糸井 |
欽ちゃんがね、あんだけ大活躍してた時代に、
ぜんぶの仕事は不本意だったと。 |
さくら |
私がそこまで言っちゃうと
なんなんですけど、
それも、わかります(笑)。 |
糸井 |
これがやりたくてやりたくて
しょうがないことをやった憶えはない、
っていうんですよ。
引き受けたんだけど、難しい、困難だ、
これは良くない、
どうやったら良くなるだろう? と思って、
ジタバタしてた結果が、あれらしいんですよ。 |
さくら |
うんうん。じゃあ、今は? |
糸井 |
今、欽ちゃんは野球ですよ。
あんまり元気のない状態で、
去年、僕は会ってるんだけど、
いちばんやりたいのは
野球だって言っていたんですよ。
で、ほんとになっちゃった。
もう、いま会うとね、ピッコピコですよ。
活き活きしちゃったんですよ。 |
さくら |
はははははは。良かったですよね、欽ちゃんも。 |
糸井 |
欽ちゃんって、“100%男”ですよ。
視聴率100%採ってたんですよ。 |
さくら |
え? あのとき? |
糸井 |
欽ちゃんがやってた番組の視聴率って、
1週間ぶん足し算すると、
毎週100%だったんですよ。 |
さくら |
ほんとぉ。すごいですねぇ。 |
糸井 |
今、いないですよ、そんな人。 |
さくら |
そうですよね。毎日やってましたからね、
欽ちゃんの番組。 |
糸井 |
それが、それが、
不本意だったっていうんですよ。 |
さくら |
すごくおこがましいけど‥‥わかります。 |
糸井 |
ももちゃんだってね、
あのころも楽しかったんだけど、
今のほうが楽しいっていう
感じがあるんだものね。 |
さくら |
そうそうそうそうそう。
ぬるいんですよ、今、ぜんぜん。
前と比べたら。
でもさぁ、いいじゃないですか、
それで。ねぇ? |
糸井 |
年齢のこともあるのかもね。 |
さくら |
やるだけやったし、っていう感じあるし。
毎週脚本描いてたんですよ、10年近く。 |
糸井 |
あれ、どっかから脚本を人に渡したの? |
さくら |
そうです。やめるって言って。 |
糸井 |
それは、度胸いった? |
さくら |
もうね、もういいや、と思ったんです。
まる子とコジコジ、月2本マンガも描いて、
毎週脚本も書いて、
ほかの仕事まであったりして、
っていうふうになってると、
もう、仕事をするしかない
人生じゃないですか。
そんなの、べつに望んでたわけじゃないな、
っていうふうにずっと思ってて。
それで、これは脚本をやめないと、
どうしようもなかった。
毎週、原稿用紙30枚くらいずつ
起承転結ある話を書かなきゃいけないって、
やっぱり大変なんです。
それよりも、
自分の人生をもう少し楽しみたいと思って。
他のマンガ家は、
べつに脚本まで書いてないんですよ。
私はそれまで、すごくこだわってたんです。
自分の作品の笑いというものは、
テレビになっても自分で、みたいな感じで。
でも、今までこれだけ書いたし、
やるだけやったし、
これからは脚本家の人に、
おまかせしようと思って。
やめるって言ったときは、
脚本家さんを探すのとか
大変だったみたいですけど。
でも、なんとか脚本家さん達も
がんばってくれて、
アニメのスタッフの皆さんもがんばってくれて
無事に放送が続いているのでよかったです。 |
糸井 |
そうですね。 |
さくら |
そしたらだいぶ楽になって。
じゃあ『富士山』で
(さくらさんが編集した雑誌)
取材とかをいろいろやる仕事も
やってみたんです。 |
糸井 |
『富士山』って、何回出したの? |
さくら |
5冊出しました。
そのうち4冊は、1年間で出したんです。
マンガ描いて、企画をぜんぶ考えて、
すべて取材に行って、
インタビューもして、
記事を書いて、
作家としてのひとつの限界に
挑戦してみたかったのだと思います。 |
糸井 |
余ってるエネルギーだね。 |
さくら |
そんなことやる人いなかったんで、
新潮社の人も、
「えーっ、全部ですか?!」って。 |
糸井 |
無理ですよ、みたいな(笑)? |
さくら |
そうそうそう。
でも、さくらさんがやるって言うんだったら、
どうぞ、みたいな感じで(笑)。
じゃあやるか! って言って、
ほんとにやって。
それを、1冊出すだけでも
すごく大変なのに、1年で4冊。
年に4冊もっていったらもう、
いよいよ誰もできないかもな‥‥と
思ったりしたんですけど、
そういう、自分しかできないことを
やりたかったんです。
で、すごく大変だった、
もう嫌だなと思っていたんだけど、
どうしても読みたいっていうご声援をいただき、
もう1回だけ出したんです。
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