私は神奈川のアパートにいましたが
実家は福島県にあります。
郡山市は震度6強。
父は、勤める事務所も住むアパートも
非常に海に近い場所にありました。
あのときは電話もメールも繋がりにくく、
無事を祈るばかりでした。
日付も変わる夜中ごろ、
ふと「手帳に残さなきゃ」と思いました。
今日起こったこと、感じたことを、
断片的でもいいから残そうと。
今日の記憶は、決して忘れてはならない。
そう思い、絵を書き、言葉を記しました。
私にとっては震災を忘れないための、
いつまでも「当事者」としての
意識を持つための
「大切な1P」になっています。
いつでも読み返せる「ほぼ日手帳」
だからこそ記録できたことでした。
(asa-kichi)