<ほぼ日手帳・カバーの系譜 その2> 洋服をえらぶ楽しみを、 カバーえらびでも体感してほしい。 そんな思いから、柄もののカバーは生まれました。

東日本大震災から、もうすぐ1年。
あの「3月11日」から、1年が過ぎます。

「ほぼ日手帳」のコンセプトとして
ずっとまえから、何度もお伝えしている
「なんでもない日、おめでとう。」ということば。
はからずも、あの「3月11日」をきっかけに、
私たちは「なんでもない日」がどんなに大切であるかを
あらためて感じることになりました。

ほぼ日刊イトイ新聞は、
今年、3月11日を迎えるにあたって、
それぞれの3月11日。」という
コンテンツをスタートさせました。

正しい答えなんてないのですが、
今年の「3月11日」をどう過ごすか
ひとりひとりが考えてみよう、という企画です。
具体的には、「3月11日、なにをしますか?」ということを、
関係者のみなさんや、読者のみなさんに問いかけています。

この、「ほぼ日手帳」のページでも
「3月11日」に向けて、
みなさんに問いかけたいことがあります。

──去年の3月11日には、
  なにが書かれていますか?

「なんでもない日」として記されていたり、
「なんでもなくない日」として書かれていたり、
それぞれの「3月11日」がそこにあると思います。

思い出したくない人もいらっしゃるかもしれませんが、
今年の「3月11日」をむかえるにあたり、
みなさんとその日の「ほぼ日手帳」を
共有してみたいと思いました。

もしよろしければ、ご参加ください。

糸井重里は
去年の9月の「今日のダーリン」に
こんな原稿を寄せています。

ぼくの手帳の「3月11日」に、なにが書いてありますか?
そういう質問をされて、困ってしまいました。
正直に言うと、
じぶんの手帳にじぶんのために記すことばは、
そのときには書けなかったのでした。
「ほぼ日」という「この場」で、なにを言うのか、
この先なにを考えるのか、それだけで精一杯で、
お恥ずかしいけれど、ぼくの手帳は空っぽでした。
ほんとは、そういう日のためにも「ほぼ日手帳」と、
言いたかったのですが、実際には無理でした‥‥。
(2011年9月6日の「今日のダーリン」より)

今回の記事のために、
糸井に去年の「ほぼ日手帳」を
撮影させてもらったのですが、
去年の手帳をあらためて開きながら、
当時と、その日の日々を振り返るように、
糸井はこんなふうに言いました。

あらためて見ると、
手帳を開くことは開いていたんですよね。
朝と寝る前の体重を計ってグラフにつけていましたから、
あの夜も、体重記録だけはつけていたんですね。
この日から5月の初旬まで、
ずっと体重が減ったままでした。
食べる量が減ったとは思えないので、
脳がすっごくエネルギーを使ってたんでしょうね。
とにかく、頭が動いてない時間がなかった気がする。

1年前のそのページを開いて、
当時のこと、その後の日々のこと、
いまのこと、
そして、これからのことを
それぞれに考えてみたいのです。

それぞれの人が、
それぞれに過ごした「3月11日」。

糸井と同様に白紙だったり、
大事だと思った単語だけ並べてみたり、
思ったこと感じたことを一つ残らず書いていたり、
もしかしたら、思い出したくないことが、
書いてあるかもしれません。
けれども。

もし、よければ、
あの日のページを開いてみませんか。
あの日に書いたことを、読み返して、
そして、わたしたちに教えてくれませんか。

ちなみに、乗組員の手帳には、
こんなことが書かれていました。

スガノ

 

仕事で中国にいた方と通話をしていた途中で
揺れはじめました。
右下に「おばあちゃん」と書いてあります。
この日、おばあちゃんが家にいてくれたおかげで、
子どもを任せて、
私は会社に泊まることができました。
下に、万年筆で「生きてる」と書き込んでいます。
率直に、こう思ったのでしょう。
その右に、「“死ぬのキライやし”逃げた」と
書いてありますが、これは
いっしょに外に逃げた同僚のセリフを
そのままメモしたものです。
なんだかすごく、心に残ったのです。
震災がなければこの日は19:30から
歓送迎会だったんだな、など、手帳のこのページが、
この日を忘れられないものにしています。

 

シホ

 

普段から、手帳は打ち合わせの
メモとして使用しています。
この日は打ち合わせの最中に揺れ、
あまりのことに何をしていいかもわからず
いっぱいいっぱいな気持ちでした。
その後、しばらくして何が起こったのかを
段々と把握するにつれ、冷静に今自分が
しなくてはいけないことを考えはじめました。
ここにあるのは、2〜3日後に行われた
打ち合わせの内容をまとめたものです。
震災後の流通の流れや、
道路状況などを記しているため、
読み返してみると、
この日はほんとうに「非日常」なことが
起こったのだと、再認識することができます。

 

ヒロセ

 

娘の中学の卒業式に合わせて
3月9日から休みをとっていました。
地震が起こったのは、車で茨城県にある
野外彫刻展に出かけていたときでした。
運転中に突然ハンドルをとられ、
最初は強風かと思ったのですが、
大きく揺れている電柱や電線をみて
「風じゃない」と気づきました。
信号が停電になり、家々の塀が倒れ、
なんとか家にたどり着きましたが
何をしていいのかよくわからない1日でした。
手帳にも何も書いていないと思っていたのですが
読み返してみると、書いてありました。
事実と時刻だけでも記しておこうと
とっさにペンを走らせたのだと思います。

 

イワイ

 

このときはちょうど就職活動中で、
企業説明会の帰りに地震が起こりました。
どうしたらいいんだろう、という気持ちと、
家族の安否が気がかりで、不安な1日でした。
また、東北旅行を予定していた後輩が
この日の朝、仙台に到着したことを
ツイッターで知っていたので、すごく心配で。
(後で、無事だったことがわかりました)
週間タイプのWEEKSを使っていたため、
毎日何かを書くことはあまりなかったのですが、
この日は、「書いておかなきゃ」と思い
起こった状況をそのまま書いたことを覚えています。
でも、手帳をみると、この日を境に
3週間以上も白紙が続いていて。
きっと、何も書く気になれなかったんだと思います。

 

みなさんは、
あの日の「ほぼ日手帳」に
どんなことを書きましたか?

手帳の画像を撮影し、コメントとともに
techo@1101.comへメールをお送りください、
件名は「3月11日に書いたこと」とし、
ペンネームもお付けください。

※お寄せいただいた画像とコメントは、
 特集コンテンツにて紹介させていただきますので、
 個人情報など公開に適さない部分は
 あらかじめ付箋などで隠してご撮影ください。

2012-03-01-THU
最新の特集コンテンツヘ特集コンテンツをもっと見る