ITOI
禁煙のセラピーで一服しよう。
darlingはタバコをやめるのだろうか?

とにかく、麻薬の一種なのだということを。

O嬢先生は、楽譜を置くような譜面台を前にして、
ファイルをめくりながら、
ぼくと、24歳女性に向かって「皆さん」と語りかける。
テキストに、皆さんと書いてあるのかも知れないが、
たったふたりで「皆さん」と呼びかけられるのは、
ちょっと妙な感じではある。
テキストを読んでいない時のO嬢先生は、
自然で率直な、キャリアのある女性という感じだが、
テキストを読んだりめくったりしている時には、
ただの読み手のようになってしまうのが残念だ。
書いたものを上手に読むだけの
プレゼンテーションの場面に立ち会う時、
ぼくは、たいてい「読むだけなら、やめよう」と言う。
目で追う以上にすることがないのなら、
その音読の手間とひまは、話し合いに使うべきだからだ。
しかし、ここは、そういう提案をすべき場所ではない。

長い長い時間をかけて、
なんどもなんどもめくられたページを、
そのまま記憶してきて、
順にここに記してもしかたがないので、
おおむね、こんな内容だったということを書く。

ぼくが重要だと考えたことを中心にまとめているので、
プログラムを創った方や、O嬢先生には、
不満かも知れないが、許して欲しい。

講義の最も重要なポイントは、
禁煙がどうの、喫煙がどうのという話は、
「ニコチン中毒」に罹った麻薬患者をどうするか、
という問題に置き換えなければいけないということだ。
趣味の問題なんかではなく、
ぼくらスモーカーは、ニコチンという
毒性の強い政府公認の麻薬におかされた被害者なのだ。

ぼく自身は、タバコから自由になれない自分を、
「タバコの奴隷」というふうに観念的に言うけれど、
この場ではそれは、もっと具体的にリアルに
感じさせられるわけだ。

そうだ。
ぼくら喫煙者は、ヘロインやコカインのように、
麻薬によってコントロールされた中毒者なのだ。
それが、ニコチンという名前の
公認の麻薬であるというだけで、
社会的に認知され「ヤク中」と言われずに、
「スモーカー」と呼ばれている。
というわけだ。

ちょっと、きつい言い方だけれど、
そういう構造はよくわかる。
その通りだよなぁ、と、思う。
この部分を納得させるために、長い長い朗読が必要になる。

次に重要なのは、
ニコチンという麻薬の害と、その性質である。
ニコチンは、どんな麻薬よりも、
早く習慣性をつくってしまうということ。
そして、その毒性に対しての、からだの耐性が
失われたときに禁断症状が生まれる。
その禁断症状は、次のニコチンの摂取によって
若干軽減されるために、
「タバコを吸ったら、すっきりした」という
錯覚に陥るのだという。
なるほどねぇ。そういうことも、理解はできる。

そうだよ、前々からぼくも言っているけれど、
タバコというのは、百害あって一利なしの毒物なんだ。
了解しました。

そして、タバコが、人類の歴史のなかで、
いかに良いもの、ましなもののように宣伝されてきたか、
という歴史にもテキストは触れている。
ぼくの本職でもある広告による洗脳の例も
実際の広告をモデルに説明されていくのだが、
この例というのが、イギリスのシルクカットという
タバコのブランド広告なので、
ちょっとピンとこないようにも思った。
つまり、「翻訳のテキストをそのまま使われてもなぁ」
というような、感想だ。
またぞろ、プロデューサー気分になっていたわけだ。

O嬢先生が3時間くらい熱心にしゃべり続けていると、
生徒というか患者(クライアント)としては、
同情のような気持ちが湧いてくる。
あんなに一所懸命に話してくれて、
ありがたいなぁ。
そして、なんだか、悪いなぁ・・・と。
もっと、話を端折ってくれてもいいんだけどなぁ。
あるいは、この教える方も教わる方も
長時間のガマンを続けるというところも、
この禁煙のセラピーの大事な演出なのかもしれない。

しかし、ぼくは、聞くだけ、という時間が
もっとも苦手なのである。
正直にいいますが、この日、3回、
「イトイさん、眠いですか?」と、起こされた。
瞬間的に眠っていた回数は、3回なんてものじゃない。
10回くらい、ぼくはあの世に旅立っていた。
もうしわけありません。

眠くなったことについて書いていたら、
眠くなったので、このつづきも、
また、次回に。

2000-04-19-WED

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