ほぼ日手帳2019のラインナップにチェコの筆記具メーカー『コヒノール』の鉛筆や消しゴムが仲間入りしました。とにかく、まず、見た目がかわいらしい。愛嬌があって、存在感があって、シンプルなかっこよさもある。つい、そばに置いておきたくなるものたちばかりです。『コヒノール』って、どんな会社なんでしょう?チェコの首都プラハにあるお店と、南部の街チェスケー・ブジェヨヴィツェにある本社を訪ねました。
『コヒノール』本社を訪れるため、 南ボヘミア最大の街、チェスケー・ブジェヨヴィツェへ。 世界遺産にも指定されているチェスキー・クルムロフの ひとつ手前が、チェスケー・ブジェヨヴィツェです。
プラハからはバスか電車で片道2時間以上かかります。 早起きして、朝7時発の長距離バスに乗り込みました。 (チェコでは新幹線のような高速の路線がないので バスのほうが速いことが多いそうです)
到着しました、チェスケー・ブジェヨヴィツェ! (しかし、字を見ているだけで舌を噛みそうな地名‥‥) こちらは、旧市街の中心にあたる広場です。
チェスケー・ブジェヨヴィツェはブドヴァイズとも言われ、 「ブドヴァイザー・ブドヴァル」という人気チェコビールの 発祥の地としても有名なのだとか。 (アメリカのバドワイザービールの語源なんだそうです)
ピンクや水色や黄色や‥‥ さまざまな色の壁の建物が連なるかわいい街並みです。
あ、あの看板は‥‥。
ありました、『コヒノール』! 絵本に出てくるような、おうちのかたち。 ここがオフィスなんですね。
建物の前には、チェコスロバキアの初代大統領らの銅像もあります。
「ドブリー・デン(こんにちは)!」 副輸出ディレクターのレオナさん(左)と マーケティング担当のオンドラさんが 笑顔で出迎えてくれました。
受付ロビーには、大きな鉛筆型オブジェと 『コヒノール』の象徴でもある20種類の芯の鉛筆がずらり。 そして会社の歴史をまとめた年表が。かっこいいなあ!
本当は工場見学を希望していたのだけれど、 ちょうど改装が入って見学できないそうで、 「本当にごめんなさいね」と、 代わりに応接室に通していただきました。
輸出ディレクターのヤナさんが、 部屋にあるショーケースを開けて見せてくれました。 この中には、『コヒノール』の商品の数々が、 とても美しくディスプレイされています。
こちらは120色のクレパス「TOISON D'OR」。
3色を1本の芯にしたマーブル色鉛筆「MAGIC」。 まるで宝石箱みたいですね。
レオナさんとオンドラさんから、 『コヒノール』の歴史、そして現在の話を聞きました。 「創始者は、オーストリア出身の建築家であり発明家、 ヨゼフ・ハルトムントでした」
この方が、ヨゼフ・ハルトムントさん。 「陶器の暖房器具を作っていましたが、絵の具や鉛筆が 商売になると考え、まずは芯作りから研究しました」
ウィーンに建てた最初の工場。 「最初の鉛筆工場を作り始めたのが1790年。 試行錯誤を経て、1802年に 鉛筆の製造を本格的に開始しました」
「1848年に、ウィーンからこの地に工場を移しました。 材料費や人件費が安かったこと、またブルタヴァ川を使って 効率的に輸送ができたことが理由でした」
「3代目のフランツ・ハルトムントは 鉛筆製造の画期的なアイディアを残した人物でした。 そのひとつが、いろんな硬さの鉛筆を発明したこと。 当時、すでに19種類の芯が開発されました」
8Bから10Hまでの芯を表した『コヒノール』のカタログ。 「現在、HBや2Bなどの鉛筆の芯について 一般的には、Bはブラック(=黒い)、Hはハード(=かたい)、 中間のFはフィーム(=しっかりした)と言われていますが‥‥」
「B、F、Hというのは、これを開発した3代目の名前 フランツのF、ハルトムントのH、そしてこの地 ブドヴァイズ(=チェスケー・ブジェヨヴィツェ)のBから きているんですよ」
「この壁にかかっている写真は、 19世紀後期の『コヒノール』です。 今と同じ場所に、同じように建っていたんですよ。 煙突も、いまと同じような位置にあります」
現存するいちばん古い鉛筆の箱も見せてくれました。 1860年~70年に造られていたものだそうです。
こちらは、20世紀初期に出していた チェコ語のカタログです。 これも素敵なデザイン!
そしてこちらは、ドイツ語のカタログ。 歴史の話が続いてゆきます。 「コヒノールの鉛筆は、1900年のパリ万国博覧会で 賞をもらい、世界的に有名になりました」
「20世紀に入って工場の規模も拡大。 世界一の鉛筆工場のひとつとして、 ドイツとも競争していました。 各国に支社ができたのもこの頃です」
「しかし、その後2度の戦争が起こります。 第一次世界大戦では、工場は無事でしたが、 第二次世界大戦中は、チェコは社会主義国となり、 『コヒノール』は強制的に国有化されました」
「社会主義が1989年に終わり、 『コヒノール』社として営業再開ができましたが、 戦争前に築いていた各国との貿易の関係が 崩れてしまっていたので、市場の修復は大変でした」
「そんな状況を乗り越え、現在、世界84カ国へ 商品をお届けできていることをうれしく思います。 日本のみなさんからは、MAGIC色鉛筆や はりねずみのデザインの色鉛筆が人気なんですよ」
『コヒノール』では、厳しい安全基準と検査基準を設け 質のいい文房具を届けることを大切にしているのだそう。 また、森に新しい木を植える活動や、 プラスチック製鉛筆の開発にも力を入れているのだとか。
また、200年以上の歴史を持つ会社だからこそ、 伝統を大事にしているそうです。 資料を広げながら、歴史の話をたっぷり2時間してくれた おふたりからも、その思いは伝わってきました。
現在、この敷地内には鉛筆工場、芯工場、消しゴム工場、 木製商品の工場、パッケージなどの印刷の工場があります。 そのほか、チェコ内にメカニックペンシルの工場、 ブルガリアにはMAGIC色鉛筆の工場があるそうです。
店舗はチェコ内に90店以上のほか、 スロヴァキアにもあるそうですよ。 ‥‥では、そろそろプラハへ戻ります。
帰りは、電車に乗ってみることにしました。 運良く、特急列車が出ていました。 これに乗れば、プラハまで2時間ちょっとです。
チェスケー・ブジェヨヴィツェをあとにします。 『コヒノール』のみなさん、ありがとうございました!
(おわりです) 資料提供=コヒノール