-和田さんによる解説-
金原亭馬生(きんげんていばしょう)
十代目金原亭馬生[1928-1982]。志ん生の長男。
1943年、戦時中に落語家になった、
数少ないうちの一人である。
志ん生の倅、というアドバンスが、
ときに「親父に比べて息子は」というかたちでの
過小評価を招いたこともあったらしい。
しかし、今日から見れば
昭和落語史のなかの重要な看板であり、
『親子酒』『そば清』『目黒のさんま』
『千両蜜柑』などいずれも名品だ。
次男の志ん朝が、志ん生の演出、
くすぐりをそっくり踏襲しているのに対して、
馬生にはいささかの屈折があり、
たとえば父親の十八番『火焔太鼓』は
あまり口演したがらなかったと聞く。
しかし、それが陰影になっている。
大の酒仙で肴に箸をつけないのが流儀。
とんかつの名店「とんき」に連れて行かれたときは、
コロモだけを食べて徳利をあけたという伝説がある。
十代目金原亭馬生[1928-1982]。志ん生の長男。
1943年、戦時中に落語家になった、
数少ないうちの一人である。
志ん生の倅、というアドバンスが、
ときに「親父に比べて息子は」というかたちでの
過小評価を招いたこともあったらしい。
しかし、今日から見れば
昭和落語史のなかの重要な看板であり、
『親子酒』『そば清』『目黒のさんま』
『千両蜜柑』などいずれも名品だ。
次男の志ん朝が、志ん生の演出、
くすぐりをそっくり踏襲しているのに対して、
馬生にはいささかの屈折があり、
たとえば父親の十八番『火焔太鼓』は
あまり口演したがらなかったと聞く。
しかし、それが陰影になっている。
大の酒仙で肴に箸をつけないのが流儀。
とんかつの名店「とんき」に連れて行かれたときは、
コロモだけを食べて徳利をあけたという伝説がある。