まずは、老舗扇子店「山二」さんへ。

2012年の2月末、
「ほぼ日のいい扇子」チームは、
京都の扇子屋さん「山二」を訪ねました。
「山二」は、創業1713年、
扇子ひと筋で約300年という老舗の扇子店です。

笑顔で出迎えてくださった
「株式会社山二」代表の山中暉一郎さんに
扇子のお話をうかがうところから、レポートはスタート。
「そもそもの発祥は?」
「扇子はどうやってつくるんだろう?」
素朴な質問に、
山中さんがわかりやすく答えてくださいます。


▲「山二」10代目当主・山中暉一郎さん

ほぼ日 扇子はいつごろ誕生した道具なんでしょう。
山中 平安の初期ごろと言われています。
日本でうまれました。
ほぼ日 不勉強で恥ずかしいですが、
それさえ知りませんでした。
日本で発明されたんですね。
山中 ええ。
最初の扇子は木簡(もっかん)でできていました。
木簡というのは木の札です。

そのころの日本は紙が貴重品だったので、
短冊状の木の板に墨で文字を書いていたんです。

ほぼ日 いろいろな文書を、木の札に。
山中 ところが、細長い木の札に
いくつも書いていると散らばってしょうがない。
そこで、板に穴を開けて数枚の木簡をとじた。
それが扇子の、そもそもの発祥だと言われてます。

ほぼ日 へええーーーー。
山中 あおぐ道具としては、うちわというものが
紀元前の中国や古代エジプトで用いられましたが
日本の扇は「折りたためる」ことが特徴です。
これがまず中国に渡り、
インドやヨーロッパにも広がっていきました。
ほぼ日 世界に。
山中 ルイ王朝時代の
貴婦人たちの持ち物として、扇が定着します。
扇と帽子とパラソル。
ほぼ日 ああー、はい、イメージがつかめました。
西洋の扇子、
絵画や映画などで見覚えがあります。
山中 というのが、まあ、非常に簡単ではありますが、
扇子発祥のお話になります。

ほぼ日 ありがとうございます、勉強になりました。
山中 それで‥‥きょうわざわざお越しいただいたのは、
扇子ができあがる工程を
ご覧になりたいということでしたよね。
ほぼ日 はい。
どうやってつくられているのか、
その現場を拝見したくてやってきました。
山中 ありがとうございます。
なのですが残念ながら、
きょうすべての工程をお見せすることは
できないのです。
と申しますのも、
扇子づくりは細かい分業体制なんですね。
ほぼ日 分業体制。
山中 ええ。
たとえばこの、扇骨(せんこつ)。
扇の骨と書いて扇骨というのですが、
この竹の骨組みの部分は
滋賀県の琵琶湖の西岸、
安曇川(あどがわ)のほうでつくっています。

ほぼ日 琵琶湖で。
山中 扇子づくりには、いくつもの工程があります。
これは組合のパンフレットなんですが、
こんな具合で‥‥。

ほぼ日 ああ‥‥こんなに。
山中 すべてをご覧いただくのは無理ですので、
きょうは「中附け(なかつけ)」
という作業を見ていただこうと。
ほぼ日 なかつけ。
山中 紙扇子の、仕上げに近い工程です。
「折り加工」された
紙のじゃばらに扇骨を差しこみます。

紙扇子の紙は、
最低3枚の紙を合わせてつくられています。
真ん中の紙が、芯紙(しんがみ)といいまして、
これがふたつに裂けるようになっているんです。
ふたつに裂けて、その間に骨が入る。
骨と紙をドッキングさせて扇に仕上げる。
これが「中附け」という作業。
きょうは、ここをご覧いただきます。


いよいよ扇子工房へ。

そしてわれわれ「ほぼ日のいい扇子」チームは、
山中暉一郎さんの運転とご案内で、
扇子工房へと向かいました。


▲途中、五条大橋のたもとにある
 「扇発祥の地」の石碑で記念撮影


やがて、到着。
「ごめんくださーい、失礼いたしまーす」
われわれは、工房へお邪魔させていただきました。



笑顔で出迎えてくださったこちらが、
扇子工房のご主人・金谷雅明さんです。
お話、うかがってまいりましょう。


▲「金谷竹材工芸」の金谷雅明さん

金谷 ようこそいらっしゃいました。
きょうは中付けの作業を
ご覧になりたいそうで。
ほぼ日 はい、よろしくお願いいたします。
ここにある道具を使いながらの
作業になるのですね。
金谷 そうです。
扇子の加工は、職人だけのものではなく、
アイデアと工夫次第で
私たちにもできることを
立証していきたいと思いまして、
自分で設備を開発してきました。
ほぼ日 それがここにある数々の機械なんですね。

金谷 職人さんが経験でやる作業の多くを、
うちでは機械でもできるようにしています。
それによって、
国内生産の伝統工芸品を
ひとりでも多くの人に渡したいと考えています。
当然ですが、
職人の仕事と変わらない優れた品質のままで。
ほぼ日 なるほど。
これらの機械は、金谷さんが?
金谷 マシンは自作です。
以前、メーカーのエンジニアだったんですが、
それを辞めて、この仕事をはじめてから
ぜんぶ手づくりでつくりました。



「中附け」という工程。

金谷さんはさっそく、
われわれに「中附け」という工程を見せてくださいました。
駆け足になりますが、順にご紹介いたしましょう。

まずこちら、
これは3枚の紙を合わせて「折り加工」された、
紙扇子の紙部分です。


じゃばらにはなっていますが、
「扇骨」を差しこむ隙間はまだありません。

これを機械にセットして‥‥。


コンプレッサーで、シューっと空気を送り込みながら‥‥


横にスライドしていくことで、
「扇骨」を入れる口をあけていきます。

この作業、職人さんはひとつずつ口で吹くのだとか。
何度も繰り返し、
くちびるが切れて血が出ることもあるそうです。

機械ならば酸欠になることもありません。
でも、最後の調整はやはり手作業。
口の開き具合を微妙に整えます。


差し込み口が開きました。


「扇骨」に糊を塗ります。
この作業は、機械ではできないそうです。

油のある竹は、
ローラーやブラシで糊を塗ってもはじくので、
ここはハケでしっかり、
こすりつけるように糊を塗ります。


口の開いた紙を台にセットして、
糊を塗った「扇骨」の骨を1本ずつ、差しこんでいきます。


かなりの、手作業。
集中と緊張なくしては、できない工程です。


しかも、糊がかわかないよう、
手早く済ませなくてはいけません。

真ん中の「芯紙」を裂き、「扇骨」をぐっと押し込みます。


糊がかわく前に、手早くやるべき工程がもうひとつ。


押し込んだ「扇骨」は、紙の折り目ごとに、
きちんとぜんぶが中央におさまっていなければなりません。


つまり、紙の中の「扇骨」を整列させる作業です。
職人さんが経験で行うこの工程は、
機械がしっかりと助けてくれます。


セットして、機械が押さえ込めば、
これでもう「扇骨」は正しい位置に整列。


軽くたたいて、糊を密着させます。


糊を縫ってからここまでの作業が、
最も集中するところだとか。
しかも季節や湿度によって
糊がかわく時間が変化するので、
そこはどうしても経験で調整することになるそうです。


つづいて、「つぶす作業」になります。

竹が差しこまれた紙は、
差しこまれた竹の厚みの分だけ体積が増えて、
中央がごろごろした状態になっています。


このままだと、
扇子をとじたときに骨の部分がごろごろして、
紙がぴたりと重なりません。

つまんでみると、たしかにごろごろしています。


この竹の厚みを、たたいてつぶします。


つまんでみたら、ごろごろがなくなっていました。


いよいよ仕上げ。

「扇骨」の外側の2本を「親骨」といいます。
その「親骨」を、遠赤外線ランプであたためます。


あたためた「親骨」を、プレスにのせてぐいっと曲げます。


「親骨」を適度に曲げることで、
パチンとしまる扇子になります。

どのくらい「親骨」を曲げるのかは、
戻る分をふくめて決めなくてはならないので、
ここは経験による判断になるそうです。

こうしてようやく、
ミナ ペルホネンの「おおきな木 と ことり」が、
いくつかの工程を残して、ほぼ完成となりました。


いかがでしたでしょうか。

アイデアと工夫を駆使しながら、
金谷さんが
圧倒的にたいせつになさっていることはやはり、
「京扇子の伝統」と「製造技法の継承」なのだと、
この工程を見学したわれわれは思いました。
お仕事の根底には、
職人さんと同じ想いがしっかり流れていると。


▲創業約300年の老舗扇子店「山二」が
 大きな信頼を寄せる金谷雅明さん


▲あかるくたのしい、アイデアと工夫


こういう場所で、
こういう人々の手で、
「ほぼ日のいい扇子」は1本ずつ、つくられています。

長いレポートになりました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

(扇子チーム一同)