YAMADA

第18回 
『いつもさみしい』音楽、
2次選抜曲を発表!(昨日の続き)


はい、「子門真人」なんです。
「ほぼ日」ヤング読者層のみんな!
読みは「こもんしんにん」じゃなく、
「しもんまさと」ですよ!!

こちら、
『いつもさみしい問題。』対策本部でございますが、
昨日から「子門真人」を一晩寝かせて、
引き続き、
『いつもさみしい』音楽を
ご紹介していきたいと思います。

今日もたんまりありますので、
さっそく「子門真人」モノから行きましょう。
ちょっと長いんですが、
いいライナーノーツなんです。
涙腺が決壊しやすい方は、用心してください。
とくに「いつもさみしい」派には、
こたえるはずです。
現在24才のO型さんからのメールです。

=
「およげ!たいやきくん」

まいにち まいにち ぼくらはてっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ
あるあさ ぼくは みせのおじさんと
けんかして うみに にげこんだのさ

はじめて およいだ うみのそこ
とっても きもちが いいもんだ
おなかの あんこが おもいけど
うみは ひろいぜ こころがはずむ
ももいろ サンゴが てをふって
ぼくの およぎを ながめていたよ

まいにち まいにち たのしいことばかり
なんぱせんが ぼくのすみかさ
ときどき サメに いじめられるけど
そんなときゃ そうさ にげるのさ

いちにち およげば はらぺこさ
めだまも くるくる まわっちゃう
たまには エビでも くわなけりゃ
しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう
いわばの かげから くいつけば
それは ちいさな つりばりだった

どんなに どんなに もがいても
ハリが のどから とれないよ
はまべで みしらぬ おじさんが
ぼくを つりあげ びっくりしてた

やっぱり ぼくは たいやきさ
すこし こげある たいやきさ
おじさん つばを のみこんで
ぼくを うまそうに たべたのさ

歌詞全部を載せなくても
多くの方が知っていると思うのですが、
コピペして削ろうと読み返したら、
どこも削れなくて困っています。

幼稚園時代によく歌わされましたが、
私は頑として歌いませんでした。
一番初めは、おじさんに
食べられてしまったたいやきくんがかわいそう、
釣り針刺さって痛かっただろうなあ、
とそんな感想を抱き、「かわいそう」
だから歌えなかったのです。
しかし時を経るにつれ、
たいやきくんが、自分はたいやき以上にも
それ以下にも成り得ない、
という物凄い無常感を抱えて生きているように
思えてくるようになり、
彼の心の内にある無言の諦めに、
私はさみしさを感じてしまいます。
物事が、自分にはどうしようもなければないほど、
さみしさは増すと思います。

一度は
「いいや、そんなことはない、
 自分は自分自身の意志や行動で
 いくらでも変わることができる」
と(多分)きっとそう思い、
彼は現状を振り払い(店のおじさんとの喧嘩)、
自分自身がもっと輝けるであろうと
彼が思った場所(海)に
飛び出す訳です。
束の間の自由、世界の広さを
味わうことは出来ましたが、
本来の自分らしくあれないと思って
飛び出した場所(おじさんの店)では
味わったことのない厳しい状況
(空腹やサメからのイジメ等)に遭遇し、
毎日が楽しい楽しいと言いながらも
ここでたいやきくんには
多少の望郷の念が生じていたのではないか、
と私は推測します。
夢を追い上京してきたが、叶わず、
実家からは25歳までに物にならければ
戻るようにと言われて迎えた25歳の春、
ため息ひとつで全ての
説明がついてしまうような
ベタな状況の言葉の挟まる隙のないさみしさが
ここで漂います。

それでもたいやきくんはそのままいけば、
未知の試練も努力で乗り越え、
海に適応した生活のリズムを築き上げ、
時間は掛かるでしょうが
新しい世界で立派に生きていけたと思います。
しかし、たいやきくん自身の意志とはまったく関係なく、
見知らぬおじさんによって釣り上げられてしまいます。
たいやきくんが決して口にはしなかった、
多少の不安や弱気がそれによって
増幅され、彼の絶望へと繋がってしまいます。
しかも彼をそこまで追いやった釣り針が、
たかが「ちいさな」釣り針であった、
というところがまた何ともさみしく、
残念でなりません。

最期、たいやきくんは、
結局自分はたいやき以外の何者にもなれなかった。
しかも、ちょっと焦げてるし。
所詮自分なんて、
と失意の中この世から去ってしまいます。
そのたいやきくんの心など全く知らず、
ただ美味そうにたいやきを食べる
おじさんとたいやきくんとの
コントラストがまたとてつもなくさみしいです。
悲しくも悔しくもなく、
ああ、世の中って…というような
ただただ声にならないさみしさが1〜2時間は止みません。

さみしさ=無常感なんでしょうか?
ああ無常がさみしさなんでしょうか?
努力をした分だけ報われた、
という方が多くメディアに露出する
オリンピックという期間を過ごしながらも、
変わろうと努力したのに変わることが出来ずに終わった
たいやきくんの努力は、
どこかで報われることはないものだろうか、と
一人思い悩んではやりきれなくなってしまう
今日この頃です。
(ナナ、女、24歳、O型)


少々長いかなと編集しようとしたのですが、
とてもできませんでしたねえ。
「およげ! たいやきくん」から読み込まれる
疎外感、無常感、虚無感。
それを「たいやき」の無邪気さと軽快な曲調が
盛り上げるわけで、
いやはや、たまりません。
ロープに逃れたくなりますねえ。

さらには、別の方から
こんな解釈もいただいてます。

=
さみしい音楽は幼児のころ大ヒットした
「およげたいやき」くんです。
♪毎日毎日僕らは鉄板の 
 上で焼かれて嫌になっちゃうよ 

やめて〜朝から鬱になる〜
と園児の私は思ったものですが、
今聞くとこれってサラリーマンの歌だったんですね。

そりゃわびしいわけで!/


わびしい!
やるなぁ、「およげ! たいやきくん」。
現代の「もののあはれ」ですねえ。
作詞家の高田ひろお氏に敬意であります。
「自由」とか「意志」とか「階級」とか、
『いつもさみしい』という感情が
生まれる社会構造を
かなりえぐってますね。
現代を生きるとは、
「自己たいやき化」の過程に身を置くことで、って、
3時間ぐらい演説する人がいてもおかしくないですね。
これは、「いつもさみしい問題」は、
「たいやきくんをどう考えるか問題」
かもしれません。

さて、前回の『いつもさみしい音楽』ノミネートで、
「ブラジル人は全員O型」説、
さらに、ブラジル音楽の「ボサノバ」は
『いつもさみしい』音楽
というのを取り上げたのですが、
近隣の国でも、同じらしいです。

=
いつもさみしい問題で
ぜひ取り上げていただきたいことがあります。
それは「日本以外の国のO型の人もいつもさみしいのか?」
ということです。
例えばアルゼンチンは、
90%以上の国民がO型らしいのです。
となると、アルゼンチンでは
ほとんどの人がいつもさみしいのでしょうか?
アルゼンチンタンゴを踊りながら
さみしいと思ってるのでしょうか?
すごく気になります。

(いつもさみしいに激しく同意のO型女子)


「アルゼンチンタンゴを踊りながらさみしい」って、
ははは、これ気になりますよねえ。
わたくしがすぐ思い出せる
アルゼンチン人と言えば、
マラドーナしかいないわけですが、
あの何を言うか予測がつかないから、
「生でインタビューできない」
と言われる天才ストライカーも
「いつもさみしい」と思うと、
南米の奥行きは、あなどれないですよね。
あ、思いかえせば、
ジーコは、いつもさみしがってる顔ですよね。

南米ついでに洋楽部門で
ひっかかった1曲を。

=
はじめまして。
いつもさみしいO型の私です(笑)。

さて、さみしい音楽といえばこれしかありません。

ビートルズの「エリナー・リグビー」
まずメロディーがさみしい。
弦楽器のアレンジがさみしい。
そして何よりも詩がさみしすぎます!

All the Lonely people where do they all come from?
「ああした孤独な人々は、どこから来るのだろう?」
All the Lonely people where do they all belong?
「ああした孤独な人々は、どこに身を置くのだろう?」

私が100歳まで生きてもこれよりさみしい音楽には
もう出会えないと思います。
(偏屈王)


これは、納得しましたねえ。
歌詞をみる限り、
そんなこと考えてるから、
「いつもさみしい」とつっこみたくなる、
ポール・マッカートニーがつくった
「たいやき」ソングですよ。

ではでは、先を急いで、
次は異色の『いつもさみしい』音楽といいますか、
『いつもさみしい』散文ですね。

=
宮澤賢治の「注文の多い料理店」の序文
朗読・原マスミ

27歳、AB型ですが、いつもさみしいです。
音楽ではないのですが、
宮澤賢治の「注文の多い料理店」の序文は
「さみしさを内包」していると思います。
「賢治の幻灯」というイメージアルバムで、
詩人の原マスミさんが、
独特の「明るそうなのに、淋しげな声」で、
この序文を朗読しています。

ちょっと長いですが、全文を書きますね。


と、ここで全文引用していただいたのですが、
さすがにか割愛させていただいて、
引き続きの推薦文を、どうぞ。
=

「なんのことだか、
 わけのわからないところもあるでせうが、
 そんなところは、わたくしにもまた、
 わけがわからないのです。」

このくだり!
作者がわけがわからないものを、
読者がどうしてわけがわかりましょう!!
「さみしさ丸投げかー!!」と思われるかも知れませんが、
「わけが分からないできごと(さみしさ)」ってのは、
いつもどこにもだれにもあるんだよー、と、
教えられたような気がします。

そして、「けれども」、と賢治は言います。

「おしまひ、あなたにすきと
 ほったほんたうのたべものになることを、
 どんなにねがうかわかりません。」

ほんとうのたべものになるかもしれない。
ならないかもしれない。
……さみしいです。
さみしいけれど、さみしくていいんだなあ。
きっと。
(めだかの星、♀、AB、いつもさみしい)


これは、まさに第9回で取り上げた、
「『いつもさみしい』は、
 さみしさの原因が
 わからないほど、感じやすい。」ですよ。
しかも、この一文は日常生活で、
使える台詞ですよ。
これは繰り返し、反復練習したいですね。
「なんのことだか、
 わけのわからないところもあるでせうが、
 そんなところは、わたくしにもまた、
 わけがわからないのです。」
こんど会議で言ってみようと、
かたく心に誓ったのでした。

=
子どもの頃から感じていたことですが、
童謡や子守唄のメロディは、とても「さみしい」です。
歌詞を読むと、さらに「さみしい」気持ちが増します。

メロディ部門では「こがね虫」「とおりゃんせ」、
歌詞部門では「かなりや」
「赤いくつ」「青い目の人形」あたりが強力。

特に「赤いくつ」は、体に応える「さみしさ」で、
寒い季節に、冷えた体が
風呂の湯に肩まで浸かった瞬間に感じるあの
「せつない」感覚を伴う、重量感のある「さみしさ」です。
(あまがえる、女、 O型、42、いつもさみしいです)


そうなんですねえ。
昔からの子守唄や童謡には、
『いつもさみしい』が養分として入ってるんですよ。
「赤いくつ」と言えば、
わたくし、幼少の一時期、
「異人さん」を「ひいじいさん」だと
聞きまつがっておりました。
「ひいじいさん」だと、さみしさ激減ですよね。
あー、もったいないことしてた。

今回、童謡で高得票を得たのは、
この曲です。

=
唱歌『椰子の実』

「さみしい」時にふと頭をよぎるのがこの曲です。
曲がメジャーなのにそこはかとなくさみしさが漂っている、
と思うのですが。
特に最後のメロディーが変わるところ。
なんだかO型のさみしさに通ずるものがあると思います。
(ひろ、女、34才、AOのA型、いつもさみしくはない)


=
まつげ・35歳・独身女性です。
B型、いつもさみしくない人種です。

私の「さみしい」音楽は『椰子の実』です。

♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ〜

小学校の音楽の時間に習った曲だと思うのですが、
もう『名も知らぬ』の出だしから、さみしくなります。
そして『椰子の実ひとつ』の、
『ひとつ』のところで
あぁ、人間は一人なんだなぁというような、
叙情を感じます。
歌詞の中には、不幸な境遇にある
というような表現は特になく、
旅人の自由と孤独、みたいなものを感じます。
故郷を離れているというだけで
人は寂しいのだなと気づかせてくれる曲だと思います。

不思議なことに、年を重ねるごとに
この曲の「さみしさ」をどんどん感じるようになり、
子供の頃は「なんかさみしい曲だなぁ」
と思っただけだったのに、
大人になった今では、
うっすら涙が浮かぶようになりました。
お年寄りになる頃には、号泣するかもしれません。


渋い選曲ですよねえ。
もしクラブで『いつもさみしい』ナイトがあったら、
必ずかけてもらいたいものだと思いますねえ。
やはりタテノリでもなく、ヨコノリでもなく、
岩のり……。

ともあれ、
人類学者の柳田国男が、
渥美半島で経験した出来事を聞いた
友人の島崎藤村が詩にしたという豪華な名作!
「いつもさみしい」音楽に当選です。

さぁ、そろそろ最後の曲を。
「小さな秋見つけた」で、
♪お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク♪の
名フレーズをぶっぱなした、
『いつもさみしい』詩人サトウハチローの
「悲しくてやりきれない」であります。

=
サトウハチローさん作詞でいろんな人がうたっていますが、
矢野顕子さんの曲がいちばんさみしいです。
切なさを追求した感じです。
さみしさを知っている人にしか作れないと思う。
(いしかわ 27歳 女 o型 いつもさみしい)

もう、歌詞すべてがさみしいです。

胸にしみる 空のかがやき 
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを 
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて 
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて とてもやりきれない
この限りない むなしさの 救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ 
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて とてもやりきれない 
このもえたぎる 苦しさは 明日も続くのか


特に、
「この限り無い空しさの救いはないだろうか」
は切ないです。
さすがサトウハチロー先生です。
さみしい時はカラオケで絶唱すると効きます。
「さみしいのは私だけじゃない」
って思えて、よけい切なくなるのです。
浸れます。
(えび 女 51才 O型 
 以前はいつもいつもさみしかったです)


この曲、審査基準の三拍子がそろっているのですが、
途方もなくさみしすぎるので、
どうしたものかとも思ったんですよ。
「とてもやりきれない」まで行くと、
「いつもさみしい」じゃなくて、
「いつも悲しい」すれすれなんですが、
選抜曲とさせていただきました。

ここで、今までのノミネート曲を
登場順にあらためて発表したいと思います。

『遠くへ行きたい』
平井堅の歌声
CHAGE&ASKAのいくつかの歌
(『Mr.Jの悲劇は岩より重い』を含む)
小田和正『between the word & the heart ―言葉と心』
(『渡辺篤史の建もの探訪』のテーマ曲)
中島みゆき
ジョアン・ジルベルトはじめ
「ボサノバ」というジャンル
『月の砂漠』
『ちいさい秋みつけた』
ゲーム『MOTHER』の曲
トワ・エ・モア『誰もいない海』
『笑点』のテーマソング
井上陽水
『赤とんぼ』
『小さな木の実』
関西地区の洋菓子店『パルナス』のCMソング
『ドナドナ』
『およげ! たいやきくん』
ビートルズ『エリナ・リグビー』
宮澤賢治『注文の多い料理店」序文の朗読
『赤い靴』
『椰子の実』
『悲しくてやりきれない』


堂々、全22曲であります。

で、どうしましょうか?
この22曲で、
どれが一番『いつもさみしい』音楽か、
投票してみましょうか?

野望としては、
上位曲を集めての
『いつもさみしい』
コンピレーションアルバムの発売、
大志としては、
『いつもさみしい』音楽祭の開催でしょう!
もうオーディエンスは、
全員ヒートアップじゃなく、
オール低温やけどですよ。


そんなことで、
音楽関係のみなさま、
積極的な提案をお待ちしています。
って、来ないかなあ?
ほんとにお待ちしていますよ!!!

これこそが「いつもさみしい」音楽だ!
という曲を選んでこちらから投票してください!



『いつもさみしい』音楽募集中!
音楽についての更新部分はこちら

『いつもさみしい』に効く歌を教えてください。
以下項目をコピーアンドペーストして
お送りいただくと便利ですよ。
___________________________

●お名前(ペンネーム)
●性別
●年齢
●あなたの血液型
●『いつもさみしい』ですか?
 (あてはまる項目を残してください)
 はい、いいえ、どちらでもない
●「さみしい」音楽、もしくは曲のタイトル
●アーティスト名(わかるかぎりで構いません)
●「さみしい」音楽、曲のライナーノーツ(紹介文)

___________________________
これらを記入して
postman@1101.comまで
件名を「さみしい音楽」としてお送りください。
あの、自作自演のテープは送ってこないでくださいね。

■件名を「いつもさみしい問題。」にして、
  postman@1101.comまで、
 ぜひ感想をくださいね!
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2004-09-17-FRI
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