【25】床ができた!
▲新しく完成した床を背景した岡さん
今年の夏も暑いです。
気温が30度を超える日が続きます。
さすがに岡さんも参っている様子。
「江戸時代の職人は
7、8月は働かなかったと聞いてます。
その方がいいですよね」。
とは言うものの、マジメな現代人である岡さんは
工事を休んでいるわけにもいきません。
暑さ対策は何かあるんですか、
と岡さんに訊ねてみました。
すると返ってきた答えは「水風呂」。
暑くてシンドい日は、
現場作業を中断して近くの自宅に帰って、
水を張った浴槽にドボン。
身体を冷ましてから、また現場に戻って、
仕事を再開するのだそうです。
さて蟻鱒鳶ルの工事は、新しい段階に突入しました。
床の一部ができたのです。
今までの工事で主につくってきたのは壁の部分でした。
壁は板が垂直に立ち上がっています。
一方、床は板が水平に広がり、
その上には人や物が載ることになります。
できあがった床は、蟻鱒鳶ルの玄関にあたる箇所で、
地上から1.2mほどの高さになります。
完成するとこの建物を訪れる人は、
ブリッジと階段を通って
まずここへと至ることになるそうです。
広さは階段の踊り場ほどでしかありませんが、
現場の雰囲気はがらりと変わりました。
「ここが建築である」という印象が
ぐっと高まってきたのです。
▲できあがったばかりの床。
縁はぐにゃぐにゃとした不定形をしている。
■戦争もせずに領土拡張
床の構造も鉄筋コンクリート造です。
つくり方は壁と基本的に同じですが、
床板の場合、構造体が空中を飛んでいるので、
コンクリートを打つときは型枠を下から
支保工という仮設部材で支える必要があります。
「初めての床だったので、
一度につくる面積を抑え目にしました。
だけどなかなかうまくいったと思います」。
できあがって間もない床に乗ってみました。
床の下はがらんとした空洞です。
乗った途端に崩れてしまいやしないだろうか。
岡さんを前にして顔には出しませんでしたが、
内心ではちょっぴり心配でした。
しかし鉄筋コンクリートの床は、
少しも揺らぐことなく
しっかりと身体の重みを支えてくれました。
頑丈さが足の下からも伝わってきます。
これは単なる水平の板ではない、
人間がよって立つことのできる大地なのだ、
そんな感じです。
岡さんも床ができあがったことに興奮を隠しません。
「僕が買ったのは猫のヒタイのような
小さな土地だったんだけど、
戦争もせずに領土を拡大しちゃったなあ。
いやあ、我ながらすごい」。
人はなぜ建築をつくるのか。
それにはいくつもの答えがあるのでしょうけれども、
使える面積が広がるというのも、
建築本来の意義でしょう。
そのことにあらためて気づかされました。
そしてそこには、単純に喜びがあります。
思い出すのは吉阪隆正という建築家です。
ル・コルビュジエの下で修行をして
日本に帰ってきた後、
東京・お茶の水のアテネ・フランセや
八王子にある大学セミナーハウスなどの
設計を手がけた人物です。
吉阪は1955年に自分の家をつくります。
それはまず鉄筋コンクリートで
3枚の床を柱で支えただけの
シンプルな構造体としてつくられました。
その後コンクリート・ブロックを利用して
壁を立てていき、
次第に住めるような状態にしていったのです。
そして吉阪は、この家の当初の状態を
「人工土地」と呼んだのでした。
建築の本質を言い表した言葉だと思います。
蟻鱒鳶ルの新しく生まれた「土地」は、
地図に描かれた地形のように不定型で、
境界がギザギザとしています。
それがまた「土地」という感じを
強めているようでもあります。
■地下室は夏でも涼しい
地下に下りてみました。
下から見上げると床は屋根でもあります。
新しくできたスラブの下には、
日差しから守られた木陰のような場所ができていました。
もともと地下は温度変化が少なく、
冬は暖かく夏は涼しい環境を保ちます。
夏に洞窟へ入ると
ひんやりとした感じがするのを体験した人も多いはず。
ここ蟻鱒鳶ルでも、床の上は灼熱地獄なのに、
この地下階は別世界の涼しさです。
しかも敷地が斜面なので、
地下なのに片側の壁の裂け目からは
風も入り込んできます。
▲地下から床の縁を見上げる
ここで理解できるのは、
涼しさを生み出せるのは
エアコンばかりではないということ。
なんの設備もない裸のコンクリート構造だけで、
しかも建物が建て込んでいる都心の狭小敷地でも、
これくらいの冷房効果が生み出せるのです。
地球温暖化への対策として、
オフィスビルなどでは冷房の設定温度を
1度上げるかどうかでもめてたりしますが、
小手先のことにすぎないように思ってしまいます。
蟻鱒鳶ルが完成したら、
地下はとても気持ちのいい場所になりそうです。
▲地下の壁に建物の名前が象られた
|