鍋しきづくりは、
芯づくり(前工程)と、仕上げ(後工程)の
ふたつの作業に分けられます。
これはそれぞれ別の作り手が担当します。

前工程にあたる「芯づくり」では、
文字通り、輪の芯の部分をつくります。
わらの鍋しきはよく見ると、
縦に編まれたわらの下に
もう一段わらが巻き付けられた芯が入っています。



そうです、これが芯。
土台にこの芯があって、
その上にわらが巻かれるというわけです。

この前工程を担当するのが、
村上澄子さん、83才です。
澄子さんは、佐渡生まれの佐渡育ち。
農家の娘として生まれたので、
昔からわら細工をすることには、
ずっと馴染みがありました。



澄子さんが作業するのは、
よく手入れされた庭から入って正面にある、
自宅横の作業所と呼ばれる納屋。

納屋の中には燕が巣をつくっていて、
人間を気にする風もなく、
自由に出入りしています。
そして、澄子さんが腰を卸す場所の裏側には、
数匹の子猫たちがダンボールの中で寝ています。

人間以外の生き物たちが、
自由に呼吸をして、
自由に行動している様を見るのは、
とても気持ちがいいものでした。
ここに暮らす人と動物は、
自然と一体化しているなぁと。




澄子さんの手はつるつるしていて、
とても80歳代の人の手には見えません。
そして、その手の機敏な動きにおよんでは、
「‥‥さすが!」と
思わず言葉がこぼれてしまいます。
それほど手際良く芯づくりの作業を進めていくのです。



右斜め前に置かれた程よい長さのわらを
一本一本手に取って、わらに巻いてゆく。
そして、チョロチョロと巻いたわらから
毛羽立つ「髭」と呼ばれる余剰物を
ハサミで丁寧に切り落としていきます。
その時間、およそ20分くらい。
1個の鍋しきの芯をつくるのにも、
結構な時間が掛けられているんですね。



「畑の仕事がないときにやるから
 丁度いいんだぁ。
 わら鍋しきの作り方を覚えたのは、数年前。
 本間さんにやってくれって頼まれたもんだから。
 もう歳だし、別に働かなくたっていいんだけど、
 仕事は、した方がいいからな(笑)」

と、澄子さん。
文字にしてしまうと、
ちょっとぶっきらぼうに思える佐渡のことばですが、
飾らず率直です。
数年前、ということは
80歳ちかくで覚えた仕事なんですね。
すごい。
そうして澄子さんは、また作業に戻ります。
ラジオをかけながら、もくもくと、
動物たちの気配を何となく感じながら、
芯をつくる澄子さんの様子は、
なんだかとても美しい光景のように感じられました。



後工程にあたる「仕上げ」を担当するのは、
水沢ミヨさん(82歳)と、お嫁さんの水沢博美さん。
この作業を、とても仲良く、
協力してやっている様子です。



作業場は住居の脇の小屋。
決して大きいものではないのですが、
何だかとても温かな雰囲気です。

「この鍋しきつくってるとき、
 オラの友達が訪ねてくることもあるんだけどな、
 作業場がガラス張りで、
 のぞけるようになっているから、
 便利なんだ」

と、ミヨさん。
80代のおばあちゃんが、現役で働いていて、
それを友達が訪ねてくるなんて、
都会ではなかなか少ないことですよ。



さて、後工程の「仕上げ」というのは、
鍋しきの外側の部分を編み込んでいく作業。
前工程でつくられた芯の部分に
わらを巻いて編み込んでいくのですが、
実は、その前にも
ひとつやるべきことがあります。

それは「縄をなう」という工程です。

「まずな、オラがゴム槌のようなもので、
 わらを叩いてな、わらを柔らかくしてな、
 それを手に挟んでこすり上げるだろ。
 そうすると縄のようになるんだ。
 それをこうして、ハサミで髭取りして、
 そのわらを編む工程に進むんだな」(ミヨさん)

わらを編む工程では、
隙がなるべくないように、細かく、
強く編んでいかなければいけません。



そしてドーナッツ状の外回りの部分は、
ギュッと不思議な形状に編まれています。
これ、なんという編み方なんでしょう?
お嫁さんの博美さんが答えてくれました。



「呼び方はとくにありませんが、
 佐渡独特の編み方だとは
 聞いたことがことがあります。
 でも、いつからとか、誰がはじめたとか、
 そういうことはわかりませんねぇ。
 自然と農家に口伝えされてきたものなんじゃ
 ないでしょうかねぇ」

なるほど。
こうした詠み人知らずのものづくりというのは、
こうして姑から嫁へ、また、一軒の農家から隣の農家へ、
伝えられてきたものなのでしょう。
そして何代も経るなかで
改良され、研ぎすまされていったのでしょう。

「この嫁さんがいい嫁だから、
 オラは、本当にいい思いさせてもらってるんだ。
 ありがてぇん、ありがてぇ」(ミヨさん)



そんな、ミヨさん、そんなふうにつくられる鍋しきを
使えるなんて、ぼくらのほうが「ありがてぇ」です。



2009-05-25-MON