-和田さんによる解説-

柳家小三治(やなぎやこさんじ)

1939年、東京生まれ。59年、五代目柳家小さんに入門。
69年、十代目柳家小三治を襲名し真打昇進。
五代目柳家小さんが「小さん」になる前の名前が「小三治」であり、
つまり師匠からバトンを渡されたと見ていいだろう。
その期待通り、早くから活躍し、
「提灯屋」「鹿政談」「死神」「千両蜜柑」など、
独自の世界をつくった。
落語協会会長を勤め、人間国宝にまで指定されたが、
どこまで成功をしても、小三治落語の底には取り払えない澱がある。
本人いわく「おれは落語家に向いていない」。
そこがこの人のコクになっている。
小さん門下でまず売り出したのが柳家小ゑん、のちの立川談志。
その七年下の弟弟子が小三治で、
この二人、互いにずいぶん意識をしていた。
小三治による談志論の一端は著書『落語家論』を参照。
1983年、東横劇場で小さん・談志・小三治の鼎談があり、
今年はじめてCD化(『東横落語会 立川談志』小学館)された。
ファン必聴のレアものである。

1939年、東京生まれ。
59年、五代目柳家小さんに入門。
69年、十代目柳家小三治を襲名し真打昇進。
五代目柳家小さんが「小さん」になる前の名前が
「小三治」であり、つまり師匠からバトンを
渡されたと見ていいだろう。
その期待通り、早くから活躍し、「提灯屋」「鹿政談」 「死神」「千両蜜柑」など、独自の世界をつくった。
落語協会会長を勤め、人間国宝にまで指定されたが、
どこまで成功をしても、小三治落語の底には
取り払えない澱がある。
本人いわく「おれは落語家に向いていない」。
そこがこの人のコクになっている。
小さん門下でまず売り出したのが
柳家小ゑん、のちの立川談志。
その七年下の弟弟子が小三治で、
この二人、互いにずいぶん意識をしていた。
小三治による談志論の一端は著書『落語家論』を参照。
1983年、東横劇場で小さん・談志・小三治の
鼎談があり、今年はじめてCD化(『東横落語会 立川談志』小学館)された。
ファン必聴のレアものである。