【15】お母さんが上京!
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ミキサーの前に建つ岡さん
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大変です。岡さんのお母さんが
上京してくることになりました。
工事の進み具合を心配して見に行くことにした、とのこと。
お母さんは、福岡県の筑後市に住んでいます。
岡さんもそこで育ちました。
子どものころの岡さんは、
心臓の病気を患っていて、夜になると痛み出すので、
毎晩のように泣いていたそうです。
おまけに、絵が好きなのに色弱でした。
身体の弱い岡さんを、
お母さんはずっと心配していたといいます。
学校を卒業してからも、お母さんの心配は続きました。
岡さんは振り返ります。
「就職をした住宅会社を一年で辞めると言い出して、
そのときは一晩中、辞めないように説得されましたね。
その後も僕は、ラブホテル街に住んだり、
大道芸で食ってたりしたから、
何年かに一回は上京してきます。
心配で見に来るんです」
■「建築を設計する人になりんしゃい」
実は、岡さんが建築の道を歩むようになったのも、
お母さんの影響を受けてのことでした。
小学校の成績はよかった岡さんでしたが、
中学生になって次第にグレるようになり、
試験の答案も白紙で出すようになっていきました。
勉強しないでいたら高校も行けなくなるよ、
とお母さんから諭されると、岡さんは
「高校は行かない。僕は大工になる!」
と主張したのでした。
するとお母さんは、
だったら近所で家を建てている現場があるから、
柱を一本かついでもってきなさい、と言います。
やってみると、重くてぜんぜんできません。
ひ弱だった中学生の岡さんに、
それはとうてい無理でした。
「それみい、オマエは基本的に体力がないけん、
大工なんかできるはずがなかと」
そう言われて、岡さんは泣きました。
お母さんは得意げに続けました。
「そんな啓輔にいいことを教えてあげる。
建築を設計する人になりんしゃい」
建築の設計とはどういう仕事なのか、
まったくわかっていなかった岡さんでしたが、
建築の図を描くのだと説明され、
なんだか面白そうに感じて、
「じゃあ、それをやるよ」
と答えたのでした。
岡さんは学校の勉強はできるのです。
しかし、なにせ試験をまともに受けていませんから、
成績は公立高校に進めるものではなくなっていました。
唯一、進学できそうなのは、
内申書をあまり見ずに入試の結果で合格できる
国立の高専(工業高等専門学校)のみ。
というわけで、岡さんは
有明高専の建築学科に進学することになったのです。
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地下工事現場
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■現場をまる一日見て過ごす
10月の下旬に、ついにお母さんはやってきました。
蟻鱒鳶ルの現場を訪れると、
思ったことをそのまま口に出します。
「業者に頼んで鉄骨ば、バーって建てんね。
そしたら早かたい」
でも、岡さんの仕事ぶりを一日中、間近に見て、
少し安心してくれたようです。
次の日からは銀座に出かけ、
映画を見たり買い物を楽しんだりしていったとのこと。
「この建物はこういうつくり方しかないんだ、
とわかってくれたのでしょう」と岡さん。
10日間ほど滞在して帰ったお母さんでしたが、
建築の図面を描いて残していったそうです。
押入れの幅はこれくらとか、
主婦の知恵みたいな説明図にまじって、
クルクルとらせんが描いてある不思議な概念図も。
岡さんにも意味がわからず、
何が描いてあるのか尋ねましたが、
教えてくれなかったそうです。
「基本的にものをつくるのが大好きな人なんですよ。
自分の家の間取りを描いたり、
服をつくって子どもに着させたり、
いろいろやってましたから。
ツメ襟の学生服までつくろうとした時は、
さすがに止めたけど」
そんなお母さんのDNAを
受け継いでいる岡さんなのでした。
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現場に搬入されたコンクリートミキサー
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