第14回 個性をおさえるというデザイン
ほぼ日 「いかにも
 デザインをしています」
という方法をとらなかったことを
さらに、くわしくうかがえますか?

パッケージは、売るためだけのものではない

佐藤 人は、自分で発見したことなら
人に、伝えたくなるものですよね。
いかにも、
こういうことをしています、
とつたえてしまうことは、
マイナスになりかねない、

と思いました。

「横開きの箱にすると、
 お客さんと商品との
 出会いがちがう。
 ビンのクビをつかんで
 上から商品を出す姿は美しくない。
 ところが、
 横たわったビンを
 ていねいに出せるようにしておけば
 ものと大事に向きあえるのではないか」

こういうことを、お客さんに、
自分で発見してほしかったのです。

テレビコマーシャルで
大規模に宣伝をしなくても
偶然、手にとって気にいった人が
誰かに伝えてくれるのではないか。
ニッカウヰスキーの自主プレゼンでは、
そういうことも、つたえてゆきました。

テレビコマーシャルの
時間のワクをとるだけで、
何億という費用がとんでいく。
広告代理店でその様子を見ていると、
必要最小限のお金を、
「パッケージのちいさな工夫」
だとか、かけるべきところに、
ちゃんとかける。
そうしたら、お客さんには
ちゃんとつたわるのではないか。

広告代理店の職場の隅で、
ボトルのラベルをきりはりしていると、
まわりは、あのコマーシャルは
どのタレントにしようか、などと
話しあっているわけですから、
「卓ちゃん、何をしているの?」
と、いわれるわけです。

でも、
「紙を中にいれておいて、
 このウイスキーは
 こんなふうに作られています、
 と、つたえたらどうでしょう」
とか、
「その紙をボトルにつつんだら
 プレゼントにもできるんです」
とか、
これまでの
パッケージデザインへの疑問が、
次々に、わいてきたんです。

パッケージは、ただ
ものを運ぶためだけ、
ものを売るためだけに
あるものではなくて、
人とものが
出会う経験の場面でもあるし、
人が、人に、
なにかをつたえる要素にもなる。
パッケージという
ひとつの媒体の可能性は
ものすごいものなのではないか?

と、アイデアが、次々に、出てきました。

「ウイスキーのデザインは、
 だいたいこんなものだろう」
と、決まりきっていたものを
いったん、検討しなおしたら、
いろいろな可能性が出てきたんです。
つまり、
ラベルだけをよくするのではないし、
付録だけをよくするのでも、足りない。

「デザインでは
 全体の世界観が
 大事なのではないか?」

「ひとつずつのかたちより、
 全体を
 ひとつの世界にしていく、
 ということが、
 重要なのではないか」

 
と、思いはじめました。

商品は、生活や会社の顔になるもの

佐藤 それまでの
ウイスキーのラベルは、
とても高級そうなものでした。
「私は、高価なものです。
 お金を持っている人に、
 集まってほしい商品です」
という姿勢が、見えていました。
その概念をうたがってみたんです。

「高級そうなデザインをしない」
ということが、
どんな可能性を生むのだろう?

まず、そこで考えたのは、
20年前の段階でしたけれども
核家族化が進んでいるという事実でした。
ひとり暮らしや、
ふたり暮らしが、増えてきている。
すると、生活空間はどう変わるのだろう?

おじいちゃんや
おばあちゃんの時代のタンスや、
お父さん、お母さんが買ったテレビを
使うのではなくて、
好き嫌いが言えないものに囲まれて
暮らすのではなくて、
「自分たちで
 選んだものばかり」が
家の中には、
並ぶことになるわけです。

つまり、生活環境は、
どんどん、多様化してゆくだろうという。

すると、
ウイスキーは、どうなるのだろう?
そういったいろいろな環境に、
今のウイスキーは、なじむのだろうか?
そう考えたわけです。

和風、洋風、だけでなく、
アジア風、アフリカ風、いろいろな好みがある。
そういう好みに囲まれた部屋になじむためには
ボトルの個性は
おさえたほうがいいのではないか
と考えました。
個性的なものは、
「まわりに置くものを選ぶ」
ということにもなるわけです。
生活のインテリアとして
なじむボトルには
「個性的」ではない要素が
求められているのではないか?


そこで、
「飲んだあと、また使えるボトル」
を、提案しました。
当時、80年代前半の状況で、
ぼく自身も、ボトルを
あちこちで買い集めていましたし、
「もう、ボトルだけを
 気にいって買う人がいる時代なんだ」
ということを、思ったんですね。

ただし、こうした要素は、
強くプレゼンテーションをしませんでした。
売れなければ
話にならなかったからです。
ものを作る現場は、
「売れなければ話にならないよ」
というところに、常に意識がいくものです。
「飲んだあとのことは、知らないよ。
 まず、売れることを考えなければ」
というのが、基本的な姿勢ですからね。

もちろん、パッケージにも
「飲んだあとに、また使えますよ」
ということは、書いてありません。
「これ、なんかに使えそうじゃない?」
という気持ちをひきだすことのほうが
あらかじめ説明してしまうよりも
大切ではないか、と思ったからです。

人は、いろいろな経験をしているし、
いろいろな知識もそれぞれ持っています。
そういう人たちが
自然に行動にうつる、考える、それを
ひきだすことが、これからの商品では
重要になるのではないかと考えたんです。

わざわざ、いいことをしています、
いかにも、いいことをしています、と
つたえることは、これはちょっと……
ヤボになってしまいますから。
自分で、ボトルを使いたくなったときに
ラベルをはがそうとしたら
じつは、油性ではなく水性のノリだから
はがれやすくなっているから、うれしい。

そういう
コミュニケーションができればいい、
お客さんが
思いつきをスムーズに実行にうつせる
準備は、あらかじめきちんとしておく、
というやりかたがとりたかったんです。
売れるためだけの要素を
そろえるのではなくて、ですね。

まだ、
バブルの時代にありまして、
その状況があとおしをしてくれて
プレゼンがとおったのかもしれません。
商品化をすることができました。
商品化が決まって、どきどきしたんです。

今でこそ、
こんなふうに意味や理由を話せますが、
「今だから、言えること」
でもあるわけです。
当時は、この考えが
世の中に通用するかどうかは
まったく、わかりませんでした。

当時、プレゼンの途中の段階で
「あたらしいことをやりたいので」と
広告代理店を、退職していましたから、
もし、まるで売れずに大失敗をしたら、
ごはんを、食べられなくなるんじゃないか、
という心配もありました。

しかし……世の中に出ると
こういうウイスキーが
これまでまるでなかったものだから
「ニッカウヰスキーは、どうしたんだ?」
と、おおきな反響がありました。

ニッカウヰスキーは、それまで、
「知る人には評判がいい、地味な会社」
でしたけど、その商品が世に出たことで
ほかの商品も、売れるようになったんです。
ひとつの商品で
会社のイメージまでもが変わるということを、
ぼくは、そこではじめて、体験したんですね。
「ひとつの製品は、
 その会社の顔になる」

そのことを、実感しました。

(次回に、つづきます)
  佐藤卓さんのこれまでの
ほとんどの仕事を見られる大規模な展覧会は、
3か月間、おこなわれつづけています。

みなさんからのデザインについての質問や
佐藤卓さんの言葉への感想などを、
卓さんに伝えてゆこうと考えておりますので
質問や、感想など、ぜひ、
postman@1101.com
こちらまで、件名を「日常のデザイン」として
お送りいただけると、さいわいです。

2006-12-04-MON

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