僕も、家が浄土真宗でした。
親父がね、50歳を過ぎてから、
急にお寺に通うようになったんです。
それはその‥‥おもしろいものでしてね。

親父がお寺に行きはじめたきっかけはたぶん、
本堂の建て直しでした。
「みんなで力を合わせてお金を集めて相談して
 本堂を建て直すんだ」
という会合をするようになって、
親父も世話役のようなものの一人になった。
信心の「し」の字もなかったような人が、
お寺に通うようになったんです。
それがまたね、嫌々行ってるふうでも
なかったんですよ(笑)。

そんな親父が、若い僕には
なんだか妙なものに映りました。
家に帰って、酒を飲みながら、
坊さんのお説教について
親父が話をするんですが、
僕は全然聞いてなかったです(笑)。
全然聞いてなかったけど、
「あの坊さんがこう言って」という姿が、
僕にとって、父親の様変わりだったんですよ。

年を取るってそういうことかなぁ、と
ひとつには、思ったんです。
そして、一方では、
何というのかな、
「人間が自然というものに負けていくさま」を
見たような気がしました。