ひとりでビルを建てる男。 岡啓輔さんの、 蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)ができるまで。 |
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【17】ダンスと建築。 地下工事現場の様子 建築家でもあり大工でもある岡さんには、 実はもうひとつの顔があります。なんと舞踏家なのです。 舞踏をやるようになったきっかけは、 岡さんが毎年通っている高山建築学校でした。 岡さんがまだ20代の半ばのころのことです。 校主の倉田先生から 「お前は建築をなめている」 とカミナリを落とされたのでした。 「建築だけやってれば立派な建築家になれると思ったら 大間違いだ。お前は一年間、建築を禁止。 図面を引いたり模型をつくることもダメ」 ショッキングな宣告でした。 しかたがなく岡さんは、建築以外なら何でもいいから、 誘われたことをやろうと思って東京へと戻ります。 声をかけてきたのは、和栗由紀夫さんでした。 和栗さんは、舞踏の創始者、土方巽を師にもつ 舞踏家であり振付師です。 「まさかダンスとは……」 岡さんは弱りました。 というのも小学校の成績は体育が1か2で、 音楽も1か2。その両方の要素をもつダンスは、 絶対にできるわけないと思っていたからです。 何でもやってやろうと思っていた岡さんですが、 これには尻込みせざるをえません。 しかし、これも運命です。 不得意な分野だけど、短い期間だけやってみよう。 しぶしぶ岡さんは舞踏に挑戦することにしたのです。 始めてみると、 そこには子どものころに味わったことのない、 身体を動かすことの快感がありました。 出会うダンサーも面白い人たちばかりで、魅力的でした。 一年後、岡さんは小さな舞踏の公演に参加します。 最初で最後というつもりで出演しましたが、 終わってから湧き起こってきたのは 「これはやめられないな」という思いです。 そうして岡さんは、舞踏を続けることとなったのでした。 なぜかぶら下がる祭提灯 ■必然性のない踊りはイヤ 「踊りは怖いですよ」 岡さんは言います。 「ミュージシャン、たとえばギタリストは ギターというのがそれだけで格好いいから、 その日の調子が悪くてもなんとかなります。 でも舞踏家は身ひとつで人前に出るから、 少し調子が悪かったら本当にダメなんです」 そういう状態に陥ることを避けるために、 多くのダンサーは踊りのテクニックを身に付けていきます。 クルリと回るとか、パッと跳ぶとか、 いろいろな動きの型を増やしていくわけです。 でも岡さんは、そういう方法はよくないと考えています。 「必然性のない踊りはイヤなんです」 岡さんの舞踏は、舞台の上で感じたことを そのまま身体の動きに表すものものです。 逆に言えば、舞台で何も感じなければ踊りません。 そのために岡さんは、舞台の上で ただじっと正座しているだけ、 という事態に陥ることもしばしばあるそうです。 見ている方がどきどきしちゃいそうですが、 そういう時、岡さんは本当にみじめで、 悲しい気分になると言います。 一方で、素晴らしい気分になることもあります。 踊りながら今までにやったことのない動きがひらめいて、 そう思った瞬間に身体が動く時です。 その動きに引きずられ、次にも新しい動きが出てきます。 踊りが自動的に生成し、止まらなくなるのです。 「踊りの神様が来たァ、という感じ。 そうなるともう、 よだれを垂らしながら踊っていますね。 滅多にないことですけれど」 ■イメージと出来上がるものの距離 舞踏を始めてから、岡さんにとっての 建築のあるべき姿も変わってきました。 「建築というのは、建築家の頭の中でひらめいたことが 図面になって、それが現場監督に伝わり、 そして職人に伝わって、できていくわけですよね。 頭の中に浮かんだことから、 それが形として出来上がるまでに、 ものすごい距離があるんです」 その結果として多くの建築が、 死んだような、寂しい表情をしていると言います。 「それに対して踊りは、思ってから踊るのではなく、 思う前に身体が動いていないといけません。 思考を追い越すこと、 そこが踊りの面白いところなんです。 だから建築も、頭の中のイメージと 出来上がるものの距離を縮めることができれば、 もっとよくなるはず」 そして岡さんは、 建築家が自ら施工するセルフビルドに 取り組むようになりました。 「ダンスのようにつくりたい」 これが蟻鱒鳶ルの狙いです。 現場に残された地下足袋 |
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岡さんのプロフィール 磯さんのプロフィール
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