タカモリ・トモコさんは、
1993年に「あみぐるみ作家」になりました。
もともとはイラストレーターだったタカモリさんは、
どういうふうに「あみぐるみ」と出会い、
なにをきっかけにそれを仕事にしていこうと思ったのか。
その経緯を、うかがってみました。
作家プロフィールのような、インタビューです。
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最初はイラストレーターのお仕事に
就かれたと聞きましたが。
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タカモリ |
はい。
「セツ・モードセミナー」に入学して、
在学中からイラストレーターの
お仕事をはじめていました。
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イラストレーターを目指して、
美術学校に入られたわけですね。 |
タカモリ |
いえ、最初はなにも決めてなかったんです。
「セツ・モードセミナー」を選んだのは
雑誌で長沢節さんの記事を読んで、
すてきなひとだなあ、と思ったからで、
入学前からイラストをやりたかった
わけではないんです。
ばくぜんと、ファッション科に進むのかな?
なんて思ってました。
けっきょくイラスト科に進んだのは、
友だちの影響なんです。
入学して出会った信頼できる友だちが、
イラスト科に進むというので
わたしもそうしました。
まねっこからはじまったんです(笑)。 |
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イラストレーターとして、
最初のお仕事は? |
タカモリ |
「メンズノンノっていう男の子向けの
ファッション誌がもうすぐ出るから、
いま集英社にイラストを持ち込めば
使ってもらえるらしいよ」って、
友だちがそんなことを言っていたので、
集英社に電話をして持ち込んでみたら、
採用されたんです。
毎号の読者コーナーに載せる、
ちいさなネコを描くお仕事でした。
そこからすこしずつ、
お仕事を増やしながら
イラストレーターを続けていました。
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── |
イラストレーターは
何年続けていたのでしょう。 |
タカモリ |
たぶん、10年近くやっていたと思います。
「セツ・モードセミナー」は、
技術やデッサンを教えてくれる学校では
なかったんですね。
だから、いろんなことがわからないまま
ひとつひとつ描きかたを練習するように
仕事を続けていました。
長いあいだ、そうやって過ごしているうちに
すこしずつ、わかってきたんです。
「あぁ、わたしはヘタなんだ」って。
他人の絵がみんな上手にみえて、
描いても描いても不完全燃焼で。
これ、ずーっと仕事にしていけない‥‥
そう思ったんです。
じゃあどうしよう?
そんなことを考えていたとき
側にあったのが、あみぐるみだったんです。
そういえば、わたし、
これをつくると、いつもスッキリする。
ちからをぜんぶ出しきった気持ちになれる。
不完全燃焼にはならない。
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── |
そのときには、
すでにあみぐるみをつくっていたんですね。 |
タカモリ |
はい、趣味として。 |
── |
あみぐるみをはじめた、
最初のきっかけはなんだったのでしょう?
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タカモリ |
学生のときに、ゴダールの映画
『気狂いピエロ』を観て、
その映画の中でアンナ・カリーナが
ダックスフントのポーチをもってたんです。
それがすごくかわいくて、ほしくなって、
でも昔のものだし探しても当然なくて、
じゃあ自分でつくろうと思ったんです。
どんな材料でつくろうかと考えたときに
思いだしたのが、
小学4年生のときにリコーダーケースを
編んだことでした。
あのとき編んだリコーダーケースの
大きいのや、小さいのや、
長いのや、短いのをつくって組み合わせれば
ダックスフントになると思ったんです。
それが、最初のあみぐるみです。
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── |
編み物には、
小学生のころから親しんでいたんですね。
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タカモリ |
ええ、でも、編んでいたのは
リコーダーケースだけなんです。
シマシマのとか、フリフリがついてるのとか
いろんなタイプをいっしょうけんめい編んで
好きな子にあげたりしてました(笑)。
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── |
(笑)話を戻します。
イラストのお仕事で壁にぶつかって、
あみぐるみを思いだして、
すぐにお仕事になったのでしょうか。 |
タカモリ |
あみぐるみを仕事にしようと思ってすぐに、
テディベアをつくってるひとを紹介されて、
そのひとから、
「仕事にしたいんだったらクマがいい。
日本人はクマが好きだから。
テディベアを専門店に持ち込みなさい」
そう言われて、その通りにしたんです。
まずはそこで、
ぽつぽつと売れるようになりました。
最初はイラストのお仕事と、
並行してやってみようと思ったんですけど、
そうやってあみぐるみをはじめたとたんに
なぜかふしぎとイラストの仕事が
こなくなっちゃったんですよ。
それで、自分はそっちの道なんだと思って、
無我夢中で編むようになりました。
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── |
はじめての書籍が出版されたのは?
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タカモリ |
1994年です。
あみぐるみを仕事にしようと思って
まだ2年目でした。
そんなにはやく本をだせたんだから、
順調だったんだと思います。
イラストをやっていたころより
ずっと順調な感じがしました。
その、はじめての本をつくったときから、
「編み図」が必要になったんです。
編み図というのは、
編みかたの設計図のようなもので、
手芸の本には欠かせないものでした。
それまでは、人に編みかたを
伝えるつもりなんてなかったんです。
誰かがわたしと同じものをつくるなんて、
そういう発想はぜんぜんなかった。
でも、みんなに編んでもらえるのは
うれしいことだと思って、
それからは常に編み図を考えながら
作品をつくるようになりました。
誰でも編めるよう、できるだけシンプルに、
多くの人に、わかってもらえるかわいさで。
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作品集を出版するほかには、
教室の講師というお仕事もありますね。
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タカモリ |
はい。
編むよろこびを直接伝えるお仕事も、
ずっとたのしく続けてきました。 |
── |
タカモリさんのアトリエは、
ご自宅なんでしょうか。 |
タカモリ |
そうですね、自宅の、このリビングで。
ゆったりと発想できる場所ですし、
たいていはここで編んでいます。
福ちゃんがいつもそばにいて、
毛糸玉で遊びだすもんですから、
ちょっと困っちゃうんですけど(笑)。
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福ちゃん(タカモリさん撮影) |
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── |
2000年ころには
「ほぼ日」との出会いもありましたね。
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タカモリ |
「ほぼ日」さんでは、
みなさんによろこんでいただけることを、
こころをこめて、やらせてもらいました。
それはぜんぶ、
いまのわたしにつながっていると思います。 |
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そして2008年、
'Nouveau'に、
取り組むことになるわけですね。
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タカモリ |
はい、実際には2007年の終わりころから
とりかかっていました。
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自由に。 |
タカモリ |
もう、ものすごく自由に。
編み図のある作品も、
それぞれにこころをこめて
たのしくつくっていたんですが、
「再現することを考えないで自由に編む」
というのは、やっぱりすごく刺激的で。
「好きにしていいんだ!」
っていうよろこびに満たされながら
いまは編めていると思います。
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── |
アイデアも、たくさんあるようですね。
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タカモリ |
ええ、編みたいものはいっぱいあります。 |
── |
どんな作品がうまれてくるのか、
たのしみにしています。
ありがとうございました。 |
タカモリ |
こちらこそ、ありがとうございました。 |