シェアウエアのはじまり(2)
どうでしょうかね、前回の話を読んで。
前回までは、「使いつづけるんだったら、お金頂戴。」
という、シェアウエアの基本的なシステムが完成。
今回は、お金がかせげるためのビジネスのシステムが
立ちあらわれるのだ。
では、いってみましょう。
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1982年7月
Andrewは感動して、すぐに我が家に電話をかけてきた。
そして、二つのプログラムを一緒にして、Discにおさめて、
流通させることに決めた。
私は、AndrewのプログラムのPC-TALKという名前にならって、
自分のプログラムを、PC-Fileと名付けた。
そして、寄付というかたちでの、
プログラムの値段をAndrewの提案どおりに、25ドルとした。
さあ、これから何がおこるのだろうか?
私にはなにも分からなかった。
私の妻は、一人でも寄付をしてくれる人がいるわけはないと
言った。
私はもうすこし楽観的ではあったのが。
まあ、自分の趣味を拡張するのに十分な資金は
得られないかも知れないが、せいぜい数百ドル、
良くて1000ドルくらいが懐に入るのではないかと
思っていた。
が、ユーザーからの返事は、郵便局のちいさな私書箱に
あふれるほどにやってきた。
すべてがうまい工合にはこんでいた。
PCそのものは、ホットケーキのように
たくさん売られていたが、
データベースプログラムはほとんどといっていいほど、
存在していなかった。
しかも、
●他のプログラムは、できの悪いコピープロテクションが
かかっていたが、PC-Fileは、コピーを推奨するプログラムであった。
●他のプログラムは値段が高かったが、
PC-Fileは「ふつうの」値段に設定されていた。
●他のプログラムには「試用期間」はなかったが、
PC-Fileは、お金を払う前にきちんと、
「試用期間」があった。
●他のプログラムは小売店で売られていたが、
このプログラムには、
「ラジカル」な新しいマーケティングの方法があった。
つまり、一つには、コンピューター雑誌が、
この手のことを、血眼になってさがしており、
記事をたくさん作ってくれた。
つまり、タダで広告をつくってくれたというわけだ。
そして、当時、アメリカ中に、
大きなコンピュータークラブができつつあり、
そこが、会員に紹介するプログラムに飢えていたのだ。
シェアウエアは、そんなクラブにぴったりの代物であった。
ここで、またタダで流通経路を手に入れたわけである。
無料の広告---完璧な流通経路が
シェアウエアに与えられたのだ。
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さて、「システム」が出来上がったあと、
どうなったのか? ジムさんの取った、というか、
とらざるを得なかった行動とは。
当初の予定は2回。
でもつづきは次回。
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