禁煙のセラピーで一服しよう。 darlingはタバコをやめるのだろうか? |
タバコをやめろの声が吸わせるのだという話。 タバコがいちばんうまいと感じられるのは、 どんな時だろうか? 食後の一服、という人もいる。 仕事の一区切りした後、と言う人もいる。 しかし、スモーカーの誰でもが、 「そのとおり」と納得するのは、 禁煙状態から自由になったときの一服であろう。 吸ってはいけない場所、 吸ってはいけないという人といる時、 禁煙を破る瞬間のタバコほどうまいものはない。 いけない、と意識すればするほど、 拘束されたような気になって、強い抑圧を感じ、 タバコを吸う『自由』が輝いてくるのである。 だから、タバコをやめさせまいと思ったら、 嫌煙家たちは、隣人であるニコチン中毒患者たちに、 「吸うな吸うな!!」と、言い続けてやればいいのだ。 だから、このO嬢の禁煙のセラピーでは、 「タバコを自由に吸いながら、話を聞いてください」 という方法をとっているのだった。 これは、このセラピーの優れたところだ。 人間観として、これはすぐれた考えだと、 ぼくはとても感心した。 禁止や抑圧を感じたら、そこから逃れようとする。 しかも、ぼくらは自慢じゃないけれど ニコチン中毒の禁断症状に苦しむジャンキーなんだぜ。 声高に禁煙を説こうとする人々が、 鬼のように見えるのは、当たり前なんだ。 だって、患者なんだもーん。 と、開き直っているように聞こえるかも知れないが、 そうなんだよ、ホントなんだよ。 勉強できなくて落第しそうな高校生に、 がみがみと勉強しなさいと説教したって、逆効果でしょ。 勉強しないとどんなに不幸になるか説いたって、 どうしょうもないんだから、いまさら。 禁止が意識されなければ、 タバコは、そんなに「なくてはならないもの」に 感じられないかもしれない、とさえ、 ジャンキーは考えるものなのだ。 こういった話は、O嬢がテキストをめくりながら、 教会の信仰の集いのような口調で語られる。 エピソードの例がイギリス人に馴染み深くて、 日本人にはピンとこないようなものであったりするのも、 なんとなく違和感はあるのだが、 語られている内容については、かなり納得できる。 しかし、現場のぼくは、眠くて、 耳だけを働かせているのが退屈で、 このあたりで苦行のようになっていた。 まだまだ、つづけてやるぜ。 |
2000-04-23-SUN
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