土楽は屋号で、本名は福森雅武さんという。
焼きものを造るようになって七代目に当たるとかで、
そういう旧家の主にふさわしい風貌の持ち主である。
最初に行った時は、木工の黒田辰秋氏と、
長男の乾吉(けんきち)さんも同席で、
福森さんと乾吉さんは親友であることを知った。
いろり端で、直ちに酒宴がはじまる。
壁には熊谷守一の絵がかかり、
庭で切った野草が、無造作に活けてある。
乾吉さんの造ったいろりのふちは見事なもので、
そのままお膳がわりになるほど、広くて大きい。
福森さんは、そこで松茸と落鮎(おちあゆ)を焼いたり、
肉を煮て下さった。
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こういう山里で、自作の器で頂く料理が
おいしくない筈はない。
私たちは、お昼から夜になるまで飲みつづけ、
京都の宿に帰ったのは午前二時ごろであった。
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それから後は、ひまさえあれば
丸柱をおとずれるようになった。
福森さんはいつもにこにこしているだけで、
あまり多くを語らなかったが、
つき合っていければ、
人間というものは自然にわかって来る。
彼は作家とか陶芸家と呼ばれることが嫌いで、
作品という言葉も絶対に使わない。
料理が好きになったのも、
それを盛る器が造りたかったからで、
茶道具にも、オブジェにも、興味はない。
家の伝統で、一時茶器の類(たぐい)を
手がけたこともあるが、つまらないので止してしまった。
ということは、古いものを模倣するのがいやなので、
現代の生活に合った日常雑器を造りたいのであろう。
逆にいえば、それは伊賀本来の焼きものの姿に
還ることである。
『日本のたくみ ── 土楽さんの焼きもの 福森雅武』
白洲正子(新潮文庫)より(*部分中略)
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