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糸井 |
誰かが作ったってわかっているものと
つながることって、
日常生活でなかなかなくて。
無名のものでみんな同じですよっていうものを
買ってばっかりいると
誰かとつながりたくなるんじゃないかと思うんです。
大橋さんとはよく川久保玲さんの話に
つい、なっちゃうんだけど、
コム デ ギャルソンで買うときって
やっぱり、僕、リトグラフを買うような
気持ちがあるんですね。
特にある程度の値段のものだと
それは版画みたいに買ってる。作品として。
じっさいに何点あるかは別として、
版画でも20点30点作るんだから、
これだけ手の込んだ洋服を
こうやって作っているって考えたら
着ることっていうのと
鑑賞することっていうのと
両方受け止めましたっていう
メッセージが、全部一緒になるんです。
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大橋 |
そうですね。 |
糸井 |
うん。で、その気持ちと
リトグラフを買う、絵を買う、
あるいは誰かの陶芸作品を買う。
みんな同じだと思っているんです。
「誰かとつながること」
なんじゃないかなって思うんですね。
たとえ無名の人でも、
作家は「誰か」なんですよね。 |
大橋 |
そうですね。
「誰か」なんですよね。そう。 |
糸井 |
そうなんですよ。
自動車のデザインでも
やっぱり「誰か」っていったときの
迫力ってあるんですよね。
日産チームって言われたよりも
「ジウジアーロがこのときにねって」
って言うと、その関係ができる。 |
大橋 |
そうですね。人ってすごいね。
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糸井 |
すごいですよね。
僕、今ずっと「消費」っていうことについて
一所懸命いろんな角度から
考えている時期なんですけど、
みんなが同じ価値のものを買うっていうのは、
さびしいなと思ってて。
でも「名前のあるもの」と
「自分」とのつながりができるっていうのは
すごく豊かになるような気がして。
このくまちゃんがいたとき、
他に大量生産品の人形がいくらあっても、
この子は違ったと思うんですね、きっと。 |
大橋 |
ああ、違いますね。 |
糸井 |
そして、それをやり取りすることが、
お金でできちゃうということは
逆にありがたいなっていう気持ちもあるんです。
作品を買うのって、
「旅行に行ったら」っていうのと
同じような金額ですよね、
それでやり取りできるっていうのは
何か今まで行き詰っていたものが
スッと突破口が出たような気がするんですよね。
タケイさん(「ほぼ日」シェフ)が
最近どこかで何かを買ったでしょう。 |
シェフ |
はい。三沢厚彦さんっていう
動物の彫刻をやる人がいて、
その人が木彫で
くまがごろーんとひっくり返った
作品を作ったんです。
実物大のこぐまの。
それがすごくかわいくて、
でもそれは何百万円もして、
もちろん買えないんですね。
ところがそれを彼が思いついたときに
何かないかってメモした、
ダンボールの切れ端を、
リトグラフくらいの値段で、
売ってたんですよ。 |
糸井 |
イメージ図だよね。 |
シェフ |
ええ。もうひと目で好きになって。
ぼくはそういうふうに
絵を買ったことがなかったんですが、
たまたま縁なんですけど
電話会社が解約したはずの回線の料金を
引き落としていたと戻ってきたお金が、
ちょうどその絵と、
同じ金額だったんです。
で、画廊で正座して考えて、
「これは‥‥これは‥‥、
ください!!」と。
本当に気持ちを込めて
初めて買ったアートがそれです。
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糸井 |
ああ、変わるでしょう、そこから。
入り口と出口ができる気がするっていうか。 |
シェフ |
そうですね。
まだ、かける場所が、決められずに、
しまってあるんですけど。
これをかける場所がいつかちゃんと
作れるように頑張ろうと思いながら。 |
糸井 |
なんだろう。大きい意味では
ある種文化遺産を預かる、
っていうことでもありますよね。
その責任をちょっと感じるんですよ、やっぱり。 |
シェフ |
そうなんです。
さっき大橋さんが
「買っておけば値が上がったかも」
なんておっしゃった気分もわかります。
じっさいに買うときはそんなことは
思わないんです。
これ上がるぞなんて。 |
大橋 |
そうそう、思ってませんものね。 |
シェフ |
ところが、買えなかったものに対しては
何か損したな、みたいに思うんです。 |
大橋 |
そうなんです、あれは不思議ですね。 |
シェフ |
たまたま持っているものが
値上がりしてたらそれはそれでいいんですが、
それが目的ではやっぱりないなって。
純粋にただただ欲しいと。
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糸井 |
それが目的の人も、僕、
混じってて全然構わないと思う。
その人たちがいてくれないと
アートって、
支えがなくなっちゃうような気がするんです。 |
大橋 |
まあそうですね。 |
糸井 |
ただ好きっていう人の同士の流通だと
「じゃ。あげるよ」っていう世界あるからね。 |
大橋 |
あります。 |
糸井 |
その意味では
流通するためのビジネスを
している人たちの存在って
案外、大事な気がするんです。 |
大橋 |
大事だと思います。 |
糸井 |
そういう人たちがいなければ
あのウォーホルだって、
いないわけですからね。
「お金じゃないんだ」って
決めるつもりもないんだけど、
このくらいのものだと
あなた方の知っているお金で
やり取りできるっていうのが
愉快だと思ったんです。
いま、ピカソ、買えっこないからね。 |
大橋 |
買えないですもんね(笑)。
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糸井 |
僕、若い頃、アートがお金で買える、
ということに対して酔っ払ってた気がする。
つまり社会参加と同じで
アートに自分が関われちゃうっていう
酔いがあったと思うんです。 |
大橋 |
ああ、わかります。 |
糸井 |
でも、ある意味では、いいんです。
酔っていても、
いいものを僕らは楽しんでいるわけだから。 |
大橋 |
そうです、そうです。 |
糸井 |
誰かが一輪の花を高いお金で買っても
僕はいいと思うんですよね。
お金とアートとの関係って
合理性をポーンと飛ばしちゃう
マジックがあると思っているんですよ。 |
大橋 |
ありますね。そう思います。
(次回につづきます!)
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