4月8日(水)午前11時、チケット販売開始!

そもそものきっかけは震災の年(2011年)の10月に
気仙沼市長・菅原茂さんと
糸井重里が会ったときのことからはじまります。

毎年秋に東京・目黒で行われている「目黒のさんま祭」
このお祭りで無料でふるまわれる新鮮なさんまは、
気仙沼が提供しています。
「震災の直後ですが、
 気仙沼市としては今年も同じことをしたい。
 目黒にさんまを贈る費用をつくりたい」
そんな相談を市長から受けた糸井は、こう答えました。
「全国の人たちがわざわざ気仙沼まで来たくなる
 そんな落語会を開いて、
 みんなで働いて、さんま代を稼ぎましょう」
これが、「気仙沼さんま寄席」のはじまりです。

全国からたくさんのお客さんを集めるために、
糸井は迷わず、立川志の輔さんに出演を依頼しました。
すると師匠からは、
「よくぞ、わたしに声をかけてくださいました」
というご快諾のお返事が。

準備は着々と進められ、ついにその日がやってきました。
2012年3月25日、日曜日。
東日本大震災から約1年後の気仙沼市民会館で、
第1回目の「気仙沼さんま寄席」が開かれました。

▲志の輔さんの姿を描いてくださったのは、南伸坊さんです。

「慰問」ではありません。
さんまを贈るために、気仙沼の人が働いて、
お金を稼ぐイベントです。

▲スタッフとして働く気仙沼のみなさん。

▲何台もの観光バスが、震災から1年後の港町をさっそうと走りました。

▲続々と集まってきたお客さんたち。

▲ツアーのお客さんは、それぞれのコースのバッチをつけて。

▲はっぴ姿の「気仙沼さんま寄席実行委員会」会長、松井敏郎さん。

やがて、落語会の幕があがり‥‥。

▲客席はのっけから爆笑の渦に。

▲糸井重里との「こたつトーク」というプログラムもありました。

 

「気仙沼さんま寄席」での志の輔師匠の高座は、
第1回目も2回目も、
どちらも「伝説」になるものだったと、
わたしたちは思っています。
渾身の一席。
満場の観客は息を呑み、
ひとつの所作も見逃すまいと、
最高の集中力で目と耳と心を、舞台へと傾けていました。

あの名演を、私たちは決して忘れません。

▲みんなで、記念撮影!

翌年の2013年9月29日には、
「第2回気仙沼さんま寄席」を開催しました。

第1回との大きなちがいは、
東北のお客さん限定の
「前夜のおたのしみ独演会」を、
本公演の前に上演したことです。

「1回目のさんま寄席のとき、
 あんなに一所懸命がんばっている地元の人達に
 落語で楽しんでいただけなかったのが心残りでした」
そうおっしゃる志の輔師匠の
たってのご希望で実現した前夜祭のような落語会でした。

▲糸井とのトークコーナーも、もちろんありました。

「うれしさ、おいしさ、倍増です。」
という合言葉で開催された2回目のイベントでは、
市場でおいしい焼きさんま定食を食べられる、
「市場で朝めし。」も実現しました。

震災後、一般のお客さんがこんなに集まる催しは、
これがはじめてだったとか。
 

ワークショップも、いくつか開きました。
やってきた人と地元の人が笑顔で触れ合う、
ちいさいけれどあたたかなワークショップを。


▲みんなで記念写真も恒例に。

イベントは2回とも、大盛況で大成功でした。
働いて稼いだお金は予定通り、
東京都目黒区の催し
「目黒のさんま祭」のためにつかわれました。


「目黒のさんま祭」の様子は、
2012年から3回テキスト中継でお届けしています。
よろしければ、ご覧ください。

2012年
2013年
2014年

▲糸井重里も、さんまを焼きました。

▲志の輔師匠も!

▲「さんま焼き隊」のみなさん、お疲れさまーー!

駆け足のご説明になりました。
これが、「気仙沼さんま寄席」です。
第三弾となる今回は、5月の末に開催します。
立川志の輔さんの落語に加えて、
サンドウィッチマンのおふたりも出演!

今回もみんなで稼いだお金のつかいみちは同じ。
イベントの収益は、
「目黒のさんま祭気仙沼実行委員会」にお渡しします。

ようこそ、ありがとう。
「第3回 気仙沼さんま寄席」を、どうぞおたのしみに。

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