そもそものきっかけは震災の年(2011年)の10月、 毎年秋に東京・目黒で行われている「目黒のさんま祭」。 「震災の直後ですが、 そんな相談を市長から受けた糸井は、こう答えました。 「全国の人たちがわざわざ気仙沼まで来たくなる これが、「気仙沼さんま寄席」のはじまりです。 目標とする集客数は約1000人。 さらに、 こうして、 ▲志の輔さんの姿を描いてくださったのは、南伸坊さんです。 これは、慰問ではありません。 気仙沼のおかみさんがガイドをつとめる
開演時間が近づき、お客さんが続々と集まってきます。
お出迎えは‥‥そう、気仙沼のみなさんです。
ツアーのお客さんは、それぞれのコースのバッチをつけて。
志の輔師匠も到着しました。
気仙沼のアイドル、ホヤぼーやも登場ですよ。
市民会館の大ホールの客席が ▲はっぴ姿の「気仙沼さんま寄席実行委員会」会長、松井敏郎さん。 さあ‥‥
そして、この日、最後の演目。
志の輔さんは、「中村仲蔵」という噺を選びました。 渾身の一席。 満場の観客は息を呑み、
あの名演を、私たちは決して忘れません。
▲子どもたちの「八幡太鼓」や、浪板地区の伝統芸能「虎舞い」などの出し物も。 イベントは、大盛況で大成功でした。 この日の様子をテキスト中継で振り返ることもできます。 そんな忘れられないイベントから約半年後、 そうです、
みんなで稼いだ半年前のイベントのお金は、 そう思いながら会場で見たさんまは、
このお祭りの様子も、 ▲糸井重里、焼きさんまに挑戦! ▲なんと、志の輔師匠も!
駆け足のご説明になりました。 第二弾となる今回は、3月ではなく9月に開催します。 イベントの収益は、
うれしさ、おいしさ、倍増の、 |