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ほぼ日 |
4月19日のライブには、
泡盛とおつまみを用意します。
あとは、何が必要かというと‥‥島気分ですね。
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大島 |
島気分ですか。
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ほぼ日 |
はい。大島さんの育った町は、
石垣島の、白保(しらほ)。
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大島 |
はい。石垣市内から
10キロほど離れた場所です。
白保の海岸沿いは、ずっと浜辺ですよ。
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ほぼ日 |
この浜でも、集ったりしましたか。
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大島 |
ぼくらはしょっちゅう、浜で唄ってました。
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ほぼ日 |
浜で。すてきですね。
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大島 |
浜で唄うと、喉が鍛えられるんですよ。
泡盛飲みながら、潮風で唄えば、
声って、まぁ、つぶれちゃうんです(笑)。
その中で唄ってきた人は、喉が強い。
沖縄本島もそうですが、
東は芸能がさかんな地域が多いんですよ。
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ほぼ日 |
そういえば白保も東海岸ですね。
潮風が強いから唄がうまくなるんですか?
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大島 |
いや、やっぱり、東は月がのぼるから。
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ほぼ日 |
月が。
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大島 |
月がのぼる時間に、
みんなが浜に集って飲むので‥‥。
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ほぼ日 |
そこで唄うから。
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大島 |
そう。
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ほぼ日 |
東は、月も太陽も、のぼりますね。
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大島 |
そう。浜で飲んでて
朝陽がのぼってきて「ヤバイ」となって
帰ることも多いです。
ぼくの「イラヨイ月夜浜」という唄のなかで
“太陽ぬ上がるまで舞い遊ば”
つまり、太陽が昇るまで遊ぼう、という
歌詞があります。
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ほぼ日 |
ああ、東海岸ならではの、
そういう歌詞だったんですね。
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大島 |
ぼくのちいさい頃は、
街灯が少なかったんで、
月あかりが印象的でした。
石垣の月は、ものすごくあかるいんですよ。
島では、十五夜の日に
家族みんな庭に出て、ござ敷いて
食事する風習があるんです。
あかるい月を見ながら、
食事しながら、話しながら
じいちゃんとおやじがお酒飲んで
庭で一日を過ごします。
それはもう、すごくきれいでした。
そういう唄が今回のアルバムの『島渡る』にも
入っています。
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ほぼ日 |
どれでしょう。
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大島 |
「東方節(あがりかたぶし)」。
十五夜になったら、前の庭に出て語ろう。
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ほぼ日 |
月があがるから、「あがりかた」なんですね。
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大島 |
そうなんです。
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ほぼ日 |
19日の夜は‥‥
(ほぼ日手帳をめくる)
なんと、新月の期間です。
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大島 |
はははは。
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ほぼ日 |
月は、見えません。
かわりに、こころに満月を。
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大島 |
そうですね。
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ほぼ日 |
ところで、大島さんのおうちは
代々「ヒバリ」と呼ばれてるそうですが。
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大島 |
はい、「ヒバリ」は屋号です。
じいちゃんが唄がうまかったんで、
大正時代から、あだなが「ヒバリ」で、
そのまま屋号になりました。
同じ家族でも、兄弟が多かったら
大島の家だらけになりますから、
屋号が必要になるわけです。
白保帰って「大島だ」と言ってもわからず、
「どこの大島だ」という話になります。
「ヒバリ」といえば、うちです。
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ほぼ日 |
なるほど。
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大島 |
だから、屋号はすごく大事なものなんです。
だけど‥‥失敗談からそのまま
屋号がついてしまうこともあります。
たとえば、ぼくの101歳の祖母の
家の屋号は「アナタクシ」。
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ほぼ日 |
屋号が、アナタクシ。
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大島 |
それは、ぼくが高校時代に97歳で亡くなった
うちのひいじいちゃんのあだ名が
もとになっています。
ひいじいちゃんは日本語が
まったくしゃべれませんでした。
石垣の白保には飛行場もあったので、
日本の兵隊が駐留していました。
むかしの兵隊ですから
「ワタクシは、なんとかかんとかで」
とかいうしゃべり方をしていました。
石垣では、「自分」のことを「ばあ」といいます。
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ほぼ日 |
まったく違うんですね。
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大島 |
そう。ひいじいちゃんは、
「ばあ」は「わたし」なんだ、と覚えました。
「わたし」は「わたくし」と言うでしょう。
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ほぼ日 |
あ‥‥はははははは。
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大島 |
ひいじいちゃんは「あなた」に「くし」をつけたら
ていねいになると思って、
「あなたくしは」と言ってしまった。
それを村の人に聞かれて‥‥
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ほぼ日 |
ははははは。
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大島 |
それがあだ名になって、
ひまごの代まで「アナタクシ」。
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ほぼ日 |
途切れないんですね。
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大島 |
一回ついちゃうと、ダメです。
むかしの人は、そういう名前をつけるのが
ほんとうに上手でした。
海軍に行った人がそのまま「海軍」、
牛がばかみたいに好きだったから
そのまま「ウシバカ」とついた家もあるし、
「家の光」という家もあります。
そこは「家の光」という雑誌を
配ってただけなんですけどね。
「明るい農村」という屋号もありますよ。
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ほぼ日 |
‥‥‥‥‥すごい。
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大島 |
NHKで、以前、
朝6時半くらいに放映される
「明るい農村」という番組がありました。
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ほぼ日 |
はい。憶えてます。
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大島 |
あまりにも働き者の人が白保にいて、
その夫婦はスーパーカブ乗って
毎朝きっちり6時半に畑に行きました。
「明るい農村」の時間に出発したから
代々その家は「アカルイノウソン」。
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ほぼ日 |
いやだと抗議しても、
きっと通じないんですね。
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大島 |
いやだと言えば言うほど‥‥。
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ほぼ日 |
あだ名とおんなじですね(笑)。
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大島 |
不本意なあだ名であっても、
2代目以降は気にしなくなります。
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ほぼ日 |
ほんとうの屋号になっていくんですね。
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大島 |
そう。 |
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ほぼ日 |
大島さん、三絃は「ヒバリ」のおじいさんに
教わったんですか?
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大島 |
はい。
親父も三絃はうまいので、親父にも習いました。
じいさんが三絃つくってくれたりして。
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ほぼ日 |
つくるんですか!
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大島 |
はい、じいさんがね。
竿の部分は琉球黒檀という木です。
黒檀は真っ黒なんですよ。
この棹に使った黒檀は
樹齢200年以上経っているものです。
150年から200年経たないと、
木の黒いところが成長しないので。
とても固く、丈夫な木です。
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ほぼ日 |
そうなんですか。
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大島 |
胴はニシキヘビの皮です。
バチは、水牛のツノを
加工してつくるんですよ。
これは、自分でつくったんですけど。
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ほぼ日 |
これ、大島さんが‥‥?
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大島 |
骨董屋さんから水牛のツノを買ってきて。
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ほぼ日 |
骨董屋さん!?
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大島 |
お店によくあるでしょ? 水牛のツノとか。
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ほぼ日 |
ありますけど‥‥。
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大島 |
骨董屋さん、探してくれるんですよ。
それを削ってつくります。
三絃はほんとうにいい楽器です。
200年経っても300年経っても
現役で弾けるのは
バイオリンと三絃くらいじゃないでしょうか。
この三絃も、ぼくだけのものじゃないです。
代々伝えていくものです。
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ほぼ日 |
ギターなどはネックが反ったりしますから。
黒檀がよっぽど固いんでしょうね。
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大島 |
特に八重山産の黒檀が
いちばん上質だと言われています。
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ほぼ日 |
最後に、沖縄の言葉を
ひとつ覚えたいと思います。
かけ声とか、よく使う言葉とか。
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大島 |
「ハイサイ」という言葉が、
沖縄にあるんです。
「ハイサイ」は
「こんにちは」と訳されることが多いんですが、
「こんにちは」じゃないと思います。
おそらく、ハワイの「アロハ」と
似てる部分があると思うんですけどね。
こんにちはも「ハイサイ」
別れるときも「ハイサイ」
久しぶりに会っても「ハイサイ」
酒のんで乾杯するときも「ハイサイ」
重いもの持つときも「ハイサイ」
気合入れるときにも「ハイサイ」。
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ほぼ日 |
ははは、すごい。
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大島 |
日本語って、そういう
複合的な意味を持った言葉が
少ないですよね。
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ほぼ日 |
そうですね、「どうも」ぐらいでしょうか。
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大島 |
「どうも」は、ちょっと近いかもしれない。
「ハイサイ」っていうのは、「どうも」に
もうちょっと気合をいれる感じかな。
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ほぼ日 |
やっぱり「アロハ」に似てるんですね。
喜納昌吉&チャンプルーズの
「ハイサイおじさん」は
どういうふうに訳しますか?
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大島 |
「やぁ、おじさん」みたいな感じでしょうね。
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ほぼ日 |
「こんにちは」じゃないんですね。
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大島 |
極端に言えば、柔道で投げるときも、
「ハイサイ」って言いますからね。
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ほぼ日 |
ええ?!
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大島 |
ほんとに、ほんとに。
「ハイサイ!」
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ほぼ日 |
では、19日のライブ当日はツイッターで、
「パチパチ」「ヒューヒュー」というのも、
ハイサイと言えばいいですね。
迷ったら何かと「ハイサイ」。
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大島 |
「ハイサイ」、いい言葉です。
だけど女性は、基本的に
「ハイタイ」と言います。
「ハイサイ」でもいいんですけど、
沖縄の年寄りの人たちに、ときおり
「ハイタイだろう!」と言われちゃいます。
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ほぼ日 |
なるほど。
ハイサイ、ハイタイ、のあいさつ、掛け声。
覚えました。
ライブはいよいよ明日です! |
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2012-04-18-WED |
撮影:枦木 功 |