第2回
「ジャケットを着てるのに、下、ジーパン?」
- 新井
- 片岡義男さんにはじめて会ったとき、
ぼくは「雑誌が好きなんです」と自己紹介しました。
その頃ぼくは「ISSUE(イシュー)」という
ミニコミ雑誌、今のZINEようなものを自費で出版していました。
「ISSUE」とは編集するという意味です。
それを片岡さんに見せたところ、
「雑誌が好きなんだったら、
君はアメリカの『ローリングストーン』という雑誌を
知っていますか?」
と訊かれました。
ぼくは知らなかった。
1週間後に片岡さんから、
ダンボール2箱いっぱいにつまった
「ローリングストーン」を
創刊号から何号分も送られてきました。
そこではじめて
アメリカのカルチャーを雑誌から学ぶことになりました。
なによりも驚いたのは創刊号です。
ジョン・レノンのインタビューが
巻頭1ページ目から
巻末32ページまで圧倒的なボリュームで載っていました。
それはインタビュアーのヤン・ウェナーという若い人が
とにかく熱心にジョンに話を聞いている内容でした。
そして、まだ学生だった
アニー・リーボヴィッツという
女性カメラマンが写真を撮っていました。
時代の寵児としてジョン・レノンが、
その雑誌に真摯に答えているという
姿勢を含めてぜんぶ、
ぼくにとっては驚きでした。
インタビューは、こんなに人を
感動させるものがあるのか、と。
もしもこれからぼくが雑誌をやるとしたら、
インタビューを核にするのがいいのかもしれない。
それならぼくにもできるかもしれない、と
創刊号の「ローリングストーン」を見て
思いました。
マガジンハウスの「POPEYE」で、
プロのやり方を一所懸命学んだところからは
真逆を行くようでしたが、
なによりも資金がぼくにはなく、メジャーという世界よりも
自分のできることをしたほうがいい。
しかも、インタビューであれば、
自分の好きな人にも会えます。
- 糸井
- それが「ローリングストーン」の創刊号を見て
わかったんですね。
- 新井
- はい。
片や「POPEYE」というファッション雑誌の方向だけではなく、
一方、日本の雑誌の世界は、
もうひとつインディペンデントな世界を
大人たちが思いきり楽しんでいるものがありました。
まず、「ビックリハウス」で
読者の投稿を大胆にコラージュして表現していた
「ヘンタイよいこ」の糸井さんがいました。
椎名誠さんの「本の雑誌」や
矢崎泰久さんの「話の特集」などがあった。
時期はズレるけれど、伊丹十三さんは
「モノンクル」を出していました。
テーマやモチーフは千差万別ですが、
それらは確実に「話し言葉」というものを
もういちど考えなおすような動きでした。
ぼくはそんな大人たちが作った世界を
必死にたぐり寄せるようにしながら
雑誌を作っていたように思います。
ですから、糸井さんはいつも、
反面材料も含めて、ぼくのすぐ前にいた人です。
- 糸井
- なるほど‥‥。
世代的なこともあって、
新井さんはわりと、
登る山が見えている感覚だったんでしょうか。
- 新井
- いや、最初は見えなくて、
ウロウロして遭難しかかっていたところを、
片岡義男さんが手を差し伸ばして助けてくれたのです。
あの時代、片岡さんは
アメリカの空気を運んでいた第一人者だったので、
すごく影響を受けました。
- 糸井
- 片岡さんの『10セントの意識革命』は、
ぼくもさんざん読みました。
あの本は、いろんな人に大きな影響を与えてますよね。
- 新井
- 与えてますね。
本気で遊ぶということを
ぼくは片岡さんを通じて知ったし、
実は音楽が状況の鏡なんだということも
教わりました。
- 糸井
- 片岡義男さんの
『10セントの意識革命』みたいな文体で
コピーを書く、ということを
ぼくはやりました。
じつはそれで広告の新人賞をもらってるんですよ。
- 新井
- そうなんですか。
- 糸井
- それはジーンズブランドの
「WELDGIN」の仕事でした。
ぼくはジーパンの広告をあれやこれや
5種類ぐらいやってて、
そのうちのひとつなんですけどね。
クライアントがわりと
「好きにやっていい」と言ってくれてて、
湯村輝彦さんと仕事したくてしょうがなくって、
お願いししました。
そのときに、片岡義男さんのような文体で
コピーを書こうと思ったんです。
- 新井
- それはたしか、おやじが損してる、って
やつですよね。
- 糸井
- そうそう。
「このジャンパーの良さがわからないなんて、
とうさん、あんたは不幸な人だ!」です。
まさしく、片岡義男さんの物語の中に出てくる
男の子のセリフのようです。
- 新井
- うん、そうですね。
- 糸井
- そのあとで、
『キミと、はじめて「あんなこと」になった頃。
まだ、このジーンズも、恥ずかしいほど、青かった。
暗がりで、ゴワゴワ、音なんかしちゃってサ。』
というコピーを「WELDGIN」で書きました。
脱いだら音が出るジーパンをはいてる子たちの
セックスです。
- 新井
- ああ、まさしくそれは
ぼくらにとっての「体験」でしたよ。
糸井さんが言葉にしてくれたおかげで、
ぼくらはわけわかんないまま
買ったばかりのジーパンを
3日間ゴシゴシ着たまま
湯船で洗ったりして履いてました(笑)。
- 糸井
- あの頃ジーンズは、
大統領夫人のジャクリーン・ケネディがはいて現れた、
と、ニュースになったりもしました。
それと同時に、ホテルオークラは
ジーンズで入っちゃいけない、という時代でした。
- 新井
- そうでしたね。
- 糸井
- アンディ・ウォーホルが日本に来たときに、
上は紺のジャケット着てネクタイ締めて、
アイビーリーガースの格好をしてるのに、
下はジーパンだった。
- 新井
- そうでした。
- 糸井
- あれは驚いたなぁ。
きっといまの若者は
「ジャケットにジーパンって普通じゃん?」
と思うでしょう?
- ほぼ日
- はい。
- 糸井
- ぼくらがふだんしてる格好は、
少し前までは、ものすごく変だったんですよ。
アンディー・ウォーホルだから
あんなちぐはぐなことができるわけで、
という格好でした。
「おいおい、下、ジーパンだよぉぉ~」
逆に言えば、
「ああああ、上、ちゃんとネクタイしてるよぉぉ~」
- 新井
- でも、ぼくたちは憧れて、
真似しましたね。
- 糸井
- そうですね。
ぼくはいまでも、ファッションについてはある意味
あのアンディ・ウォーホルから動けずにいます。
- 新井
- たとえばボタンダウンのシャツは、
作業の邪魔にならないように襟が止められるように
ボタンがつけられたシャツです。ブルーカラー、
労働者のものだった。
だからネクタイは本当はいらない。
でもアンディー・ウォホールはあえてそれを組み合わせた。
それがメッセージとなった。
ファッションでもなんでも、
そういった定義づけをいかに崩すかが
すごく楽しい時代でした。
まさしく「ビックリハウス」で糸井さんが、
実は素人たちがすごく大きな物語を持ってるんだ、
と教えてくれたこともそうでした。
植草甚一さんは、
「ワンダーランド」や「宝島」で
街角のほうに夢がたくさんあると教えてくれました。
(第3回につづきます)
2016-09-12-MON
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN