-和田さんによる解説-

春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた)

春風亭昇太[1959-]。
落語の表現は、そもそも「漫画的」なものである。
ここで言う「漫画的」とは、
現実世界からあるエッセンスを抽出し、
類型的処理を使いながら、世界を明快に、
シンプルに再構成するという意味である。
(「類型化」は低い表現を意味しない。
 文楽の人形のカシラがいくつかのパターンに
 限られているのと同様、
 落語は「八五郎」「隠居」「与太郎」という
 おなじみの顔を遣う)。
時代をさかのぼれば三代目三遊亭圓遊、
大阪の初代桂春團治、東京の初代柳家三語楼、
その門人の金語楼、志ん生、初代権太楼などがこの系譜に入る。
彼らの表現はひたすらポップである。

しかし、「時代」と「落語」が乖離するようになると、
語り手の表現は重く、長く、写実的になる。
アカデミズム化がはじまるのである。
それはジャンルにとってはまずい傾向だ。
昇太の表現は落語本来のすとん、とした軽さをそなえている。
そして世間の人がよかれと思って付けようとする
「額縁」から逃げ廻るようにスピーディーだ。
新作、古典をへだてない演じ手で、
今回のトークに出てきた『愛宕山』も『寝床』も
CDになっているので聴いてみてほしい。
(できたら志ん朝のあとに)。

春風亭昇太[1959-]。
落語の表現は、そもそも「漫画的」なものである。
ここで言う「漫画的」とは、
現実世界からあるエッセンスを抽出し、
類型的処理を使いながら、世界を明快に、
シンプルに再構成するという意味である。
(「類型化」は低い表現を意味しない。
 文楽の人形のカシラがいくつかのパターンに
 限られているのと同様、
 落語は「八五郎」「隠居」「与太郎」という
 おなじみの顔を遣う)。
時代をさかのぼれば三代目三遊亭圓遊、
大阪の初代桂春團治、東京の初代柳家三語楼、
その門人の金語楼、志ん生、
初代権太楼などがこの系譜に入る。
彼らの表現はひたすらポップである。

しかし、「時代」と「落語」が乖離するようになると、
語り手の表現は重く、長く、写実的になる。
アカデミズム化がはじまるのである。
それはジャンルにとってはまずい傾向だ。
昇太の表現は落語本来の
すとん、とした軽さをそなえている。
そして世間の人がよかれと思って付けようとする
「額縁」から逃げ廻るようにスピーディーだ。
新作、古典をへだてない演じ手で、
今回のトークに出てきた『愛宕山』も『寝床』も
CDになっているので聴いてみてほしい。
(できたら志ん朝のあとに)。