へ戻った。 さて、その翌朝、刺史が役所へ出て見ると、 寇梁兄弟が先に来て待っていた。 「誠に申し訳ないのですが、 あの坊さんたちを釈放していただきたいと思って お願いにあがりました」 「何だと?」 と刺史は色をなして言った。 「昨日は逮捕してくれと頼みに来て、 今日は釈放してくれと頼みに来るとはどういうわけだ?」 「それが実は昨夜になってから ことの真相を知った次第でございまして……」 と兄弟は父の霊が現われた話を述べた。 刺史は自分の家に起ったことと睨み合わせて、 「昨日死んだオヤジがふと生きかえることはあり得るが、 俺の伯父はもう死んで五、六年にもなる。 それが俺のところへも現われたのだから、 これは何か無実のことがあるに違いない」 すぐに、三蔵の四人が呼び出されてきた。 刺史の態度は昨日とうって変わったように 鄭重をきわめている。 「昨日は忙しさことりまぎれて、 よく事情をききませんでしたが、 もう一度、事の起りをはじめからきかせて下さい」 三蔵がそれに答えて、これまでのいきさつを述べると、 刺史は自ら立って三蔵の縄をほどき、 「とんだご迷惑をおかけしました。 どうぞお気を悪くなさらないように」 役所の階段をおりると、八戒は、 「やれやれ。ひどい目にあった。 ひとつ寇家にお礼参りに行って来ようじゃないか」 「それ、それがいい」 四人が寇家の門前まで行くと、 「員外さまがおなくなりになられたそうで、 お弔いに参りました」 家の者は青くなって道をひらいた。 「きくところによると、 員外さまが殺されるのを目撃した方があるそうですが、 どんな光景を目撃なさったか、 証人とつき合わさせていただきたいものですな」 と八戒が言った。 「どうぞ、ご勘弁下さい。 あれは母があなた方にいつまでも居てもらいたいと 思ったあまりに起ったことなのですから」 「いえ、そのことがはっきりすれば、 私たちとしては何も言うことはないのですよ」 と三蔵がすぐあとをうけついで、 「それにしてもあんないいお方が、 あんな無残な最期をおとげになるなんて、 本当に世の中にわからないものですな」 「どんな人間でもいつかは死ぬものなのです。 父だって生きている間中、 いいことばかりしてきたわけではないですから、 一番最後にあなた方のようなお方にあって 大願成就したのがせめてもの慰みですよ」 善行の結果を子孫が摘むとものというけれども、 人間は前半の悪業を後半の善行で補うことは 出来ないものなのだろうか。 それとも善行とは 悪業を裏がえしにしたものにすぎないのだろうか。 「天竺へ入ったというけれども、 何が何でも金持になったものが栄えて、 貧乏人がバカ正直と嫉妬心に支えられて 生きていることにはかわりないようだね」 三蔵が言うと、八戒はあたりかまわず、 「いずれこしても、死があるということはいいことですよ。 でないと、 金持が天下のお金を一人占めにしてしまいますからね。 極楽とは死ぬことと見つけたり、ですよ」 |
2001-05-08-TUE
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