ITOI
禁煙のセラピーで一服しよう。
darlingはタバコをやめるのだろうか?

まだまだある、禁煙するためのさまざまな理由。

O嬢先生の話は、いくらでも続く。
もう、劇場のひとり舞台だったらマチネーを終えて、
夕方の第二回公演も終えているくらいの頃だ。

禁煙のセラピーに、不思議なマジックも仕組みも、
実は一切なかったといっていいい。

とにかく、やめるべき理由を、徹底的に、
いやんなるくらい徹底的に、
情熱的に語り続けるのである。
ぼくは、この頃になると申し訳ない気持ちになってきた。
・・・こんなに一所懸命に何時間も話さなくても、
同じ内容のことを、もっとぼくのようなバカ者に
理解させる方法はなかったたのだろうか?
やっぱり、この時間あっての成功率90%なのだろうか?

しかし、こういう方法で、こころから納得できるなら、
あらゆる見合い結婚は成立させられるのではないか。
いやいや、そんな不埒なことを考えてはイカン。

他にも、タバコをやめるべきいくつかの理由が、
語り続けられていった。

経済的な損失。
例えば、ぼくのケースでは、一生に2000万円くらい、
このニコチン中毒のために使っていることになる。
タバコ会社による洗脳的で卑劣な広告。
・・・というようなことが、
徐々に、ある種の憎しみをこめた表現で語られていく。

タバコを吸いながら、無理やりにでなく
「心許した友人のように」タバコの害を語っている
というスタンスが、説教の後半になると
徐々になくなっていき、タバコとその産業、
そして、タバコを許す世間に対して、
キツイ言葉が投げつけられるようになっていく。
おそらく、キリスト教の伝統のあるイギリスでは、
神と悪魔の対立のような考え方が、
ごく一般的な市民の無意識に刻み込まれているだろうから、
悪魔の誘惑とか卑劣で周到な罠、といった言葉が、
とても効果的に禁煙に結びついていくのだろうとは思う。

しかし、ぼくら八百万の神々の風土に育ったものには、
急に「悪魔」というような概念をもちだされると、
けっこう気持ちが引いてしまうのは否めない。
たった1日前までは、
悪友のようにつきあってきたタバコだったし、
セラピーのO嬢先生(とそのテキストの教義)とは、
ほんの数時間前までは他人だったわけだ。
ニコチンという麻薬中毒患者だからこその、
間違った考えだと冷静に考えればわかるのだが、
昨日までなかよしだったタバコのことを、
悪魔、鬼畜、蛇蠍のように言われると、
自分が、簡単に友情を裏切る人間なのかと、
よけいな問いかけをされているような気になってしまう。

これは、ある種の宗教戦争である。
ってゆーか、そういう形式で進行するセラピーである。
「タバコはいいものだ」という宗教に
洗脳されている自己と、
その洗脳を解こうとする「ノンスモーク教」の、
激しく衝突する対立の場なのである。

そういう場で、「まぁまぁ、なかよく」とか、
「タバコさんにも言い分はあるんだから」というような、
曖昧な態度は許されないわけだ。
徐々に、タバコの実体を知り、タバコから気持ちを離し、
最終的にはタバコを憎むようにならなければ、
「ちょっとくらいはいい、ということで。へっへっへ」
というような手打ち式に帰結してしまうのだ。

さまざまな理論、理屈、理由が次々に語られ、
ぼくは自然にタバコを憎むようになっていった
・・・はずだった。
それに、最初に「イトイさんは、やめられます」と、
「大丈夫です」と、言われていたのだ。

きっと、うまくいく。
ぼくは、たのしみだった。

まだ、つづくかんね。

2000-04-25-TUE

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