YAMADA

第7回 『いつもさみしい』は、
他人の本音がわからないほど、
感じやすい。


8月も後半にさしかかるころから、
大人になっても思い出してしまうのは、
夏休みの宿題!
「勉強は義務」から解放されたあとも、
なぜか、この時期になると、
「宿題をやりはじめるころ」と
思ってしまうわけですが、
今年の夏の宿題は
「いつもさみしい問題」であります。

青少年の「ほぼ日」読者のみなさんの
宿題の進みっぷりを祈りながら、
今日も華々しい
『いつもさみしい』の描写をひとつ。

=
A型39歳既婚、
子どもも3人いる女性です。
さみしいです。


性格なのかもしれませんが、
だいたい『いつもさみしい』です。
5人家族で暮らしていてA型は私一人です。
(うちにはO型はいない)
誰かと一緒にいてもいつも
どこか人と切り離されている気分が漂います。

お弁当で言うと自分が
しょうゆの入ったプラスティックの魚のような、
ランドセルで言うとコップ袋のようなさみしさが、
心のどこかにあるような気がします。


それは性格が暗いとか、社交的でないとか、
そういうことでもないような気がするのです。

(みなも)


もう、座ぶとん1年分差し上げますの気分ですよ。
こう表現されると、
『いつもさみしい』が身近に感じられて、
『いつもさみしい』が
わかったような気になるのですが、
わたくし、
まだまだその境地に達しておりません。


『いつもさみしい』を知ろうシリーズその5は、
「『いつもさみしい』は、
 他人の本音がわからないほど、
 感じやすい。」
です。

まずは、O型のヒトと同居されている
A型のヒトからのレポートです。

=
こんにちは!東京に住む兼業主婦です。

私には、O型の夫がいます。
確かに、基本的にさみしそうなので、
今日の内容を読んで、びっくりして
メールを書いている次第です。


基本的に、というのは、トリビアを見て笑ったり、
休日にも熊本に出張に行ったり、
いろいろとおいしい店を探したりしているので、
見るからに寂しそうなわけではない、ということです。
職場の人間関係に悩んでいる様子もありません。

でも、器用に表面的な人間関係はこなすものの、
深い人間関係は作れない。
心のどこかでは腹を割った関係をうらやましいと思うし、
既にあきらめてもいる。
だからいつもさみしいのかな。
O型の夫を見て、A型の妻はそういうふうに感じています。

家でまで器用に振る舞う必要はないと思っているからか、
毎日無言で出て行って、無言で帰ってきて、
家では話しかけてもほとんど口をききません。
O型って不思議ですね!
O型と暮らすA型も、
そのおかげで「そうとうさみしい」です。


O型の意見が聞きたかったのでしょう、
おせっかいなA型が横から口を出して
ごめんなさい。
O型のさみしさを理解するために、
「なぜO型はさみしいのか?」をまとめて
下さると、私の家庭生活を維持する上でも
とても参考になると思います。

個人的なお願いで大変恐縮ですが、
どうぞ、よろしくお願いいたします。


最近、A型の妻をもつようになった、
O型の夫業を営むわたくしでありますが、
こういうメールを拝見すると、
「無言は多弁である」と感じました。

このA型兼業主婦さんの読み取り能力は、
とても高いなあと感心しました。
「家庭生活がかかっている」となると、
もはやこの問題は
細木数子先生マターではないかと、
思うわけですが、
どうも、この「腹を割った関係」というのが、
くせ者じゃないかとにらんでおります。


=
こんばんは。現在予備校に通うO型の19歳です。
僭越ながら、月並みな「ワカモノ」の
月並みな意見を述べさせていただきます。

僕がもし、「いつもさみしいか?」と聞かれたら、
「いつもじゃないけど、
 『さみしい』と思う時間が多い」
と答えるでしょう。
例えば予備校の休み時間のとき、
一人でぼんやりしている僕の隣で楽しそうに
話をしている生徒たちを見て、
「さみしいなあ」と思うことがあります。
電車の中でひとり本を読んでいて、
そう思うこともあります。
そんな事を数え上げていくと、
一日の結構な時間寂しがっている計算になるんです。
どうしてなんでしょう?


その答えみたいなものは、
僕がそのさみしさを紛らわそうと
友達と話をしているときに思いつきました。
友達と取りとめのない話を繰り返しているときに
ふっと思ったんです。

「この人は本当に僕のことを
 友達だと思っているんだろうか?」

「本当は僕のこと嫌いだけど
 とりあえず聞いているふりをしよう」

 
なんて思っているんじゃないかなどと
つい考えてしまうんです。
もう疑心暗鬼も良いところなんですが、
その考えを100%否定して切り捨てる
ことは出来ないんです。


非常に取り扱い注意なビミョーな問題ですよ、
この「友達と友達以外の境界線問題」は。
人によっては、
一回名刺交換しただけで
友達と思う人もいれば、
1週間ぐらい一緒に旅行しても
友達と思わない人もいますからねえ。
何を理想にするかによりますが、
ひとといい関係を保つことを目標にするならば、
一人ひとりが友達かどうかの認定なんて
し始めないほうがいいと思いますよ。
自分から「さみしさ」に
突っ込んでいくような行為に思えてなりません。

「本当は僕のこと嫌いだけど
 とりあえず聞いているふりをしよう」と
相手が思っていると思うということは、
自分も誰かにそう思った経験もあるということですから、

お互い様ということにされたら
いいんじゃないでしょうか。
ところで、
「疑心暗鬼」って、
日本産の幽霊みたいで、物騒な感じしますね。


=
O型の友人から教えてもらって見にきました!
両親0型の純粋培養のO型ですが、
やっぱりさみしいです!


なんでや、友達いっぱいおるやないか!とか、
趣味も仕事もあって忙しくしとるやないか!とか、
親も兄弟もおって、猫まで飼うとるやないか!とか、
そういう問題ではなく、
わたしがさみしいのは、
二人の人間がおっても、
完全に理解しあえることが絶対にない、
ということがさみしいのであって、
ひとりでいるときよりも、
二人でいるときの方が孤独なことがさみしい。

生まれてくる時も死ぬ時もひとりだし、
自分の荷物は自分で背負うしかないし、
ひとの荷物を背負ってあげようとしても
背負いきれないのがさみしいし、
それを期待されないのもさみしいといえばさみしい。
そういう意味では、猫がいると、割とさみしくない。
猫のまるごとを受け止めて
あげられるという幻想を抱けるからかも。


ソウルフルなメールやないか!
あ、うつってしまった。
猫に対して幻想を抱けるということは、
人間に対しても
「完全に理解しあえることが絶対にない」
というのも、幻想かもしれませんよね。

ときどき「理解しあえる」と
思ったり思わなかったり、という、そんな幻想を
また、持ったり持たなかったり、というのが、
正味な人間関係やないかと思うんです。
今回の
「『いつもさみしい』は、
 他人の本音がわからないほど、感じやすい。」

傾向のメールをまとめて読んでおりますと、
なんといいますか、
力み過ぎると、
さみしくなるってところが
あるように感じたのです。

=
ほぼにちは!

『血液型O型の人はいつもさみしい』読みました。
私は「O型」ですが、
そういう事は考えた事もなかったですが、
何となく分かるような気がします。
ちょっと、自分の事を
思い出しながら書いてみたいと思います。

友達や人と一緒にいて会話をしている時、
『さみしいかも』と、思う時があるかなぁ。
具体的には自分でもハッキリしないのですが、
いつも『相手は(今話している事を)
どのぐらい(どう)感じているのかな。』
とか、その人の『本音』が
知りたくなってしまうところはあります。
『ぶっちゃけ』を求めているのではなく、
「ホントのところ、どう思っているのさ〜?」
と思ってしまいます。

もしかしたら、本音バリバリ話してるのかもしれませんが、
私が分からないだけかもしれません。
「もっとハッキリ言ってくれ!」と、
もどかしいのかなぁ。
分かり易くないとダメなのかもしれません。
オブラートに包んだような、
柔らかい物言いばっかりで、
相手を傷つけたくない人が多いから、
O型にとっては物足りなくて
さみしいのかもしれません。

いくら仲良くなっても、
人の『よそいき』感に敏感なのかな。
ケンカをしたいわけではなく、
こちらがムッとするような事でも、
きっと相手の素直な感情を知りたいんだと思います。
それで、いろんな人がいるんだって
安心したいのかもしれません。
(アキ 30歳)


「他人の本音を知りたい」、
「相手の素直な感情を知りたい」という一方で、
それは、
「私が分からないだけかもしれません」と、
丹念にご自身の心情を綴っていただいております。
「ケンカをしたいわけではなく」ということなのですが、
仮に本音と本音のぶつけあいになったら、
世の中全員ケンカ腰な社会になりますねえ。
去年話題になったCFで、
突然、相手の話をさえぎって、
「つまらん!」と怒鳴るものがありましたが、
あれは本音むきだしの極端なひとコマですよね。
ここでおっしゃっている、
「人の『よそいき感』に敏感」というくだりで、
ちょっと思うところがありました。

「『いつもさみしい』は、
 他人の本音がわからないほど、感じやすい。」

もともと人類が
言葉でコミュニケーションをはじめて以来、
「本音と建て前」というのは、
ひとにまとわりついてきた問題だと思うんです。
ただ、そのことが
このところ頻繁に意識されるようになって、
『いつもさみしい』に
結びついているような気がしました。
つまり、携帯電話やメールの普及で、
一日の人との交信量が
回数ベースで飛躍的に増えてきたおかげで、
人の建て前や形式的な
姿勢への気づきが過敏に生じていて、
その分だけ、人の本音を
求めたくなってしまうんじゃないかと思うんです。

今のネットワーク社会だ
モバイル社会だという時代は、
人と必要以上に、
余計に連絡を取り合うところがありますから、
人の本音露出量が一定だとすると、
それだけ他人の本音にヒットする確率は減りますよね。

『いつもさみしい』は、
本音への過敏症が引き起こすものなんでしょうか。





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2004-08-27-FRI
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